今朝は早朝お仕事があったのでグッスリポンとはいかなかったsachiakiです。
サラリーマンなどで、0時に寝て6時に起きるとかしている人
とにかく尊敬してしまいますわ。
私は最低でも8時間寝ろと言われている人種なので
6時起きじゃ睡眠不足で体力ダダ落ちるんですのじゃ。。
2時間経過
日記を更新しようと思ってこちらを開きつつ、
今日あったことを書こうと思っていたんだけど、
開きっぱなしだったTwitterのタイムラインにて
「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」の更新があったことを知って
思わず日記のことを置いて拝読してきたしだいです。
写真家であることはさておいて、
糸井重里さんとのつながりが深いこともさておいて、
それでもこの人の書く文章には引き付けられて読むことを止められない魅力があるんですよね。
がんを患ったことで死が近くなり、本心で語りかけるからー
というありがちな話でもあるのかもしれませんが
文章の中にある、「オレがオレが」ではなく
読むだろう人(上記の投稿は相談に答えるタイプの読み物なので、相談者)に対して
どこまでも深く心の中に潜り込み、”一番ここを認めてもらいたい”
そういう勘所を見つけるのがうまいのだと思います。
そして相手の心に深く入り込んだ上で一番響いて欲しい言葉を紡ぎ出すので
いつの間にか相談者と同一化している傍観者としての私たちにも
とても心を震わされるのだと思います。
これは「こう言ったらこう」というテンプレートではない受け答えであることや、
自分の考えに執着しているものではないことが心を震わせるのであって、
心を震わせる言葉遣いはこういうものだよ、といった
よく見かける文章とは違うことも引っかかりがなくて良いのだと思います。
ここ数年続いている啓蒙書の変化球で「心理」や「占い」のテクニックで
こういう言葉を紡げば強い言葉遣いとなるから引き込める
というような心のないものとは違うので、ただただ美しいなと感じる次第です。
テクニックというものはとても大切ですし
不器用よりは器用な方が良いのは圧倒的に正しいけれど
テクニックのみで肝心の「伝えるべき心」が抜け落ちていると
言葉が空洞化してしまって陳腐になりがちですよね。
あぁ、こういう話は他でも見たな、
そうだアドラーの本とかにあったな、それの劣化版か……。
みたいなことはありがち……というより、
最近はそんなものばかりな気がします。
そんな中でテクニックとは別次元の相手の心に潜り込む
この圧倒的なスキルというものは
(幡野さんの場合)写真を撮るときに自己を世界に透過して
ひたすら相手の世界に入り込む、
そういった精神世界に住んでいるからこそなのかもしれません。
もう一人うまいなぁって思う人は鴻上尚史さんで
劇作家・演出家ということもあって
人の心の機微をよく理解されている方なのだろうなと感じています。
人の心の機微を知っているということは
人生を俯瞰できることとともに
人の失敗を挙げ連ねて嘲笑う事でも、虚無だと投げ出すことでもない。
そういう力強さを持っているからこそ
人の心を震わす事ができるのだろうなと思います。
思わずここ数日あった心がヘトヘトになる事案を思い浮かべながら
幡野さんや鴻上さんだったらどういう風に俯瞰するだろう
そして鼓舞してくれるだろうか?
なんて考え方をトレースしてみようと試みて
圧倒的な人生経験の少なさや接している人の少なさから
う〜ん、無理ってなっていたところです。
私は理屈馬鹿だから、理屈が通らない人と接するのは超苦手だし、
そこを乗り越える術もまだ得ていません。
家族会議でよく弟とぶつかるところが
「この理想主義者の分からず屋。もっと現実を見ろ」みたいなことで
問題はあるものの、常に現場と離れない弟の経験値には頭が上がらず
ぐぬぬとなってしまうわけです。
理想主義だから人との交際範囲が深くならないのがネックなんだけど
そういうところを看破されているあたり、大変不愉快になったりするw
深く付き合っているわけでもないのに
色々と助けてもらえる得な関係性にあぐらをかいている気もするので
もっとご恩返しはしていかないとなぁ……と常に考えてはいるんです。
できないだけで()
できない言い訳を考えるより、できるようになることを考えろ
っていうのが私のモットーでもあるんだけど
いやはや、難しい時は難しいものですね。
M3については準備をしていったものの「準備が遅すぎ!」ってプンスコされたり
帰宅したらしたで反省会になっていたのでデータベース作ったり
外注見積もりを取ったりしてお疲れモードでしたが、
展示中は目の前で視聴してクスクス笑ってもらえるという至福の時間も過ごすことができ
大変楽しゅうございました。
実家関連に関しては、年明けをメドに母を入院させようという話が家族+関係者会議で決まり
これまた作らなくてはならない書類などでドッタンバッタンしそうです。
哲学地獄イベントは私とスタジオ担当者さんの間で
スケジュールの誤認があってゲストさんにご迷惑をおかけしてしまったりもしましたが
イベント自体は概ね好調で小さいイベントならではの暖かさを感じてきた次第です。
欲を言うならば、もう少しお客さんがいらしてくれればスタジオやゲストさんにも利益となるので
私も頑張らにゃぁいかんあぁと思っているところ。
もっと目立っても良い、大丈夫という自分への肯定ができれば
なんとなく宣伝とかも力の入れ方とか研究できそうな気もするんだけど
どこかで「目立ってはいけない」「まだまだ全然なっちゃいない」とかいうのがブレーキになって
どうしてもうまく宣伝できない弱さを痛感しているところ。
「フロントマンじゃない」という逃げたい心が強すぎるんでしょうね。
いっそ華のある目立つ人を全部いったんミュートして
この中でなら発言できる、という環境を作ってみて
それでどうにかなるかやってみようかなぁ。
インターネッツには雲の上の人も地上にいるぶん
地上の自分が同じ土俵にいるなどおこがましい
という謎の心理が働いてしまうので。
そんな感じ。
そろそろお腹も空いてきたのでこの辺にて。
そんじゃまた明日。モイモイ。
サラリーマンなどで、0時に寝て6時に起きるとかしている人
とにかく尊敬してしまいますわ。
私は最低でも8時間寝ろと言われている人種なので
6時起きじゃ睡眠不足で体力ダダ落ちるんですのじゃ。。
2時間経過
日記を更新しようと思ってこちらを開きつつ、
今日あったことを書こうと思っていたんだけど、
開きっぱなしだったTwitterのタイムラインにて
「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」の更新があったことを知って
思わず日記のことを置いて拝読してきたしだいです。
写真家であることはさておいて、
糸井重里さんとのつながりが深いこともさておいて、
それでもこの人の書く文章には引き付けられて読むことを止められない魅力があるんですよね。
がんを患ったことで死が近くなり、本心で語りかけるからー
というありがちな話でもあるのかもしれませんが
文章の中にある、「オレがオレが」ではなく
読むだろう人(上記の投稿は相談に答えるタイプの読み物なので、相談者)に対して
どこまでも深く心の中に潜り込み、”一番ここを認めてもらいたい”
そういう勘所を見つけるのがうまいのだと思います。
そして相手の心に深く入り込んだ上で一番響いて欲しい言葉を紡ぎ出すので
いつの間にか相談者と同一化している傍観者としての私たちにも
とても心を震わされるのだと思います。
これは「こう言ったらこう」というテンプレートではない受け答えであることや、
自分の考えに執着しているものではないことが心を震わせるのであって、
心を震わせる言葉遣いはこういうものだよ、といった
よく見かける文章とは違うことも引っかかりがなくて良いのだと思います。
ここ数年続いている啓蒙書の変化球で「心理」や「占い」のテクニックで
こういう言葉を紡げば強い言葉遣いとなるから引き込める
というような心のないものとは違うので、ただただ美しいなと感じる次第です。
テクニックというものはとても大切ですし
不器用よりは器用な方が良いのは圧倒的に正しいけれど
テクニックのみで肝心の「伝えるべき心」が抜け落ちていると
言葉が空洞化してしまって陳腐になりがちですよね。
あぁ、こういう話は他でも見たな、
そうだアドラーの本とかにあったな、それの劣化版か……。
みたいなことはありがち……というより、
最近はそんなものばかりな気がします。
そんな中でテクニックとは別次元の相手の心に潜り込む
この圧倒的なスキルというものは
(幡野さんの場合)写真を撮るときに自己を世界に透過して
ひたすら相手の世界に入り込む、
そういった精神世界に住んでいるからこそなのかもしれません。
もう一人うまいなぁって思う人は鴻上尚史さんで
劇作家・演出家ということもあって
人の心の機微をよく理解されている方なのだろうなと感じています。
人の心の機微を知っているということは
人生を俯瞰できることとともに
人の失敗を挙げ連ねて嘲笑う事でも、虚無だと投げ出すことでもない。
そういう力強さを持っているからこそ
人の心を震わす事ができるのだろうなと思います。
思わずここ数日あった心がヘトヘトになる事案を思い浮かべながら
幡野さんや鴻上さんだったらどういう風に俯瞰するだろう
そして鼓舞してくれるだろうか?
なんて考え方をトレースしてみようと試みて
圧倒的な人生経験の少なさや接している人の少なさから
う〜ん、無理ってなっていたところです。
私は理屈馬鹿だから、理屈が通らない人と接するのは超苦手だし、
そこを乗り越える術もまだ得ていません。
家族会議でよく弟とぶつかるところが
「この理想主義者の分からず屋。もっと現実を見ろ」みたいなことで
問題はあるものの、常に現場と離れない弟の経験値には頭が上がらず
ぐぬぬとなってしまうわけです。
理想主義だから人との交際範囲が深くならないのがネックなんだけど
そういうところを看破されているあたり、大変不愉快になったりするw
深く付き合っているわけでもないのに
色々と助けてもらえる得な関係性にあぐらをかいている気もするので
もっとご恩返しはしていかないとなぁ……と常に考えてはいるんです。
できないだけで()
できない言い訳を考えるより、できるようになることを考えろ
っていうのが私のモットーでもあるんだけど
いやはや、難しい時は難しいものですね。
M3については準備をしていったものの「準備が遅すぎ!」ってプンスコされたり
帰宅したらしたで反省会になっていたのでデータベース作ったり
外注見積もりを取ったりしてお疲れモードでしたが、
展示中は目の前で視聴してクスクス笑ってもらえるという至福の時間も過ごすことができ
大変楽しゅうございました。
実家関連に関しては、年明けをメドに母を入院させようという話が家族+関係者会議で決まり
これまた作らなくてはならない書類などでドッタンバッタンしそうです。
哲学地獄イベントは私とスタジオ担当者さんの間で
スケジュールの誤認があってゲストさんにご迷惑をおかけしてしまったりもしましたが
イベント自体は概ね好調で小さいイベントならではの暖かさを感じてきた次第です。
欲を言うならば、もう少しお客さんがいらしてくれればスタジオやゲストさんにも利益となるので
私も頑張らにゃぁいかんあぁと思っているところ。
もっと目立っても良い、大丈夫という自分への肯定ができれば
なんとなく宣伝とかも力の入れ方とか研究できそうな気もするんだけど
どこかで「目立ってはいけない」「まだまだ全然なっちゃいない」とかいうのがブレーキになって
どうしてもうまく宣伝できない弱さを痛感しているところ。
「フロントマンじゃない」という逃げたい心が強すぎるんでしょうね。
いっそ華のある目立つ人を全部いったんミュートして
この中でなら発言できる、という環境を作ってみて
それでどうにかなるかやってみようかなぁ。
インターネッツには雲の上の人も地上にいるぶん
地上の自分が同じ土俵にいるなどおこがましい
という謎の心理が働いてしまうので。
そんな感じ。
そろそろお腹も空いてきたのでこの辺にて。
そんじゃまた明日。モイモイ。