(その1)より
「三井寺」も今回の目玉としていました。境内は非常に広く、半時計回りで約2時間を要しました。MAPの紫が主なポイントですが、三重搭界隈は遠目にしか見れませんし、左下の観音堂は秘仏です。赤丸に限定すれば1時間半で回れます。
青丸はともに国宝ですが「4人以上で事前申込」or「宿坊泊で@10万円以上」or「ツアー」でしか入場できません。我々は断念しました。
「仁王門(重文 室町中期)」は家康が1601年に甲賀から移築したものです。「運慶」らしいのですが、金網の目が細かくて良く見えん。
受付を通ると「釈迦堂(重文 室町初期)」があり拝観できます。
有名な「三井の晩鐘(重文 1602年)」です。600円で撞けたのですが、すでに釈迦堂で参拝してしまいました(鐘は参拝前に撞くもの)。しかし他の人が撞いたので聴けました。巨大な鐘ですが、思ったよりも軽快な音色でした。2枚目は「金堂(国宝 1599年)」北政所が再建しました。秘仏ですが堂内で参拝可能です。
「閼伽井屋(重文 1600年)通称「三井の霊泉」 今でもコポコポと水音が致します。2枚目は「霊鐘堂」の通称「弁慶の引摺鐘(重文 奈良)」引き摺った傷跡が残ります。
「一切経堂(重文)」1602年に毛利輝元が山口県国清寺から移築したもの。回すことは出来ませんが、近くで拝観できます。
「三重搭(重文 室町初期)」は秀吉が奈良から伏見城へ移築したものを、家康が1601年に寄進。2枚目の「潅頂堂」「大師堂」等も全て遠目に見るだけです。
こんなMAPにも説明されていない門が重文だったりします。風情があって気持ち良く歩けました。
城下みたいです。2枚目は「微妙寺」です。住職のベンツが!(笑)
"厄"を抜いて裏に願い事して吊るします。不動明王は秘仏、十一面観音立像(重文 平安)は「文化財収納庫」にあります。
「文化財収納庫」ここには国宝・重文53点が収納されています。以前はここがCLOSEで拝観を見送りました(館内画像はHPより)
幕末の「鐘楼」です。鐘楼の内部はめったに見れません。左右の階段から登って撞きます。音は三井寺方面に抜ける構造です。
左に「観音堂」、本尊の「如意輪観音」はまたまた秘仏です。正面の(2枚目写真も)「観月舞台」は花見シーズンに入場可となり、夜桜で有名です。
干支おみくじも入手。MAP左下にある「三尾神社」は三井寺に隣接しています。
「本殿」は室町中期の重文です。
鞍馬寺&三井寺、雨の予報が外れて良かった♪ 三井寺は秀吉が壊してしまったので、1600年前後の移築or再建がほとんどです。また、秘仏が多く奈良と比較すると・・・で、この優先順位となってしまいました。ただ、お寺を見ながらの散歩コースとしては秀逸です。
宿は「ホテル&リゾーツ 長浜」ジャパニーズスイート【スタンダード×フランス料理】@27,900円 6年前の「長浜ロイヤルホテル」時代に泊まっていますが、リニューアルされました。綺麗になったー
部屋は広いし快適です。
GOOGLEやクチコミで「洋食が美味い」とありましたが、コスパ的に今一歩です。軽井沢1130にも負けています。
3日目は彦根の「天寧寺(てんねいじ)」へ。彦根城の井伊家ゆかりの寺院です。本殿は工事中でした。
江戸時代と思われる階段を半分残して、隣に新たな階段を設けています。良いですね。
「羅漢堂」1819年 井伊直弼の父、直中は腰元が不義の子を妊娠したため藩の法度として手打ちにしました。後で相手が長男と判明し、心を痛めて五百羅漢を彫らせました。
建屋は修復されていますが、足元はオリジナルっぽい。全527体で色々と見てきた五百羅漢の中では、大きいし彫刻も見事です。
200年以上経ちますが色も僅かに残っています。
全ての像の目にガラスが嵌っています。角度によっては反射するのですが、500体もあるので結構睨まれている感じが致します。
満月の夜とか一人で参拝したら怖いかも。
「天寧寺」はお薦めです。
犬山城~岐阜へ続きます
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