私は人間的にダメ人間だし
現代倫理的にアウトな感覚も持っているので
ぶっちゃけ人様のことをなにか偉そうに説教できるの?
って思うことがいっぱいなんですけれど
それでも自分のことを棚に上げてでも
なにかを語らないとならないことって
きっとあるんだろうなぁ
なんてハンナ・アーレントの生涯や
カール・マルクスの逸話などを読むと
そんなことを思わせられるsachiakiです。
棚に上げてでも語らなくちゃならないこと
ってのが今のところないので
カケラ程度の話をタラタラ書いたりしてるんですけれど、
それでもなにかを感じてもらえるようで
私の周りで人としての温もりを失った人がいないのは
とってもありがたい話だなぁ
なんてことも思ったりしています。
今風に言うならエンパスってのに近いんでしょうけどね
繊細な人たちのような世に対する過敏さはないけれど
人の感情にあてられやすいので
なるべくマイナスな感情を持っている人のそばには寄らないとか
そういう危機回避はしています。
ただそうすると、マイナスなものに引っ張られて
崖っぷちの人に対して近寄れないというジレンマが生じるので
これが自分の中でも厄介なんですよね。
カウンセラーをされる方たちは
そういった人たちに共感はするけれど
引き込まれないようにする心のプロテクトを
高める方法を身につけるそうなので
私もそういったものを身につけたいな
って思うんですけれど、
いまいちその方法論が見つからないので
師事しないと言外不出で見つからないものなのかんかな?
なんて勘繰ってしまったり。
まぁもっと専門の本を読みなさいよってことなんでしょうけどね。
自他の境界線をちゃんと引くことを覚える。
これに限るんだけど、
性格的に線の引き方が下手くそなのよね。
ちょうど今「ムーミンパパの思い出」を読んでいるのですが
その中に出てくるフレドリクソンという
パパの大親友が口数が少ないのと
すごく頼られているせいか
ちょっとでも黙ったりすると
他の人が「自分が失礼を働いてしまったせいか?」
って思わせてしまうところがあって
怒っているわけじゃないと意思表示をしないと
ならないシーンなどあって
わかるーーーってなったりしてました。
昔から「怒ってる?」って聞かれたり
妙に慎重に扱われる時があるので
なんかそういった気配を出してしまっているんだろうな
って思ったりもしています。
というわけで、なるべく偉そうに見えてしまいそうな発言とかは
控えているつもりなんですけれど
「弱いものいじめなんて絶対に許せない性格でしょ?」って
言われたりするので
漏れ出ているものがあるんでしょうね。
言われなくても、いじめなんて許しませんけど。
ただダメ人間であることも確かだし、
現代倫理的にアウトな感覚も持ってると
先に書いた通りなので
美しく生きることの難しさよ……
なんて理想主義の自分は悩んでしまうのです。
自分のダメさはダメさとして解決していく道筋を考えつつ
自分の考えている「マシな方」を模索するしかないですわね。
それぐらいしか出来ないわ。
人様に影響を与えられるなんて大それたことも考えずに。
粛々と。
ー孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく
林の中の象のように
それではお仕事に戻ります。
モイモイ!