「成就しなかった愛は、
いつまでも 忘れられない。」
その かなしさは、
どんな人でも 同じ
ということを、
クリンは 先週、
ニュースで知った・ばかりです
のちに、
ノーベルしょう(賞)作家となる
かわばた・やすなり(かんじ:川端康成)は、
ほんごう(本郷)のカフェーで
「女給」をしていた
14才の女の子・はつよ(初代)を
見初め、
すぐ、(結婚したい)と 思いました
生活力のない 22さいが、
15の小娘に プロポーズ
周りの人も
若干・びっくりな
しゅう(執)心、でしたが、
やすなりには 「肉親」がなく(死別)、
初代も まずしい家の子で、
十代前半から
おや(親)とはなれて はたらきづめ
やすなりは、
この、イタイケで はっこう(薄幸)の
少女を
つま(妻)に することに、
あたらしい、人生の光を
見出したのでした
しっかり者ながら、よるべない・身の上を はかなんでいた・初代も、
求あい(愛)を 受け入れ
二人は
けっこん(結婚)を 約束
かかれています
しかし
それから わずか・一ヶ月後
初代からの手紙がとどき、
とつじょ!
やすなりは、
別れを 告げられてしまいます
「私は今、
あなた様におことわり致したいことが あるのです。
私はあなた様と 固いお約束を致しましたが、
私には ある非常があるのです。
それを どうしてもあなた様にお話しすることは出来ません。
今このようなことを申し上げれば ふしぎにお思いになるでしょう。
あなた様は その非常を話してくれと おっしゃるでしょう。
その非常を話すくらいなら、
私は死んだほうが どんなに幸福でしょう。
お別れ致します。
さようなら。」
・・・・・・・
・・・・・
やすなりは、
初代のもとへ もう(猛)ダッシュ
しかし、
取り合ってもらえません
小説・「非常」であり、
やすなりは
・初代の男関係を うたがったり、
・初代の処女喪失を うたがったり、
・初代の病気を うたがったり、
・養父母による妨害を うたがったり、
なやみに
なやみます
けっきょく
初代が もどることはなく、
わけのわからないまま
あっけなく・おわった
「康成の恋」
「南方の火」で、
てんまつ(顛末)を まとめたり、
「伊豆の踊り子」に
初代を とうえい(投影)してみたり
しました。
「・・・返事がないので毎日心配で、
・・・眠れない、・・・何も手につかない。・・」
とつづられた、
「未投函」の
切ない思いでした。
初代の身におこった「非常」は、
今も ナゾのまま
2人とも、
別の人と けっこん(結婚)し
それぞれの人生を生き、
先に
初代が 病死
20年後、
やすなりは ガスじさつ(自殺)して
この世を 去りますが、
かまくら・れいえん(鎌倉霊園)で、
同じ日に
のうこつ(納骨)されたのだそうです
・・・・・・・・
(・・・
そういえば、クリンも
今は 大谷君がいるけど、
山林を 乞い・したいながら、
俗世に生きる 道をえらんだ
国木田どっぽ(独歩)
かれは、
37さいで
その 生がいを とじました
が、
若き日の
捨て去れなかった・思い出を かみしめる、
しじん(詩人)が います
あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の所へ
しずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼く
たとえようもなくきびしく
私はいま 老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを
千万遍恋うている
その時私は 家出しようとして
小さなバスケット一つをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも 自分でわからず
恋している自分の 心だけがたよりで
若さ、
それは苦しさだった
その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に 云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に 頼めばよかったのか
あなたの耳は あまりに遠く
茜色の向こうで
汽車が 汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった
もう過ぎてしまった
いま来ても つぐなえぬ
一生は 過ぎてしまったのに
あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の方へ
しずかにしずかにくる人よ
涙流させにだけ くる人よ
・・・・・・・
『どんなに待っているか』
ってところ。
『どんなに待っていたか』
じゃないのが、
長い想いを感じさせるね。」
と
チットが言いました
「
・・・・・・・クリン、
あんた、恋心以前に
『ててっぽっぽう』が、何のことだか
わかってるの?」 (チット)
昨日、しょうかい(紹介)した
茨木のり子の、
「自分の感受性くらい」という
ポエム
「
はじめて読んだころと 今とでは
突き刺さり方が違う」
と
チットは言います
同じ本の中にあった
「国木田独歩の詩」も、
社会人として
あるていど・都会に生きてきた人の
心に つきささるのでは
なかろうか・・
と
クリンは思いました
山林に自由存す
われ この句を吟じて 血のわくをおぼゆ
ああ 山林に自由存す
いかなれば われ
山林をみすてし
十年の月日
塵のうちに過ぎぬ
ふりさけ見れば 自由の里は
すでに
雲山千里の外にある心地す
をちかたの 高峰の雪の朝日影
ああ 山林に自由存す
われ
この句を吟じて 血のわくを覚ゆ
かしこに われは
山林の児なりき
顧みれば 千里江山
自由の郷は
雲底に 没せんとす
・・・・・
「
自然の中で生きるのに 憧れるのって、
都会人共通の
ロマンだよね。
まあ、
私たちは多摩に住んでて
雑木林とか豊富だし、
『自然欠乏症』を 言いつのるのは
おこがましいけどね~。」
と
チットが言いました。
お友だちのジェマちゃんが、
し(詩)の本を
かしてくれました
日本の「近代詩」を
メインに、
有名どころを
ほぼ・おさえた、
絵入りの ミニ本です
この中で
ジェマちゃんが 好きなのは、
etc・・・
100個くらい 入っていると、
どれを チョイスするか
によって、
・読む人の人柄や
・その時々の価値観
が、
なんとなく 反映される ものです
家のチットにも、
「どれが好き?」って
きいてみたところ、
「
知らない詩も けっこうあるね~。
あ~、
これとか良いと思うけど」
といって、
「茨木のり子」という
有名女性しじん(詩人)のページを
ゆびさしました
<自分の感受性くらい> by茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
人のせいにはするな
みずから水やリを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのは
どちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのは
わたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが
ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る
尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
・・・・・・
せっかく くみ立てた、
「お菓子の家」の エントツを
チットに 食べられてしまった
クリンですが、
かわいく・デコることに しました
すると、
チットが
また・やってきて、
「
クリン~、
その屋根のマーブルチョコ、
数が足りてないんじゃない?
そうだ!
こっち側の屋根は、
庄内地方の「石置き屋根」に しようよ」
といって、
上から
麦チョコを かけはじめました
石置き屋根だよ。
藤沢周平の小説に 出てくるの♪
これで、
冬の強い風が 吹き付けても、
この クッキーハウスは
万全だね」 (チット)
ココナッツオイルと前後して、
近ごろ
クリン家に ねづいた「美容法」が、
おからは、
・食物繊維豊富
・糖質が低い
・おなかが膨れる
ので
ダイエットに良いといって
作ってる人、多いらしい
ざいりょうは、
・おから
・こむぎこ(小麦粉)
・甘味りょう(料)
以上
バターやオイル、卵を入れれば
だいぶ・おいしい
ざいりょうを
てきとうに
ビニールに入れて、モミモミすれば、
タネの完成
あとは、やく(焼く)。
ナッツやゴマや
きなこや バナナ
のみきれなかった・ココア、
あるもの入れて、
モミモミします
かたくやけた クッキーは、
クッキー好きの チットでも、
そんなに多くは
食べられず、
「
お菓子の食べ過ぎ、防げるかも。
ふくらはぎのむくみも、
とれてきたかも。」
と
ギンザ(銀座)で
大人のあそびに きょう(興)じた、チットは
トレンドじょうほう(情報)を
仕入れてきました
それは、
「ココナッツオイル美容法」
クリン、知らなかったのですが
ってことで、
ココナッツオイルが
はやっていたらしいのです
かっき(画期)的な ワザとして
よく 紹介されているのが、
「こさじ・1を
お口にふくんで
20分 うがいする。」
すると、
お口の中のデトックスができ、
ほうれいせん(線)も消える
というもの。
・・・・・・・
(クチュクチュクチュクチュ・・)
(20分後)
クリンたち、
一回で
ざせつしてしまいました
そのかわり、
かみ(髪)の オイルトリートメントや
マッサージオイルとして
つかえるというので、
ヌリヌリに 使用してみました
チットはあたまが かゆくなり、
こちらも ざせつ
とはいえ、
おかし(菓子)に つかったり、
紅茶や コーヒーに入れたり、
と
ふつうに 食事に とり入れるのは
成功でした
クリン、
しばらくの間
ココナッツオイル 食べつづけてみて、
テレビを 半分にへらし、
「その他の鑑賞」に シフトしている
家のチット
見に行きました
今、
「一週間限定」で 公開されているのは
坂東玉三郎プロデュースの、
「天守物語」
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/17/
ようやく(要約)すると
こんな お話です。
とみひめ(富姫)は、
すごい美女だけど
実は 「妖怪」
おしろの かい(階)下に住む
「播磨の殿様」と 人間のことを
バカにしつつ、
お化けのコシモト(腰元)たちと、ゆうゆう・じてきに くらしています。
ある日、
妹への 手土産にしようと、
下の とのさまが か(飼)っている
タカを、
「術」をつかって
まきあげたところ、
タカ・行方不明の
せめを負い、
せっぷく(切腹)させられそうに
なります
のですが、
玉三郎の富姫に、
若侍、「姫川図書之助」を
市川エビゾウ(海老蔵)
と
原作は、
玉三郎が好きな 「泉鏡花」なので、
あやし・みやびな
フンイキです。
しかし、内容は
めっちゃ・シンプルで、
命・あやうし
→のち、たすかる。
という
ハッピーエンドの ギキョク(戯曲)であり、
内容が どう、
とかより
とことん!
見つくすために つくられた・ブタイ。
お客さんは、
富姫が羽おる、「工芸品のごとき打ち掛け」や、
ため息ものの所作
に
しびれていれば、
それでいい
目をうたがうほどの
さわやかさ、上品さに
目をこらしていれば
それでいい。
・・・・・・・
まんげきょう(万華鏡)の世界
なのだそうです
さいきん、
家のチットは
「報道の姿勢にも、うんざりする。」
と言って、
前ほど テレビを見なく なりました
だから、
夜の まったりタイムには
本をよむ・きかい(機会)が
ふえています
「恋しくて~Ten Selected Love Stories」
という、
外国の たんぺんしゅう(短編集)
これは、
「村上春樹・翻訳」で、
かなり
イイせん(線) いってたそうです
ですが、
「その真骨頂は、翻訳のほうにある。」
と
チットは言います
この本は、
アメリカ在住の 村上さんが、
自分で 買って・よんでいる
「ニューヨーカー」って
ざっし(雑誌)に のった
作品を、
オシャレに 9こ(個)
ピックアップした
「現代アメリカ人」の、
少年と
青年と
中年の、
スイートで スパイシーで
ビター な恋が、
そうです
※チットのおすすめ・・・「モントリオールの恋人」