あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

ロマンティストというか半人前というか

2023-03-22 | from:sachiaki
自分のことを青臭いままだなって
失笑してしまうsachiakiです。

昨日見てきた映画の影響で、
まだ頭がぐらぐらしているのですが
映画の感想を書いたおかげか
以前一緒にトークイベントをしてくれた
海外ジャーナリストさんからコメントがあり、
「私も日本で高齢者の性がタブーになっているのが
 不思議だと思っている」ということを書かれていて
その通りだよなぁ、なんてなっていたところで
夜には別件のメッセージが飛んできて
「バーチャル・セックスがこういった諸問題を
 ある程度解決するのではないか?」
なんて話も出てきて、
それぞれ考えている方はいらっしゃるのだなぁ
なんて思ったりしていました。

老後施設と呼ばれるところでの
高齢者同士の恋愛での嵐の話も聞いているし
認知症なことをいいことに
性的な加害もあるというような話も
ちょいちょい聞くようになってきた昨今
”老いてもなお元気”という現実を
そろそろ受け入れていかないとならない時代なんじゃないかな
なんて思うわけです。

老人や子供に「性欲がない」という妄想から
ちゃんと目を覚まして
そういった人たちにも「性欲がある」ということを
真っ向から受け入れて、
じゃぁ自由恋愛から溢れる人たちを
どう掬い上げるのか?
といった話に載せていかないとイカンと思うのです。
これはその世代に限らずな話で、
30代を迎える前に交際相手がいなかった場合
ほぼ3人に1人は交際の経験を持ってないわけで
もはや自由恋愛から溢れている人っていうのは
稀なケースではなくなりつつあるわけですよ。

同性結婚などもそうだけど、
今までの通念だけでボンヤリと
「こうであるはずだ」という社会的経験則が
なんも役に立たない時が来てるってことなので
寝ぼけたこと言うてないで
ちゃんと制度を整えるとかしてかんと
自殺率は上がっていく一方なのに
少子化は進んでいくってことになるんじゃないですかね。

まぁ私は地球人口が爆増しているんだから
国によっては滅ぶところもあるんじゃないの?
あんて悠長なことを思ったりもしてますけど、
大多数の人はそんなことは望んでないわけでしょ?

綺麗なところだけ見てたってしゃーないじゃん。
みんなで幸せになろうよ。
ってマジでそう思います。

こんなことを言うから「甘ったれ」とか
「理想主義」とか「夢見がち」とか言われちゃうんだけど。

汚い部分も含めて、どこまで許容するか
そういった線を引き直さないと
ただ犯罪者が増えるだけってことにもなりかねないでしょ。
(高齢者の売春等)

そんなことを考えていました。

さて、そろそろだいぶサボってしまったので
お仕事に戻ります。
そんじゃまた!モイモイ。
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偽善者めっっっって怒り狂った話

2023-03-22 | from:sachiaki
今日は福祉関係で照準が合いやすい友人と
「茶飲み友達」って映画を見てきたsachiakiです。

この映画は高齢者をターゲットにした
高齢者にさせる売春もので、
これがまぁ、背景が複雑でしてね。
まず、自分達の行き場のなさを抱えた高齢女子に
「誰もが孤独を抱えている」と言ったり
「私たちはファミリーだ」と言ったり
「これは孤独を支える性のパイオニアなのだ」と
甘い言葉で嘯いて覆い尽くし
問題を抱えている人の目を曇らせるんですよね。

「これしかないのだ」と思い込ませ
「私たちは善いことをしているのだ」と
言い聞かせている主人公の
嘘をつく人特有の優しさにイラッとしました。
本当にその人の孤独を癒すためにすることが
売春斡旋でいいのか?

それともそんなことは気にも留めないのかな?

自分が親に反発するために
体を売った経験を昇華するために
他の人を引き摺り込んでいるのか、
とにかく終始映画を見ていて
イライライイライライライライラ……してました。

私は商売に貴賎なしと思っているので
ヘルスでもデリでもソープでもなんでも
その人が考えた末で行うことなら
全然構わないと思っているし、
むしろ性は開放的であった方が
健康的だとも思っているけれど、
行き場のない人を「善いことをしている」
テイで騙して道に嵌め込む人が
大っっっっっっっっっ嫌いなんです。

なによりも「善いこと」と
思い込んでいるところが許せなくて、
ずっと甘い言葉が囁いているシーンが来るたびに
自分の手を握り込んで歯軋りしていたので
今年の怒り全部使い切ったんじゃないか?
って思うほどでした🤣

またストーリーはそれだけでなく
出てきたキャラクターそれぞれの苦悩が
これまた甲乙つけがたいほどに
シンドイものがあって
例)「彼女はいないと言ったが嫁はいないとは言ってない」
  とのたまう男が、若い女の子にできてしまった子の
   認知をしないとか。(おかげで強制認知って言葉を覚えました)

映画の中ではちゃんと最後に摘発されたし
その中で主人公に婦人警官が言ったセリフで
「自分の孤独を他人の孤独で埋めるな」
って言葉は肝に銘じました。

主人公は組織を回していた女の子なんだけど、
その女の子に対して「買春するような娘はいない」
といって拒絶していた母が
逮捕後の面会に来てくれたところなどは
少しだけホッとしたかな。
まぁ「正論」ばかりいう人を上に持つと
下は抑圧されて良くない方へ進むという
典型的なアレだったので、
拒絶していた母も猛烈に毒親だったのが
ニントモカントモなんですけどね。
子供を褒めない親ってどうかと思うよ。
マジで。

そういった”家族に飢えた”人っていうのが
落ちこぼれていってしまうのは
よくある話で、”家族”という飢えを癒すために
偽物の”ファミリー”を作り上げるのも
なんていうかダークゾーンではよくある話だよな。
なんてことをも思ったり。
結局、ただただ寂しいのだよな。

そんなことを思っていたら、
オノ・ナツメの「not simple」って漫画の中で
「本当に感じたいのは、もっと近くの人のぬくもりなのに」
という言葉を思い出しました。

私は考えるんだけど、
多かれ少なかれ人は誰かに「必要とされたい」もんで
その「あなたが必要」って言葉をもらうために
自分を傷つけるってことってあると思うんです。
だけど、それが自分自身をすり減らすものであるかどうか
そこは一度しっかり踏みとどまって
考えた方が良いと思うんですね。
「あなたが(私にとって都合が良いから)必要」
って言う人のなんと多いことか。

まぁそれでも

 騙されていても なにもないよりはずっとマシ

ってものには敵わないのも事実で
これを超えるものがあれば良いのにって思いました。

そして私は支える側につく時に
”私にとって都合がいいから”になっていないだろうか?
そんなことも考えて内省してました。
性の合法化も進めつつも、
判断力を鈍らせて消費するスタイルが
激減すれば良いと願って
私にはなにができるんだろうなぁ
なんてボンヤリしておくことにします。

こんだけ怒り狂ってきたけれど、
すごく良い映画でした。お勧め。

Facebookに書いたら
ウンともスンとも反応がないので
まぁ見てないとコメントもできんかな
なんてことも思いつつ、
反応のなさについて考えるのも面倒臭くなったので
まぁいいやって放置することにしてきましたw

最近反応が鈍いんよねぇ。(twもFBも)
自分の活動をしてない人のSNSなんて
見たくもないか〜
って思ったり思わなかったり。

そんなこんなです。
明日はお店当番なのでそろそろ寝ないとです。
今日はこの辺で!モイモイ。
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