あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

乱を起こせるものになろう:なれない

2019-03-07 | from:sachiaki
お、ちょっと怖いこと話そうとしてる?
って引かれた人、ご安心ください。
別に「喧嘩っ早くなれ」という話をしようとしているわけではありませんw
ここ数日論語の世界にどっぷりハマっているsachiakiです。

論語は楽しいよ〜。
その大元になる儒教はあまり好きじゃないけれど
(老子も「礼ってたんなる型じゃん」ってバカにしてたし)
何かから解き放たれて人とコミュニケーションをしていくには
やはり「礼」はとても大切なんじゃよ。
孔子は儒教を元に展開しているけれど
たぶん言っていることは「道」に通じる話をしているので
老子ともうまくやったんじゃないかなぁ。
優等生な孔子と、のんびり人生を楽しんでいる老子、
どちらが好きかといえば私は老子だけど
今回はその辺を割愛します。

話が少し逸れてしまった。

論語は「忠恕」が本質であるとよく言っているんだけど、
「忠恕」の言葉を分解すると
「忠」は「心の中にある」で「恕」は「心の如し」なので
自分から意志(見方)が離れていかないことを指しているのだそうです。
これは自分勝手だとかそういう意味ではなく、
自分の手の届く範囲のことを常にして
いきなり「世を正そう!」とかいうような誇大妄想になるのではなく
自らを正し、自らの範囲で良い流れを作っていくという
心の持ち方について述べているのだと思いました。

で、そういう「忠恕」を持つ人間は
親孝行ができている人間であり、
親孝行とは親が亡くなった時に3年は喪に伏せることができる
親への愛を持つ人間で(3年喪に付せられない時は、
親がそもそも3年の愛を注いでなかったのだから仕方ないね、と解釈するそうです)
そういう人間は人を諌める時にも揉めることなく上告することができるし、
上告できるような人間だから礼儀を尽くした議論が起こせるのだと。
礼を欠かない議論が「乱」であり、「乱」を起こせる人間は
常に「勇」を持っているわけで
(昔は上告するだけで首を刎ねられる可能性があるわけで、命がけですよね)
そういう「勇」を持つものは「仁(人を愛する心とでも訳しましょうか)」を持っているものだと
述べているのだそうです。

「乱」一つとって、ここまで長い解釈が必要なのか?と思うけれど、
そのくらい一つも物事には凝縮して連鎖しているものが潜んでいるということなので
最近の流れみたいに「三行で分かりやすく!」なんて言っていると
その背景が削り取られていって、
受け取るものがスッカスカになっていってしまうんじゃないかなって思いました。
(大事なことは三行で収まるものであることも大事なんだけどさ)

そんなわけで、「乱」をいつでも起こせるようにならないとなぁと思いつつ、
自分はまだ「礼」を身につけておらんのだなと
足りないことを自覚したわけです。

いやさ、何度も書き続けているけれど、
私がかなり悩みながらお付き合いしている団体の代表さんがねぇ、
かなり気まぐれなので、地雷がどこにあるか分からないのですわ。
だからこそ、この地雷を避けながら忠告ができるようにならないとなぁと
思ったりなんだったりするわけですわー。

まぁこれも会話術という奴に昇華されて
いろんなビジネスマンが読んでいるのでしょうけどね。

とりあえずそんな感じです。
論語の中のたった一つの句でここまで語れるのだから
やっぱすごいですわ。

元の句はこちらですので、
もっと詳しく!という人はコピペしてみて調べてみると良いと思いますよ。

有子曰。其爲人也孝弟。而好犯上者。鮮矣。不好犯上。而好作亂者。
未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者。其爲仁之本與。
-学而第一 2 有子曰其爲人也孝弟章

有子(ゆうし)曰、其の人と為や孝弟(こうていに)して、
上(かみ)を犯すを好む者は鮮(すく)なし。上を犯ことを好まずして、
乱を作(な)すを好む者は未(いま)だ之(これ)有(あらざるなり)。
君子は本(もと)を務む。本を立ちて道(みち)生ず。
孝弟なる者は、其れ仁の本と為(たる)か。

そんじゃまたねー!モイモイ
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「オンラインサロン」という言葉の裏にある邪悪さについて

2019-03-06 | from:sachiaki
今日はずっと語っていました。
どうも、また方々にケンカ売っているようなブログでごめんなさい。
ちゃんとやっている人はやっていると思うので、
私が思う「オンラインサロン」は最近跋扈してきた
商材を情報にした詐欺まがいな人たちについてなんですよ!
と。
一応書いて予防線を張っておくsachiakiです。

小賢しいねぇ。
どうせ二、三行でほぼ全部をひっくり返すんだろ?
って読まれているのでしょうけれどw

いやさ、情報だってすごく頑張って集めて編纂して
やっとの思いで到達できました!
っていうものだったらね、
そりゃお金を回収するのは当然だと思うし
そりゃ多くの人の目に触れて欲しいっていうのも分かるんだけど、
最近の「オンラインサロン」ってヤツはさ、
「学問のすゝめ」的にいう「塾」というのとは違って
囲い込みのネズミ講にしか見えない訳で
なんでお前らちょっと調べて勉強すれば事足りるようなことを
「あそこに行けば揃うから」って期待して
ただでさえ自分で頑張ったお金を
さらに儲けたろ〜ってしてる人たちにお布施してんの!?
ってなるわけです。

指導者がいないとダメなの?
ノウハウって大切なのはわかるけれど、
それってそのサロンで手に入るものなの?

もうね、そういったモヤモヤがめちゃくちゃ
私の中でピークってたところで
昨日の夜に安富歩先生がYoutube liveで
「論語チャンネル」というライブをしてくれたのですわ。

論語チャンネル安冨歩 のライブ ストリーム


ここでね。
もう、今の学習システムの脆さについて
ギタギタに打ちのめしてくれてたので痛快でしたw

それでもまだ「全部飲み込めた!」
っていうほど簡単な話をされていたわけではないので
あと3回くらいは見てこようと思っています。

ほんでな。
本当に「世の中を良くしよう!」って思ってる人っていうのはさ
囲い込まないのよ。オープンなのよ。
そして引きこもらない。
隠棲したいだなんて、野にいるだけなら野生人と変わらない。
世の中にいるからこそ理性ある人間なのだ
って孔子様もおっしゃっているわけです。

そういえばカラマーゾフのゾシマ長老も似たようなことを
アリョーシャにおっしゃっていましたな。

別にね、ありがたかっている分にはそれを否定しようとは思わないし、
その教祖的ポジションにいる人に対しては
商人として意地汚さに感心し、尊敬の念を抱くわ〜って思うんだけど、
「わしはゼニが好きじゃ。だからいっぱい稼がせてくれろ」
っていうなら天晴れなんだけど、
だいたい綺麗な言葉に包んで
「〜のためには、こういったことが必要なのです!今こそ私たちの仲間になって云々」
みたいになると

ハァ、それで?

ってなっちゃうわけ。
あなたの品性が透けて見えちゃってるんだよね〜って思うもの、
商材として誠実でないものっていうのからは、
やっぱり身を引いてしまうわけです。

こういうこと書く人って面倒臭いですよね。
自分でもそう思うw
だからお前は儲ける才能がないな
もっとおもねれば良いのにな、
って分かってはいるんですよ!

いわゆる処世術が身についてないってことで

「大人になれよ」

と言われてしまう由縁なのでしょう。

でもね。
プラネテスを再読したからこそ言える

「そんな大人になんかなんねーよ」

私の思う大人はそういうもんじゃない。
処世術だとか、自分だけがパイを分けずに一人勝ちしたいとか
そういうのじゃないんです。

私が思う大人は、人に分け与えることのできる人です。
そして希望を捨てない人のことです。
明日この世が滅びるとしてもリンゴの苗を植えるような人のことを指します。

分け与えるにも限界があるし、
自分を無理することなんてないと思うけれど
自分だけが良い思いをすることを考えているような
幼稚な発想でなければ良いと思います。

まぁある意味ブーメランにもなるところはあるんだけど……。

私だって儲けたいよ。
そしてその儲けたものでやりたいこといっぱいあるよ。

だから少しの意地汚さくらいはインストールしなくてはならないのかもな?
って思ったりもするさ。

ほんと、大人になるのって難しですね。
少なくとも「美しく生きよう」とし過ぎて心を壊すくらいなら
清濁併せ呑んだ方が良いのだろうとも思います。

あぁ、悩ましいなぁ。
私はただ愉快に生きて、他の人たちとも楽しくいたいだけなんだけどな〜。

そんなこんなです。
さて、そろそろ日付を超えそうなのでこの辺にて。
おやすみなさい。モイモイ
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未来のことを考えている

2019-03-05 | from:sachiaki
いや、正確には将来のことを考えている。
齢40にもなると初老と呼ばれ老後について想いを馳せる頃だと思いますが
それは昔の生活サイクルから考えてみてのことで
20歳前後で子供産んで、40歳頃には子供は成人。
孫もそろそろ迎える頃か、なんていう時代には
自分の将来というよりも孫たちの未来について考えたりしてたんだろうな〜
なんてことを思っていたsachiakiです。

そんなですけれど、そもそも子供がいないというのもあるからか
自分の年齢と中身とのギャップは一般的な家庭人よりもギャップがあり
「これからの人のための未来」というより
自分のまだまだまだまだ恐ろしく長く続いていく未来について
そちらの方に頭が回ってしまう昨今です。

まぁ最近のお年寄りの政治に関する考えからみても
後人のためにというより、自分達の生活って考えているから
お金が回らないとか、そういった問題があるのでしょうなぁ。。

馬車馬のように働いて、いよいよ隠居だって思っていたら
「あと20年は税とか取りたてるんでよろしく☆」
なんて容赦なく言われたら、そりゃ吐血もんだし
働ける体でもなくなってきているだろうから
ますます思考も固くもなるわなぁ。。

とはいえ、私が後人たちのためにまったく譲る気がないというとそうではなく
むしろ、さっさと若い人たちで世界を回せる仕組みを作ってもらって
自分達年寄りには、でんでら野のような世界を用意してもらいたい
ってことを思っているだけです。

いわゆる「姥捨山」的なものに近いんだけど
年寄りの年寄りによる年寄りための土地を用意して
(どうせアホみたいに過疎化していって土地は余るはずだし)
昼間は若い世界にゆるく農作業の手伝いとかに出て
夕方になると「あがっていく」。
若い人で回す世界で活性化したものを享受するのとは違い
あくまでゆるやかに繋がってはいても、別の世界であることで
経済に干渉をしない自律的な動きになるんじゃないかな?
なんてことを考えたりするんです。

ジジババだけの世界なんて嫌じゃぁ
わしゃぁ若い子が好きだし、
不活性な世界で暮らすなんて嫌じゃぁ
って人が大半なのかもしれないけれど
高齢者を養うほどの力はもうないというなら
そのくらいの思い切ったことは必要なんじゃないかしら?
ってことを思ってみたり。

なんて書いたものの、私自身はどういう未来を思い描いているかといえば
何人かにはお話をしていたけれど
でんでら野に発想は近いものの、もう少し都心的に
アパート一棟を買い付け、友人たちと暮らすという夢を見ています。
家族なんてあてにならないし、
田舎に帰ったところで困る人も多いだろう現代で
自分達で自分達の面倒をみるなら
こういったものがよかろう?と思ったからです。

ほんでもこの間ボーッと考えていたのは
もっとミニマムな庵を構え、
人が訪ねてくることで少量の物資のやり取りをし、
そこで句会とかをしながら細々と暮らすのも良いかもなぁと。
息が詰まりそうになったら歩いて旅に出て
どこで野たれ死ぬかは分からないけれど
そのくらいの最小点で世間と関わるくらいでいいんじゃないか?
なんてことを思っていたりしました。

できればどこかで野たれ死ぬよりは
日本各地にある庵と庵を訪ね歩き、
自分の庵に戻ってきてホッとしたところで息を引き取りたいものですけれど。

ともかく派手に生きるつもりはあまりないので
これからも細々と世界の片隅で生きていくつもりです。

自分の裁量の部をわきまえるくらいには大人になったものです。
チャレンジはし続けるけれど、無茶はしない。

慎ましさとは遠いような遊びばかりしてますが
少しは考えているんですよ、と
ちょっと背伸びしてみました。
背伸びは疲れるので、そろそろいつも通りに。

イエーイ☆これからも生きていくぞー!
今日も1日がんばるぞい☆モイ
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寒いと考え込むみたい

2019-03-04 | from:sachiaki
2月後半が暖かかったくせに、3月に入った瞬間から寒いってなんなの?
なんて気分になってるsachiakiです。

それはさておいて。
寒いと人は引きこもるからなのか
なにか考えすぎる傾向がある気がしますね。

そうでなくとも考え込むタイプな私ですが、
私は考え込んで熱出したり気分が落ち込んでも
高が知れているタイプなので放っておいてくれれば
適当に気分が戻ったりするんですけれど
パンダ氏はそういうもんじゃないようで
ずっと朝から寝込んでしまって
なんだか大変だなぁって見守っています。

まぁずっと家にいたわけじゃなくて
とある写真家さんとお話をしてきたのですけれど
その方もここ数ヶ月調子が上がらなかったようで
「寒いといけないですね」なんて言っていました。
年を取ると天気で気分や体調に影響されまくるので
なかなか難しいものですな。

そして、そんな写真家さんとどんな話をしていたかといえば
フェティッシュなものに対して
入り込むと「生=性」の極限に達することができるし、
そうなると「奇跡」を呼べるようになる、というものでした。

一人でフェチを楽しむものもありますが
相手ありきのフェチに関しては
相手に自分を捧げまくって溶け込み
同化するところに喜び(悦び)があるので
その相手と一心同体になった時は
その人と繋がっていることがよく分かるという話だったのです。
ちょうどその人のことを考えていたらメッセージが入るとか
なんとなく向かった場所などで同じものを見ていたりなど。

まぁこれはフェチだけでなく
夫婦とかでも同じようなことが言えるんだけど
相手と同化するというのは、
相手を尊重し受け入れていく過程で
好きなものなどが似てくるので
波長が合いやすくなるってものなのだと思います。

私とパンダ氏はそうでなくとも
だいぶ見るものの癖やフックするところが似てるようなので
けっこうテレパシー的に言わなくとも分かる
が起こりやすく、面白いなぁって思うことが多いです。
全てが分かるわけじゃないけれど、
「夫婦は似る」という格言通りなのだと思います。

心理学でいうところの「ミラーリング」が起こりやすくなる結果でもありますね。
まぁ食べてるものや生活習慣が同期してくるんだから
そりゃ似てくるのもその通りだろって思うけどねw

と、話が夫婦論的になってしまったw

夫婦みたいに長い時間を共にする場合は
シンクロしてくるのは分かるけれど
フェチの世界ではそれが飛び抜けて一瞬なので
密度の濃さは受け入れられる人と無理な人がいるのも
わからんでもないなぁ、なんてことを思ったりしてました。

特濃牛乳ではお腹壊しちゃうから
ミルク成分は薄く頼む、みたいなものに似てるのかな。

濃い世界へ興味はあるけれど、
お腹壊しちゃうかもしれないって人は
自分の興味あるフェチに薄口から入っていくのもいいと思うよ。

って、どんな話だ。

まぁ、そのせいでフェティッシュな世界が玉石混交なうえに
最近は石ころが多くて困る なんて話も聞いてたんだけど
裾野が広がっていくとどうしてもそうなっちゃうよねぇと。
そんな中でも極めると決めたら
自分がその道を歩めばいいだけなので
人のことなど構わず進め、という気持ちもなくもないです。

とはいえ、人の目を気にせず進むことができれば
そりゃ苦労はしないのですけどね。やれやれ。

さて、そろそろパンダを起こしてきましょうかね。
でないと夜眠れなくなって、またしんどくなりそうですからね。

そんじゃまた。モイモイ
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自分の中の二面性について

2019-03-03 | from:sachiaki
今日はなにを書こう?って思いながらこの投稿フォームを開いたんだけど
さっきまで「自分が何も知らないということのモヤモヤについて」
っていうものにしようってタイトルまで打ち込んだんだけど
そういや最近私のことを知るようになった人にとって
かなりギョッとすることが沢山あるだろうな
と思う二面性について触れてみようと思ったsachiakiです。

あてくしの二面性ってなによ?
どんな人にだって表裏はあるものでしょ。
なんてことを思ったりもするのですけれど、
あてくしの二面性というと


勉強するものが好きな、なんだか高尚(自分で言っちゃった!)なものを好むものと
どエロいもんが好きで、常人には理解しがたいものを好むものと

その極端さについてなのですわ。

勉強とか好きな人ってストイックになっていくし、
高尚なものにエロスはあまり含まれないというか
興味を失っていくというか……

だって、学問の道ってすごく楽しいもんね……。
人生のパートナーだとかどうとか、
世の享楽なんかに囚われていたら、
努力の結果となる「エウレーカ!」な瞬間を逃してしまうもんね。
さすがにそこまでストイックに学問をするかどうかは別としても
人の理性について訓練される人が多くなる分
野生的なエロースな方面には
あまり食指が動かなくなっていくんじゃないかなーって思ったりします。

かといって、じゃぁエロースな世界にどっぷりなの?
というと、それもまた違っていて
惹かれることには違いないし、
世の中って広い!って驚愕すること度々だったりしつつも
アンダーワールドへ飛び込むということはしていないのですよね。
この手の人たちとお喋りしていたりすると
通常会話としてポンポンとハプニングバーとか
そういった話が出てくるけれど
行ったことはないし、これからも行くことはないんじゃないかな。
会員制の秘密クラブとかも含めて。

そもそもなんで勉強系とエロスなものが好きかといえば
二つは”生きることから切り離せないものだから”だからであって
それ以上でも以下でもないのかも知んない。

エロスなものとなる「性」は
りっしんべんに「生」と書くものだしね。

なぜ?がこの世には多すぎて
それを知りたいのと
知りたいが膨れ上がっていくと
自分が地上にいる意味がだんだん分からなくなってくるので
自己破壊としてのエロスがあるんだろうなって思いました。

面白がってる部分が多分にあるけれど
突き詰めて考えていくと、こんな理由なのだろうと思うし
だからこそ、この二面性をどちらもオープンにしておこうと思っているわけです。
エロい部分だって隠すことなんてない。
私はそう思っているから。

ただ、先に「自己破壊」と書いたように
エロスは「破壊」を伴うものなので(価値観の破壊や肉体的な破壊も含む)
むやみやたらと無垢な人に見せてダメージを与えたりするのはどうなのかな?とも思うし
子供なんかには明らかに性癖がゆがんだりするので
本人が見つけてこない限り、あまり見せつけたりはしない方がいいんでしょうね。
どうせどこかのタイミングで「下半身がムズムズする!」って時期がくるのでしょうから<子供

そんなわけでFBやTwitterでも時折エロースなネタなどを投稿して驚かせたりするけれど
これからも体の片側は陽の光を浴びて歩ける側で
もう片側は夜の道を歩く用って感じでいこうと思っています。
(人に説明する時は
 右半身が通常Gデザインで成り立ち、
 左半身がアダルト関係で成り立ってると言ってますw)

そんな感じ。
久しぶりにエロス方面のニュースをシェアしたら
めちゃくちゃ驚かれたので、
こんなことを書いてみました。

そんじゃまた。良い休日を!モイ
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数学好き集まれの会にお呼ばれされたので行ってきた

2019-03-02 | from:sachiaki
けれど、完全に場違いなくらいに理系さんだらけで
おわぁ、私大丈夫か?
ってなってきたsachiakiです。

え?じゃぁ嫌だったのかって?
そんなことないくらい、めちゃくちゃ面白い場でありましたよ。

私は完全なる文系な上にデザイン畑出身なので
数理なんて無理無理の無理ってくらい苦手なものの一つなのですけれど、
そうはいってもデザインも数値で表すものや
その概念の中には数学がそこここに溢れているので
少しくらいは数字やグラフ、
図形の考え方を入れておかないとな〜ってくらいには
数学の本を読んでいたりするのですけれど、
今日行って来た会はそんなもんじゃなくて、

高校時代にはC言語をマスターしてるし、
生まれた時から圏論くらいはインストールされているでしょ?

と、涼しげな顔でおっしゃるような人がいるところでした。ひえぇえぇ

ちなみに数学やプログラム言語に興味がない人には
『圏論』って言葉さえも初めて聞くものかもしれないので説明しておくと

 圏論は、数学的構造とその間の関係を抽象的に扱う数学理論の 1 つである。
 考えている種類の「構造」を持った対象とその構造を反映するような
 対象間の射の集まりからなる圏が基本的な考察の対象になる。

 -wikipedeaより

まぁwikiだと微妙な顔をされそうなので
東大の情報科学科さんのページから人ってみると
圏論は数学をするための「高級言語」」ということらしいです。

他にも宇宙を議論するときに出てくる「超ひも理論」についても
宇宙って26次元なんだよって話から
現在は11次元ってことで落ち着いています。
なんて話がシレッと出たり、
デデキント無限やら、プランク定数などの言葉も普通に扱われていて
高等数学でお話しをする人たちって日本語を喋っていない!
ってくらいムチャクチャな話をしまくって笑いあっていたので

マジやべーな。

って思ってきました。

そもそも私たちは「無限」という言葉を自然に数え切れない数というものはあって
それを無限と呼んでいるはずなのですけれど、
どうやら無限という概念(?)もいくつかの条件で無限と呼ばれているらしいのですよね。
もうなにがなにやらー(ヽ´ω`)ってなりますw

まぁ私はその話を聞きながら、ほとんどの時間を子供と戯れていたので
実は濃いい話しはほとんど聞けてなく
ちょっとだけ残念ってなりました(゚∀゚)アヒャ

無駄に子供に懐かれるこの体質よ。。

最初は人見知りをしていた1歳半の男の子も
最終的には背中によじ登ってきたりしてきて可愛かったです。

まぁ明日は筋肉痛なのだろうなぁw

そんなこんなな1日でした。
そんじゃそろそろ夕飯の準備てこの辺で。モイモイ
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ドラえもん春の長編映画見てきました:ネタバレないよ

2019-03-01 | from:sachiaki
お前映画なんて観てる暇あるんか?
ってくらい、いろいろとやらなくてはならないことがあるんですけれど、
お誘い頂いたのと、ちょっとした縁(なのか?)がある人が脚本だと聞いたので
映画の日に乗ってきちゃったsachiakiです。

しばらく長編を見る機会がなかったので
ドラえもん長編の構成と違うストーリー構成だったので
ドッシリとストーリーを魅せる作りになっていたので
大感動涙ダーーーーーーーーーッッッッっていうのとは違ったけれど
(私の個人的な感想ね)
しっとりと泣くっていう感じで
ジ〜ンとするくらいの優しい構成で
疲れなくて良いんじゃないかなと思ったです。











なんだけどね!ね!

あれよ。
私は映画長編になった時に見せるジャイアンの男気覚醒とか
のび太の勇気の見せ所とか、
スネ夫の弱腰でありながらちゃんと付き合ってくれるところとか
しずかちゃんの意外と最前線に躍り出る感じとか
そういったものが好きなので、

ちょっと…
その辺が未消化だったかなーと(ノ∀`)アチャー

多分私がドラえもん長編に求めるものって
少年漫画的な「友情・勝利」みたいなところがあるんだね。

今回はドラえもん側のキャラクターにスポットを当てるというより
物語に厚みを持たせる仕様になっていたので
伏線が各所に散りばめられているし
かなりガッツリと見て世界に入り込んだ方が
面白い話になっていると思います。

なんだかんだ言ってみたけれど、
うさぎ耳は卑怯を通り越すほど可愛いし、
鉄板の悪役の仮面の下の素顔は「やっぱね〜」てのもあったし、
お笑い演出も忘れてなかったし
見応えのポイントはかなりいっぱいありますよ。

あとは普通の映画ってAI(人工知能) vs 人間っていう描き方になってしまうけれど
ドラちゃんがロボットなので人工知能 vs 人工知能的な見せ方になるので
そこは脱構築な感じがしてよかったなぁと思います。

それにしても、一番驚いたのは
長編映画になるといつもの服とは違う服になるのはお約束なんだけど
日が変わるとちゃんと着替えて別の服になるという演出には
リアル日常では当たり前のことだけど
アニメ日常では非常なことだったのでめっちゃびっくりした。
キャラデザさん頑張ったな……。

ともかく映画を観終わって、誘ってくれた女の子と
キャッキャキャッキャして写真をバシバシ撮ってきたのも
いつもの映画の見方でなくて面白かったw

映画って人と観るのを嫌がる人もいるけれど
私はけっこう人と観るの好きなんだよね。
見た後ですぐに感想をしゃべることができるし、
自分が回収しきれなかったところの話も聞けるしさ。

話だけじゃなくて、人と写真を撮るのも楽しいね。

そんな感じ。

さて、映画を観ていて時間が過ぎ去ってしまったので
そろそろお仕事に戻ります。
そんじゃまたね〜。モイモイ
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