昨晩正月早々からの禅問答的な問いを投げられて
ずっと考え続いていたsachiakiです。
いわく、
35歳を超えると異性と会話をするだけでもお金を払わなくてはならない
というバズツイに対して深夜のトークチャットで
だらだらとおしゃべりしていました。
私の見解として、男性”らしい”人のコミュニケーションというのは
待ちのコミュニケーションで広げようとする努力が浅い、
そして自分から話しかけていこうとする意思が薄弱で
コミュニケーションを取る気がない人が多い気がする。
というもので、例外的にリーダー気質だったり
協調性を試される部署にいるような人たちは
群れの心理を知っているからか自らコミュニケーションをとっていこうとするし
コミュニケートを大事にするような場にもどんどん出向いていくけれど
そうでない人はわざわざリスクを取ってまで人と会話をしようとしないし、
広げる努力もしないね、って話をしていました。
だからこそコミュニティがなく人と話す機会がどんどん削がれていくのだろうなと。
それでも趣味がある人は趣味のコミュニティで繋がっていけるけれど
35歳ぐらいというと趣味を持っていなかった場合
そこから新しい趣味を始めるにはリソースが足りないというか、
好奇心が元来強いタイプ以外には難しいってことらしく
いよいよ自分のコミュニティの範囲が狭まってしまう…
というよりもなくなっていってしまう、ってことがあるねと。
そうなると、上記のような何をするにもお金がかかるような状態になってしまうと。
そんな話をしていたら、
「変わらなくちゃいけないっていうのはおかしい」と返事がきたので
いや、変わらなくてもいいけれど、それは変わらないってものがあるだけだ
って話をしてました。
というよりも「変わっていない」って思うのは自分の内面だけで
時間が経てば経つほど外見や、それにまつわるものっていうのは
下方修正されていくので”変化がつきもの”なんですよね。
どんだけ気持ちが若くいても、髪は抜けたりするし、
歯の色だって黄ばんできたり、毛穴が目立ってきたりと変わるし、
言葉遣いなども周りはどんどん進化していくのに
変わらないままでいると古くなっていってしまうんですよね。
だから新しくしていくつもりでちょうど良いってことにもなる。
そういうわけで、”変化”がものごとを良くする方への”特効薬”であるわけじゃないけれど
しなければ現状維持どころか、悪化の一途ということなのだよな
なんてことを思っていたところです。
とはいえ、変わらないことの良さ(周りは変わっていくけれど)というのもあり、
その純化しているものの強さというものの魅力ってものもあるんだけど、
それが本人が生きている最中に他の人が認めてくれるものと合致するかは
ほとんど運が占めるものなだけに大博打に近いし
報われるかどうかはさらに分からんぞって感じなのですよね。
報われなくてもイイから自分の信じたものを貫いて変化せずにいくのか、
どこかで報われたいから迎合されるようなものへ変化していくのか、
自分をどこまで曲げられるか?みたいな話でもあるんだけど、
たぶん変化に強い人が魅力的だし、生きやすいのだと思います。
とはいえ、あんまり世の中の動きに合わせるばかりで
その人自身がないかのように変化の激しい人だと
それはそれでなんなのだろう?とも思うので
その辺のさじ加減がその人の個性になるのかもしれないですね。
変化が少なければ頑固になるし、変化が多ければ軽薄な印象になるような。
とりあえず現状に不満があるのにgdgd言っている暇があるなら
動いた方がマシだろ?っていうのが私の気持ちです。
周りが変わってくれることを期待してても
変化がいつ訪れるか分からんもんね。
もちろん、自分が動いたところでどうにもならないこともあるし、
動いたことでより悪化することもあるけれど、
変化を恐れずにいきたいですね、って感じです。
さて。
大体の人たちは今日から仕事始めだったかと思いますけれど
いかがでしたか?
昔は挨拶回りで1日が潰れる日ってイメージで
お休みの延長線って感じでしたけれど
今はどんな感じなのでしょうか?
フリーランスはとくにそういった大きな節目はないので
ジワリジワリとお仕事を再開したところです。
今月もうまく生き延びたいです。
さ、今年もがんばりましょうね!モイモイ
ずっと考え続いていたsachiakiです。
いわく、
35歳を超えると異性と会話をするだけでもお金を払わなくてはならない
というバズツイに対して深夜のトークチャットで
だらだらとおしゃべりしていました。
私の見解として、男性”らしい”人のコミュニケーションというのは
待ちのコミュニケーションで広げようとする努力が浅い、
そして自分から話しかけていこうとする意思が薄弱で
コミュニケーションを取る気がない人が多い気がする。
というもので、例外的にリーダー気質だったり
協調性を試される部署にいるような人たちは
群れの心理を知っているからか自らコミュニケーションをとっていこうとするし
コミュニケートを大事にするような場にもどんどん出向いていくけれど
そうでない人はわざわざリスクを取ってまで人と会話をしようとしないし、
広げる努力もしないね、って話をしていました。
だからこそコミュニティがなく人と話す機会がどんどん削がれていくのだろうなと。
それでも趣味がある人は趣味のコミュニティで繋がっていけるけれど
35歳ぐらいというと趣味を持っていなかった場合
そこから新しい趣味を始めるにはリソースが足りないというか、
好奇心が元来強いタイプ以外には難しいってことらしく
いよいよ自分のコミュニティの範囲が狭まってしまう…
というよりもなくなっていってしまう、ってことがあるねと。
そうなると、上記のような何をするにもお金がかかるような状態になってしまうと。
そんな話をしていたら、
「変わらなくちゃいけないっていうのはおかしい」と返事がきたので
いや、変わらなくてもいいけれど、それは変わらないってものがあるだけだ
って話をしてました。
というよりも「変わっていない」って思うのは自分の内面だけで
時間が経てば経つほど外見や、それにまつわるものっていうのは
下方修正されていくので”変化がつきもの”なんですよね。
どんだけ気持ちが若くいても、髪は抜けたりするし、
歯の色だって黄ばんできたり、毛穴が目立ってきたりと変わるし、
言葉遣いなども周りはどんどん進化していくのに
変わらないままでいると古くなっていってしまうんですよね。
だから新しくしていくつもりでちょうど良いってことにもなる。
そういうわけで、”変化”がものごとを良くする方への”特効薬”であるわけじゃないけれど
しなければ現状維持どころか、悪化の一途ということなのだよな
なんてことを思っていたところです。
とはいえ、変わらないことの良さ(周りは変わっていくけれど)というのもあり、
その純化しているものの強さというものの魅力ってものもあるんだけど、
それが本人が生きている最中に他の人が認めてくれるものと合致するかは
ほとんど運が占めるものなだけに大博打に近いし
報われるかどうかはさらに分からんぞって感じなのですよね。
報われなくてもイイから自分の信じたものを貫いて変化せずにいくのか、
どこかで報われたいから迎合されるようなものへ変化していくのか、
自分をどこまで曲げられるか?みたいな話でもあるんだけど、
たぶん変化に強い人が魅力的だし、生きやすいのだと思います。
とはいえ、あんまり世の中の動きに合わせるばかりで
その人自身がないかのように変化の激しい人だと
それはそれでなんなのだろう?とも思うので
その辺のさじ加減がその人の個性になるのかもしれないですね。
変化が少なければ頑固になるし、変化が多ければ軽薄な印象になるような。
とりあえず現状に不満があるのにgdgd言っている暇があるなら
動いた方がマシだろ?っていうのが私の気持ちです。
周りが変わってくれることを期待してても
変化がいつ訪れるか分からんもんね。
もちろん、自分が動いたところでどうにもならないこともあるし、
動いたことでより悪化することもあるけれど、
変化を恐れずにいきたいですね、って感じです。
さて。
大体の人たちは今日から仕事始めだったかと思いますけれど
いかがでしたか?
昔は挨拶回りで1日が潰れる日ってイメージで
お休みの延長線って感じでしたけれど
今はどんな感じなのでしょうか?
フリーランスはとくにそういった大きな節目はないので
ジワリジワリとお仕事を再開したところです。
今月もうまく生き延びたいです。
さ、今年もがんばりましょうね!モイモイ