今日は初詣をしよう!と心に決めていたので
起きてから一本映画「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 劇場版」を見て
そのあとドラクエウォークをする道すがら近所の神社へ出かけてきたsachiakiです。
さて。
今日は早くも今年最初のズーンとした気分に陥っていました。
いやさ、ここ半年の間で自分とは世界の違う人たちがいるってことを
改めて感じることが増えたというか実感したというか、
まぁそういうもんよね〜って思ってはいたものの
自分の身近にはいないぶんファンタジーの世界のようなもの
みたいに感じて安心していたところがあったのだけど、
そこまで遠くはない人たちに
そういった隔絶の橋の向こうの人がいるってことに気づいて
息を飲んだって感じなんですわ。
いわゆる下方の人たちってのは
自分に取っても実感があるし、
いつでもその世界に足が踏み込んでもいいように
心構えぐらいはしておこうって、
区役所のこととか情報を集めておいてはいたんだけど、
上方の人たちの方は自分とは関わりないから
そんな情報いらんよなって切り捨ててたりしてたんですね。
だけんど、時折自分の隣に座る人の中に
そういったとんでもない世界の人がいるってことに気づき、
怖いって感じてしまったんですね。
”憧れ”とかじゃなくて”怖い”って。
この人たちは溶け込んで暮らしているけれど、
私たちとは違ったお金の世界で生きていて
同じ通貨を使っているのに目減りがしないどころか
使えば増えていくような世界に住んでいる。
それがとてつもなく恐ろしいと感じてしまったのです。
交わっていなければ、それはそれで感じることもなかった金銭感覚や
人間関係の常識なども、交わってしまうことで
より深く違いを感じ取ってしまったというか。
で、なんでそんなことでズーンとしているかって?
どんだけ政治が動こうと、どんだけ思想が流行ろうと
上にいる人たちは変わらないし、
ゆるやかな流動があって、ときに上方へ食い込む人もいれば
下方へと落ちてしまう人もいるんだろうけれど
世界は変わらないんだなぁって思ったってことです。
むしろ強固にお金の流れは分断へと走り続けるし
格差のつけられるものはどんどん深化していくんだなぁと
お正月早々に考え込んでしまったのでした。
なにかを作ったり発表したりすることが
あまりに虚しくなってしまったというか、
そんなもんだろって割り切れないというか、
あぁ、もう本当に面倒臭いです(ノ∀`)アチャー
と、そんなことを書きたくて日記のタイトルをつけたんじゃなかった。
今日はご近所の神社に行ってきたんですよ。
私の住んでいるあたりは戦国時代あたりの大名に
ゆかりのあるものなどがちょいちょいあって、
その神社もそんな時代を感じることができるモチーフがあったりします。
もっと古い年代の神社もあるんだけど、今年はまた別の機会に。
今回参拝した方の神社は
それほど大きな神社でもないし、
元旦でもないからそんなに人もいないだろう
なんてタカをくくっていたんだけど、
行列ができるようなものではなかったとはいえ
想像以上に参拝者がいて驚きました。
参道にいる人を整列させるための警備員さんのような人もいて
たぶん朝方なんかはそれなりに人出があったのかもしれません。
さて、本堂にお参りして、年始に神社来てやることといったら
お み く じ
ですよね?
もちろんやりましたよ。
健康運に「スタミナ不足」と出るような「吉」が出ました。
胃腸の弱さを指摘されたかのようですね。
その他は特筆することないので割愛です。
旅先に喜びありとあったので、密かに行きたいな〜と考えいる場所へ
訪問する方法を考えてみても良いのかな?
なんてことを思ったりしてました。
まぁそこへ行くには「神様に呼ばれないといけない」と
言われているようなところなので
行けないんだろ〜な〜ってことも感じつつ。
もし行けるようなことがあれば
ちょっと何かが変わったりするんですかね?
主に気持ちの方面で。
色々と思うところはありますが
人を踏みにじることなく、願いを叶える方法はないか
諦めずに考えてみようと思います。
と。課題図書を読まないとならない時間なので
今日もこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ
起きてから一本映画「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 劇場版」を見て
そのあとドラクエウォークをする道すがら近所の神社へ出かけてきたsachiakiです。
さて。
今日は早くも今年最初のズーンとした気分に陥っていました。
いやさ、ここ半年の間で自分とは世界の違う人たちがいるってことを
改めて感じることが増えたというか実感したというか、
まぁそういうもんよね〜って思ってはいたものの
自分の身近にはいないぶんファンタジーの世界のようなもの
みたいに感じて安心していたところがあったのだけど、
そこまで遠くはない人たちに
そういった隔絶の橋の向こうの人がいるってことに気づいて
息を飲んだって感じなんですわ。
いわゆる下方の人たちってのは
自分に取っても実感があるし、
いつでもその世界に足が踏み込んでもいいように
心構えぐらいはしておこうって、
区役所のこととか情報を集めておいてはいたんだけど、
上方の人たちの方は自分とは関わりないから
そんな情報いらんよなって切り捨ててたりしてたんですね。
だけんど、時折自分の隣に座る人の中に
そういったとんでもない世界の人がいるってことに気づき、
怖いって感じてしまったんですね。
”憧れ”とかじゃなくて”怖い”って。
この人たちは溶け込んで暮らしているけれど、
私たちとは違ったお金の世界で生きていて
同じ通貨を使っているのに目減りがしないどころか
使えば増えていくような世界に住んでいる。
それがとてつもなく恐ろしいと感じてしまったのです。
交わっていなければ、それはそれで感じることもなかった金銭感覚や
人間関係の常識なども、交わってしまうことで
より深く違いを感じ取ってしまったというか。
で、なんでそんなことでズーンとしているかって?
どんだけ政治が動こうと、どんだけ思想が流行ろうと
上にいる人たちは変わらないし、
ゆるやかな流動があって、ときに上方へ食い込む人もいれば
下方へと落ちてしまう人もいるんだろうけれど
世界は変わらないんだなぁって思ったってことです。
むしろ強固にお金の流れは分断へと走り続けるし
格差のつけられるものはどんどん深化していくんだなぁと
お正月早々に考え込んでしまったのでした。
なにかを作ったり発表したりすることが
あまりに虚しくなってしまったというか、
そんなもんだろって割り切れないというか、
あぁ、もう本当に面倒臭いです(ノ∀`)アチャー
と、そんなことを書きたくて日記のタイトルをつけたんじゃなかった。
今日はご近所の神社に行ってきたんですよ。
私の住んでいるあたりは戦国時代あたりの大名に
ゆかりのあるものなどがちょいちょいあって、
その神社もそんな時代を感じることができるモチーフがあったりします。
もっと古い年代の神社もあるんだけど、今年はまた別の機会に。
今回参拝した方の神社は
それほど大きな神社でもないし、
元旦でもないからそんなに人もいないだろう
なんてタカをくくっていたんだけど、
行列ができるようなものではなかったとはいえ
想像以上に参拝者がいて驚きました。
参道にいる人を整列させるための警備員さんのような人もいて
たぶん朝方なんかはそれなりに人出があったのかもしれません。
さて、本堂にお参りして、年始に神社来てやることといったら
お み く じ
ですよね?
もちろんやりましたよ。
健康運に「スタミナ不足」と出るような「吉」が出ました。
胃腸の弱さを指摘されたかのようですね。
その他は特筆することないので割愛です。
旅先に喜びありとあったので、密かに行きたいな〜と考えいる場所へ
訪問する方法を考えてみても良いのかな?
なんてことを思ったりしてました。
まぁそこへ行くには「神様に呼ばれないといけない」と
言われているようなところなので
行けないんだろ〜な〜ってことも感じつつ。
もし行けるようなことがあれば
ちょっと何かが変わったりするんですかね?
主に気持ちの方面で。
色々と思うところはありますが
人を踏みにじることなく、願いを叶える方法はないか
諦めずに考えてみようと思います。
と。課題図書を読まないとならない時間なので
今日もこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ