子供のころはクレヨンと紙片を与えていれば
おとなしくずっと絵を描いていたらしいsachiakiです。
5歳ぐらいになると絵を描くだけじゃなく
絵本もずっと読んでいたみたいですが
今でもよく覚えているのは
私がまだ保育園で6歳を迎えた頃に
小学生のお姉さんが近所にいてて
その人が描いた絵を見て「女の子の形をしている!!!」
って衝撃を受けて自分も真似したってやつなんですよね。
今その時の衝撃を受けた絵を思い出しても
長方形の塊で人形の形とポニーテールなどの髪型が分かるくっつき方をしていて
顔も長方形の中に収まっているってだけの
いわゆる小学生の絵なんですけれど、
保育園時代の私にとって、それは黒船到来ぐらいの衝撃だったんですよね。
絵本とか読んでいたから、そこからインスパイアされるんじゃないかと
今ならそう考えちゃうのですけれど、
自分の力量のちょっと上ってぐらいからの方が
影響を受けやすいのかもしれません。
器が小さい。おちょこ!おちょこの裏!って感じねw
もっと壮大な絵から影響受ければ違ってたのかもなのにww
まぁそんなことは今更ですし、
なにはともあれその影響があったおかげで
小学校に上がった頃には「絵がうまい」と周りに褒められ
絵を描いて欲しいとたくさんの級友にせがまれたもので
三つ子の魂百まで…とは違うけれど、
最初に褒められたものをずっと心の拠り所にしているってわけですね。
で、その時のイメージに引きずられたまま
絵やその周辺となるデザインを続けているわけですが
当然心をへし折られてきたことなんて何十回、何百回とあるわけですわ。
中学校に入ってすぐの写生大会で自分は入選すらしなかったのに
私よりもだいたんでザックリとした絵で優秀賞を取られたり
入部した部活の先輩の方がうまかったり(そりゃそうじゃ)して
その悔しさから休み時間はクラスメイトを観察しながらクロッキーをし始めたり。
決定的だったのは専門学校に入った時で
入学してすぐに、もう自分とは格が違う人たちが同じ年でゴロゴロしていて
自分は下から数えた方が早い実力だと思い知ったこと。
明らかに絵筆の使い方も違うし、デッサンの力も全然違う。
専門学校を出たらイラストを描く仕事に就くんだ!って意気込んで入学していただけに
あの絶望感は思い出しても胃の中がひっくり返りそうになります。
まぁ半年ぐらいすると元々の性格が雑なおかげか
人とは違うところで褒められるところがあると気づいて
そちらの方を伸ばすように、よりデザイン的な方面へと向かっていったんだけど
ともかく怖いと有名だった先生の授業を受けるべく
2年で進路を少し変更したことは英断だったなとだったなぁと。
自分を自分で褒めてみます。気持ち悪いですね。
あの時「怖い先生は嫌だ」って逃げていたら、たぶん今の私はいません。
なんだかんだで怖い先生や上司とはウマが合うので
恐れるほどでもなかったのかもしれないけれど。
ただ私が1年の時に「他の人たちの方が絵がうまい」という挫折をしていなかったら
2年の時に先生に「ここはこうした方がいい」って
言われることにも反抗してたんじゃないかな?って思ったりもするので
人間挫折の回数が多い方が立て直しはしていけるのかもしれません。
怒られるのは嫌だし、自信作にダメ出しされるのは辛いけどね。
というわけで、絵を描くのは自分の自信を育てるためにも
自分の中の心を見つめるためにも良いこっちゃなって思う反面、
下手な自尊心が付いたことで少しでもうまい人を見れば凹むし、
どうして自分には実力がないんだろう…とか
全然イメージが降りてこない時の苦々しさなどで
辛いことばかりでもあったなぁとも思うわけで
これからも「絵を描くのたーのしー!」って言ったそばから
「もう絵なんて描きたくない!デザインもしたくない!!」って
泣きわめいたりするんだろうなって思います。
いっときはデザインが本当に辛くて苦しくて
どーにもならない時に沖縄にまで逃避しに行きましたからね。
現地で独立している友人と「でもデザインが好きでしょ」って話になって
「やっば、デザインズギィ〜〜〜〜」って全ての音に濁音がつくような
そんな思いを背負って帰ってきたものです。
苦しいけれど辛いけれど、それでもデザインが好き。
絵を描くことが好き。
人にはウケないかもしれないけれど
しがみつくには十分な理由があるんですよ。
向いてない、なんて言葉は自分が自分に向けて一番放ってきたし
今更人に言われたところで引き返せるものでもないんですよね。
というわけで今日も今日とてお絵描きに勤しむのです。
深夜が一番イメージが降りてくるからね。
曰く、ただの宵っ張り。
そんじゃまた。モイモイ
おとなしくずっと絵を描いていたらしいsachiakiです。
5歳ぐらいになると絵を描くだけじゃなく
絵本もずっと読んでいたみたいですが
今でもよく覚えているのは
私がまだ保育園で6歳を迎えた頃に
小学生のお姉さんが近所にいてて
その人が描いた絵を見て「女の子の形をしている!!!」
って衝撃を受けて自分も真似したってやつなんですよね。
今その時の衝撃を受けた絵を思い出しても
長方形の塊で人形の形とポニーテールなどの髪型が分かるくっつき方をしていて
顔も長方形の中に収まっているってだけの
いわゆる小学生の絵なんですけれど、
保育園時代の私にとって、それは黒船到来ぐらいの衝撃だったんですよね。
絵本とか読んでいたから、そこからインスパイアされるんじゃないかと
今ならそう考えちゃうのですけれど、
自分の力量のちょっと上ってぐらいからの方が
影響を受けやすいのかもしれません。
器が小さい。おちょこ!おちょこの裏!って感じねw
もっと壮大な絵から影響受ければ違ってたのかもなのにww
まぁそんなことは今更ですし、
なにはともあれその影響があったおかげで
小学校に上がった頃には「絵がうまい」と周りに褒められ
絵を描いて欲しいとたくさんの級友にせがまれたもので
三つ子の魂百まで…とは違うけれど、
最初に褒められたものをずっと心の拠り所にしているってわけですね。
で、その時のイメージに引きずられたまま
絵やその周辺となるデザインを続けているわけですが
当然心をへし折られてきたことなんて何十回、何百回とあるわけですわ。
中学校に入ってすぐの写生大会で自分は入選すらしなかったのに
私よりもだいたんでザックリとした絵で優秀賞を取られたり
入部した部活の先輩の方がうまかったり(そりゃそうじゃ)して
その悔しさから休み時間はクラスメイトを観察しながらクロッキーをし始めたり。
決定的だったのは専門学校に入った時で
入学してすぐに、もう自分とは格が違う人たちが同じ年でゴロゴロしていて
自分は下から数えた方が早い実力だと思い知ったこと。
明らかに絵筆の使い方も違うし、デッサンの力も全然違う。
専門学校を出たらイラストを描く仕事に就くんだ!って意気込んで入学していただけに
あの絶望感は思い出しても胃の中がひっくり返りそうになります。
まぁ半年ぐらいすると元々の性格が雑なおかげか
人とは違うところで褒められるところがあると気づいて
そちらの方を伸ばすように、よりデザイン的な方面へと向かっていったんだけど
ともかく怖いと有名だった先生の授業を受けるべく
2年で進路を少し変更したことは英断だったなとだったなぁと。
自分を自分で褒めてみます。気持ち悪いですね。
あの時「怖い先生は嫌だ」って逃げていたら、たぶん今の私はいません。
なんだかんだで怖い先生や上司とはウマが合うので
恐れるほどでもなかったのかもしれないけれど。
ただ私が1年の時に「他の人たちの方が絵がうまい」という挫折をしていなかったら
2年の時に先生に「ここはこうした方がいい」って
言われることにも反抗してたんじゃないかな?って思ったりもするので
人間挫折の回数が多い方が立て直しはしていけるのかもしれません。
怒られるのは嫌だし、自信作にダメ出しされるのは辛いけどね。
というわけで、絵を描くのは自分の自信を育てるためにも
自分の中の心を見つめるためにも良いこっちゃなって思う反面、
下手な自尊心が付いたことで少しでもうまい人を見れば凹むし、
どうして自分には実力がないんだろう…とか
全然イメージが降りてこない時の苦々しさなどで
辛いことばかりでもあったなぁとも思うわけで
これからも「絵を描くのたーのしー!」って言ったそばから
「もう絵なんて描きたくない!デザインもしたくない!!」って
泣きわめいたりするんだろうなって思います。
いっときはデザインが本当に辛くて苦しくて
どーにもならない時に沖縄にまで逃避しに行きましたからね。
現地で独立している友人と「でもデザインが好きでしょ」って話になって
「やっば、デザインズギィ〜〜〜〜」って全ての音に濁音がつくような
そんな思いを背負って帰ってきたものです。
苦しいけれど辛いけれど、それでもデザインが好き。
絵を描くことが好き。
人にはウケないかもしれないけれど
しがみつくには十分な理由があるんですよ。
向いてない、なんて言葉は自分が自分に向けて一番放ってきたし
今更人に言われたところで引き返せるものでもないんですよね。
というわけで今日も今日とてお絵描きに勤しむのです。
深夜が一番イメージが降りてくるからね。
曰く、ただの宵っ張り。
そんじゃまた。モイモイ