ちょっとステキな・てんらん(展覧)会に、行って来ました
ポール・ジャクレーの版画展です。
・知らないフランス人。
・しかも、近代日本版画界にいて、出色の新版画を作っていた。
なんて、
「アートシーン」で 紹介されたものだから・・
美術愛好家たちが(・・これは知っておかなければ、恥!?)
とばかりに
太田記念美術館に、つめかけていました。

ポール・ジャクレーは
「お雇い外国人」の息子で、3さいで来日。
明治~大正~昭和を、日本で絵を描いて過ごし、
やがて、当時、絶頂だった新版画の黄金期を支えます。

太平洋戦争中は、外国人だから軽井沢にひっそくしていたけど
戦後は、GHQ らがこぞって彼の作品を買い上げ、いちやく売れっ子になったそうです









月岡芳年の孫弟子、という基本のたしかさに加え、
外国人の視点ならではの「構図」のエキゾチズム。
中国、朝鮮、満州、モンゴル、ミクロネシアに取材し
描きおこした美女と風景は、
ごくさい(極彩)色の多色ずりとマッチして、あざやか




「これぞ、カウンターカルチャーといえるのではないか
」
と、クリンは思いました。🐻(ちょっと・ちがうかな
)
(家で良くみている中国宮廷ドラマに出てくるモンゴルの姫と同じ髪型(張り出しツインテール)の女性の作品とかもあって・・
乾隆帝の娘・固倫和敬公主が、モンゴルに嫁いだ後この髪型をしていたの知ってるから、
おおっ
て思いましたね~。どうでもいい話だけど
)
それと・・
昭和15年とかに、植民地下の人々をモデルに何枚も何枚も美しい作品に仕上げているのが、当時の日本人のかんかく(感覚)ではありえなくて、
その一連の作品群が、今回の一番の見どころではないでしょうかね。
たとえば、「巣、朝鮮」というタイトルの作品。
柔らかい光の中で、じあい(慈愛)にみちたコリアンのおじいちゃんが、巣の中のヒナたちに、エサのトンボを与えている、
そんな・やさしい作品でしたが・・


それが制作されたのが、昭和16年。
つまり太平洋戦争が始まる非常時であった
と、すぐに気づいたうちのチットが、
「
この作品をこの年に作っている、作者の魂の何事かを訴えてくるのを痛感する」
と、
いたく、
かんしん(感心)して おりましたから。





ポール・ジャクレーさんは、ほりし(彫師)やすりし(摺師)のことも 非常にリスペクトしていて
、
必ず自分の作品には、横っちょに彼らの名前を のせているんですけれども、
そういうジャクレーさんの作品だからこそ、
ほりしすりし(彫師・摺師)も
協業に、力を尽くしたのでしょう



ほとんどの作品が私家版で制作され、「個人蔵」と なっていました。
そういう作品を集めてきて、一堂に会する。。
太田記念美術館の、めんもくやくじょ(面目躍如)たる・企画展だなあって、
かんしんしました

帰りは明治神宮に寄りました~🐻
太田記念美術館から、徒歩5分で、明治神宮の入り口なんです⛩。
夏の杜は良いですね



クリンたち、神宮で売られているお茶がめちゃ美味しいので
それを買いに行ったんですけど、
ここだけ・別世界の涼しさでした~




(付属の)「レストランよよぎ」の「そば御膳」も、
天ぷら揚げ立てで 美味しかったです
(取り急ぎ・感想まで🐻 ※お友だちのみなさまへ
ちょっとまだ忙しいので、あさってくらいにおうかがいいたします~)