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車のエンジンオイル(2)

2024年12月08日 | 車・バイク

前回はオイルの表記について。今回は質について。

アメリカのAPI規格「SL」「SN」、最近の「SP」は昔からよく見ます。しかしILSAC(イルザック)とかEUに多いACEA(アセア)、日本のディーゼルオイル規格のJASO(ジャソ)なども記載されており、缶の表面はカオスです。しかも”〇〇相当”ってことで勝手に独自マークを入れていたりも致します。

「知ったメーカー品であること」これに尽きます。具体的には国産自動車メーカーブランド、有名石油会社のカストロール(ブリティッシュ・ペトロリアム)・モービル・クエーカー(シェル石油)・エルフやモチュール・バルボリン・ワコーズのような有名ケミカル会社製となります。

オートバックス等ではプライベートブランドも扱っています。しかし、販売数は上記ブランドより少ないのに、安い理由が不明です。私には「もしかして規格ギリの品質なんじゃねーの?」と邪推する他ありません。特長が明記してあれば検討するのですが。

このAVANTEってのもオートバックスのプライベートブランドみたいです。隣のクエーカーの引き立て役ですかね。

私はタイヤ屋さんで交換しています。WAKO'Sの5W-30(100%合成油)で4,400円です。そう云えばベンズオイルって見なくなったな。昔はVT250に入れてたけど。
 

サイトには鉱物油は不純物が多いので「低温性が悪い、粘度を上げられない」と書かれています。しかし前回で記載しましたが10W-30なら-25℃以上であれば範囲内です。化学合成油は「燃費が良い、始動性が良い」とありますが、これも0Wや5Wと10Wの区別が出来れば有効なのかも知れません。私には出来ません。

ただ、車検証に記載の交換サイクル以上に使った場合は、不純物の少ないオイル(100%合成油)が有利との記載もありました。これはあるかも。劣化の度合いが違うとか。あとクラシックカーは鉱物油でないとパーツが痛んだりも致します。

私はECU改造車(ポロ・ジムニー・パジェロミニ・ギャラン・シビック・スイフト)は5,000kmで交換しましたが部分合成油か100%合成油です。
ノンターボのノーマル車は10,000km以上乗りますが全合成油すね。


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3 コメント

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4ストオイルは選び放題ですが (あらまあ)
2024-12-08 21:17:09
ジムニー用の2ストオイルが、いつまで販売されるのかが心配な状況になりつつあります。
以前使っていたメーカーが無くなっちゃったので、今はFD級のヤマハオイルを調達してますが、値上がりが激しい事!
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売れないと単価が上がりますよね (bn)
2024-12-08 23:08:52
>あらまあ さんへ
>4ストオイルは選び放題ですが... への返信
今日、NHK見てたら漁師の爺様が2ストのメイトに乗ってた(昨年撮影) 音で分かるよね。
ヤマハのって昔の奴?部分合成油じゃないか? 古いし全合成油の方が良いかも?
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科学革命    (トライボリスペクト)
2024-12-15 08:55:30
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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