スカイツリーの「絶景スポット」
ことといばし(言問橋)の
たもとには、
「東京大空襲・戦災犠牲者追悼碑」
が
あります。
すみだ(隅田)川には、昔から
たくさんの行きだおれや
どこかからの水死者が
流れついた
と いいますが
この100年の間に、
2度
おびただしい数の 遺体が、集まってしまった日
が
あるそうです。
それは、1923・9・1(関東大震災)
と
1945・3・10(東京大空襲)
太平洋戦争・まっき(末期)、
B29は 日本中を 焼きましたが、
その中で 一番・ひどかったのが
3月10日の「東京大空襲」です。
一晩で、10万人を 焼き殺した
しょういだん(焼夷弾)の
雨・雨・雨・・・・・・
火の海と化した・下町の人々は、
水を求めて、
川に さっとう(殺到)・・
このはし(言問橋)の上も、人でいっぱいに なりました。
そこにまた「焼夷弾」が ふってくるから、、
・・・・・
助かろうと
冷たい川に飛び込んだ人々
は
水死、または 凍死しました。。
いたい(遺体)が
かたづけられた後も、
はし(橋)の上には たくさんの「金属」が 落ちていた
と
聞きます。
亡くなった方が 持っていた、
がま口財布の口金や、
ベルトのバックルが、
身体が焼かれた・その場所に、
バラバラ・・と
のこっていたと いうのです。。
ことといばし(言問橋)の歴史には、
そんな「悲劇」も あったりします・・
(・・かなしい話が、つづきすぎました 今回で終わりにしますね 次回は、川べりのお寺に行きます)