「善」と「正義」に 身をなげる、
ケンジ(宮沢賢治)の 主人公たち
その一方で、
とかい(都会)には
「悪」と「組織」に 身をなげるしか
生きられない人が
あつまります
その場所のひとつが
かぶき(歌舞伎)町。
ここは
「嬢王」と「夜王」の すみか
さらに
こわい人たちも いるらしい。
なかには、イケメンも・いるらしい
<映画「不夜城」:金城武>
グッと・ひかれる クリンです
クリンたちは
小さかったので 知りませんが、
バブルのころの かぶき町は
かなり・あれてて
日本人や
外国人のこわい人が
おおぜい カッポ(闊歩)してたそうです
トラブルいっぱいの この町は
そのキケンさ・ゆえに
かずかずのドラマに なりました。
そして、その中から
「新宿鮫」という ヒーローが、
生まれたのです
「新宿署のデカ・鮫島」の
たたかいの日々をつづった、
ベストセラー小説
ろうどく(朗読)で
このたび・リバイバルしたのが
「白石加代子」という
ちょっと・あやしい
ストーリーテラー。
どくとくの かたり口で えんじました
いつもは 和服の白石さんですが
くろずくめの 洋服にきがえ、
はげしく・ものがたりを
うごかします
「結構長いのに、
あの一冊を どうやって2時間くらいで 収めるのか
気になった。」
とは、チットの言。
お話のスジは、
「台湾の殺し屋・毒猿が、
自分を裏切ったマフィアに仕返しするため
マフィアの逃亡先・日本にやってきた。
そこで散々暴れて、日本のやくざを何十人も殺すけど、
鮫島が追いつめる。」
白石さんは、いっこくも休まず、かたりました。
ふやじょう(不夜城)で
くり広げられる
ことの・おそろしさを知り、
まさに ねむれなくなっちゃった・クリンです
クリンやっぱり、
たま(多摩)でいいや
昔、
「銀河鉄道の夜(猫版)」を見て、
おさな心に
アニメの「芸術的可能性」を 見出した・クリンたち。
今、ふたたび 同じスタッフが 同じ・ケンジ(かんじ:宮沢賢治)を、
「映像化するぞ!」と
はりきって作ったのが、
「グスコーブドリの伝記」です。
(現在公開中→http://wwws.warnerbros.co.jp/budori/)
ストーリーを
かいつまむと、
「冷害・飢饉で 家族を失った男の子が
さまざまな体験や
人との出会いのなかで 成長し、
火山局に勤め、
最後は いのちを投げ出して・みんなを救う。」
という
うつくしくも、かなしいお話
その中に ちょっと・こわさが ひそみます
映画は
ちゃんと そこらへんをおさえて
なお・ちょっぴり
別のお話の エッセンスを加えていました。
(↑宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」)
より・アニメーションっぽい仕上がりになっています
映画の出来にかんしては
いろいろ・いけんが あるらしい。
でも
見た人と、あとで
サン(賛)や、ピ(否)を
かたり合う、
たのしみがもてる・作品です
<この話し合いに向いているカクテル:「コスモポリタン」>
(ウォッカ、クランベリージュース、ライムジュース、ホワイトキュラソー)
たぶん、
「原作」よんでみて
イメージをつくってから、
映画のせかいと にらめっこするのが
イイかんじ
さらに
ジブンも、せいさくチームに入った・つもりで
いけん(意見)するのが、上きゅう者
「よだかの星」や
「雨ニモ負ケズ」や
「グスコーブドリ」の ケンジには
ぎせいてき・せいしん(犠牲的精神)
っていうのが
ダイジなテーマだったんだ、ってこと
学んだのです
そして、おもいました。
・・・・・
おきゅうりょう(お給料)日前で、困ってる・おにいちゃんに、
つゆがあけました。
クリン家・地方は、
「37℃」まで上がるというので
いそいで、朝のうちに
日よけのすだれを つらないと・・
「ね~チットー。まどのそうじ」
「・・・ムリ~。。zzz」
日・月と あそんでたチットは
お休みの今日、
つかれちゃって
いつまでもネンネ
しかたないので
クリンが がんばります
<ベランダ・作業中>
にんげんは
かんがえる・ヨシである。
かんがえても
わからない。
でも・かんがえる。
(おやつ:菓心たちばな・「パンセ」)
おおさんばし(大桟橋)の ご来光を
おがんだ クリンたち
さて
これから、どうしようか?
と、そうだんし
山下町から とおくない、「三渓園」で
ハス(蓮)の花を見よう
ということに なりました
ハスの 開花じき(時期)は、6時からあいてます
「さんけいえん」は、
明治・大正に
生糸ぼうえき(貿易)で 大もうけした
原さんけい(三渓)が こしらえた
よこはま市・一の
日本ていえん(庭園)です
原家のしてい(私邸)
とか
文化のヒゴ者・さんけいが、
あつめに・あつめた
ほどよく
はいち(配置)され、
ぜいたくです
<聴秋閣>
「お金持ちは、やること ちがうね・・」
しょみん(庶民)的・ためいきをつく、
クリンたち
すると、
れきしにくわしいチットの口から
おどろきの昔話が
かたられはじめました
「岐阜県の、庄屋に生まれた三渓は・・・」
おさないころから
あたまが良く、
東京の大学にすすんで
あとみ(かんじ:跡見学園)の 先生に
なりました。
女学生だった
原家のおじょうさま・やすこ(屋寿子)は
人品すぐれた
若い「三渓先生」に
ぞっこんになり
あととりいなくて 困ってた
原家の父上を なっとくさせて
先生と、むすばれました
さんけいは、
れきしの先生でしたが、
原家に・ムコ入りした日から
商人として しゅぎょう(修行)をつんで
明治のおわりくらいには
「四大財閥」と
かたをならべる 成功者に なったのです
ですが
その・さんけいにも、
一大・テンキ(転機)が おとずれます
それは
「関東大震災」(大正12年)
地元・よこはまが ひさい(被災)して
みんなが困りはてた時、
「三渓園」は
ソッコー炊き出し、はじめました
しんさい・こじ(震災孤児)の
めんどう見たり、
そんしたなかま(生糸会社)をすくうため、
「数千億円」つかいました
原家のお金はなくなって、
会社はおち目になっちゃって、
さんけいのさいごは、
さびしかったそうです。
お池のハスが かざられて
りっぱな人物・いきました・・・
さんけいは、
「富はためこまず、社会に還す。」
その・てつがく(哲学)を
わすれませんでした
「他人のパンのことも、かんがえよう」
って
言ってたそうです
えらいなあ・・。
・・・・・
「おにいちゃん!パン食べる?」 「あー、いいよ、そうめんあるから。」
たま市には、
クリンが住む「多摩センター」エリアと
同じキボ(規模)ながら
全く カラーを、こと(異)にする
もうひとつのエリアがあります
それは
せいせき桜ヶ丘(かんじ:聖蹟桜ヶ丘)
つねに、たまセンターと・対立する
せいせきには、
・京王線の特急停車駅
・駅前にそびえる京王百貨店
・ジブリ映画「耳をすませば」の舞台
という
つよみがあり、
わが方が
・サンリオピューロランド
・多摩センター三越
・京王プラザホテル
を、ようしても(擁しても)
なお・とどかない ブランドをもつ
きょうてき(強敵)です
クリンは、
はた(旗)色わるい・たまセンターを
シジ(支持)しますが、
チットなど、
ずっと「聖蹟・支持派」
せいせきに行く・きかいがあると、
ウキウキ・きがえたりします
十年も住んでいるのに、
なんで・いまだに
たまセンターより、好きなのよ
って、きくと
「だって、向こうの方が、歴史があるし、なんてったって
山田風太郎の家は、
桜ヶ丘に あるんだもん。」
と
まよわず・こたえました。
・・・・・
やまだ・ふうたろう。
その名を出されると、
クリンとて、
ゆるさないわけには いきません。。
昭和をだいひょうする、「歴史小説家」
かの・ゆうめいな
しば・りょうたろう(司馬遼太郎)と
そうへき(双璧)をなす、
あっかん(圧巻)の うで前をもつ作家で、
チットが
シンプク(心服)する お方です
十年前、
クリン家が たま市にうつるさい、
「八王子から離れたくない」と
ごねるチットを
さいしゅう的に ナットクさせたのは
「山田風太郎の家、桜ヶ丘にあるよ。」
という
おにいちゃんの ころし文句でした
「よく、
司馬さんをポジ、
山田さんはネガ、に 例えられるけど それはね、
山田さんが
歴史の敗者や、闇に消えていった人たちを かっこよく描いているからなの。
山田風太郎の小説に出てくる人を見ていると、
この先の人生、死ぬまで堂々と生きるには、
どうすればいいのか、
わかるのよ」
(チット談)
・・・・・・
そうなんだ・・
それならば、チット
しば先生が、「せいせき」(ポジ)で
山田先生は、「たまセンター」(ネガ)
ってことに
なるんじゃない
クリンが、するどく・シテキします
するとチットは、
「・・・ああ、
そういうことに、なるかもね。
それじゃ、私、
今日から多摩センター支持に まわるわ。」
と、
言いました。
じつに・あっさり、
地元の紹介・だい2だんは、
「埋蔵文化財センター」です
少々・地味なしせつなので、
ドドイツにのせて
明るく・お送りいたします
クリン住む町・たま(多摩)センター
つい何十年・前までは
人が、たぬきと たすけあい
のんびり・住んでいたそうな
そんな・きゅうりょう(丘陵)、切りひらき
「ニュータウン」に かえたさい、
原始時代の品々が
たくさん ハッケンされました
それから・ハッケンきねんして、
出てきた品々、テンジ(展示)して
「原始時代を、見てってよ」
と
PRして・いるしせつ
・縄文土器づくり
・縄文アクセサリーづくり
・どんぐりクッキーづくり など、
じょうもんイベント、目白おし
チットもいぜん・さんかして、つくったドキ(土器)は、くずかごに、
なって・今でも活用中
「採算とれて なさそうな
いわゆる「はこもの」 だけれども、
わるくないよね、この施設。」(チット談)
家から近いクリンたち
時々、さんぽに 来ています
たてあな(竪穴)住居に おじさんが、
毎日、「火焚き」をしています
うえられて、
昼なお・くらき じょうもんの
しめった空気を すってると
しま(島)が売り買い されるよな、
パンダがせいじ(政治)に からむよな、
おかしな・世の中ふと・わすれ
地元のイベントをわすれ去ってた
うっかり・クリン
今日から三日間は、「多摩市・広報活動」に
いそしみます
その・だいいちだん(第一弾)は
一本杉こうえん(公園)
昔
むさしの国と
かまくらをむすんだ、
おのみち(小野路)ぞいに、つくられました。
つうこう人の目印だった
一本杉は
もう なくなっちゃったけど、
しぜんがのこり、
梅林のおくに行けば
古い・のうか(農家)も 2・3あります。
キブンはすっかり、
さらに
下手の池にまわって
ゆうがに、こいのエサやり・した日には、
キブンはすっかり
・・・
とまあ、
ふだんでは ちょっと味わえない
イヤなかんじに
なれたところで、
こうえんの、反対がわに・向かいましょう
こうえんは、2ブロックにわかれていますが、
こちらは
「一本杉球場」と、テニスコートの
アクティブエリアで
さわやかです
えきからもとおい、こんな田舎に
こんなリッパな グラウンド作り、
プロやきゅうをよんだり、
えなつ(江夏豊)の いんたい(引退)式とか
やってたらしい・・
ニュータウンで、おしてたころの、
つはものどもの(※多摩市)の
ゆめのあと。。
それが、この、一本杉こうえんなのです
「ミス・サイゴン」の、ひれん(悲恋)に
ナミダした・クリン
しかし、日本にも
げきどう(激動)の時代、同じように
外からやってきた男をあいし、
わかれの定めに・なきながらも
リッパに、子どもをそだてた 女性がいた
と
ききました(チットに)
その名は、アイカナ(かんじ:愛加那)。
かの女があいしたのは、
「明治維新の立役者」、
時は、ばく末。
「改革派」として、とうかくをあらわしてきた
さいごう・どんに、
ばくふ(幕府)の追っ手が、かかりました
さつまはん(薩摩藩)は、
さいごう・どんを
あまみに送り、身を・かくさせました
(・・・こんな島で、
過ごしとる、時間はなか)
さいごう・どんは、あれました
そんな、さいごう・どんの お世話をたくされたのが、
アイカナです
そぼくな娘がタイプの、さいごう・どんは
アイカナをそばにおき、
2人の子を生ませましたが、
「維新の立役者」として、その後も・いそがしく、
さつまにもどったり、
また流されたり、
京都で工作したり、
かんぐん(官軍)をひきいて、江戸に行ったりと
たいへんでした
その間も、
夫のブジ(無事)をいのる・アイカナでしたが、
さいごう・どんは
さつまで 「正妻」を、めとってしまったのです
それでも、アイカナは、
息子・「菊次郎」、娘・「菊草」の
しょうらいを 考えて、
子どもたちを手ばなし、
さいごう家に、わたしました
さいごう・どんは
明治十年に、「西南戦争」で亡くなりますが、
「菊次郎」は
のち、外交官になって
あまみに住む、生母・アイカナに
会いに来たそうです
ブタイは南国・・
あい(愛)に生きた、アイカナ・・
いつか、「ミス・サイゴウ・ドン」として
「マシュマロは、あたためて食ふべし。」
とは
クリン家のおきて(掟)ですが、
マシュマロの本場・アメリカでは
マシュマロをやく(焼く)なんて、
「常識」
だそうです。
キャンプファイヤーの火にかざした
あぶり・マシュマロは、
アメリカの子どもたちの 大好ぶつ
<串刺しマシュマロをもつ、ウッドストック>
「アメリカらしいお菓子なら、 こんなのあるよ。」
チットが言いました。
スヌーピーたちは
チョコチップクッキーや
ドーナツや、
パンケーキに、
目が ありません
あまーい・おかしは、
アメリカの子どもたちの さびしさを・いやしたり、
友じょう(情)や、
あいじょう(愛情)の
はしわたしを してきたようです
(※うちのスヌーピーの解説)
スヌーピーの作者・シュルツさんは、
しんぶんに
わりと、シュールな マンガを
れんさいしました
そこには
ごく・ふつうのアメリカの子どもと、
ごく・ふつうの アメリカ人の生活が
かかれました。
なかまだと信じてる、チャーリーブラウンに、
「Dog!」とよばれて、おちこむシーンには
クリン、いつだって
むねが、あつくなります
主人公の
チャーリーブラウンの家は、
ふつうのアメリカの 家庭にそだった、
シュルツさんの 家庭。
1930年に
世界をおそった、「大恐慌」で、
アメリカでは、500万人が 亡くなりました。
とこや(床屋)さんだった、シュルツさんのパパも、
もちろん・たいへんだったけど、
朝から夜まで がんばって、
のりきって、
お車までかって、
シュルツさんをドライブにつれていって・くれました
ぜいたく品だった、パンケーキを
やいてくれたそうです
シュルツさんが、
「うちって、貧乏だったんだ。」ってことに
気づいたのは、
のちのちのことでした。
アメリカの人たちに、
心からあいされる このマンガをよんで、
クリン、
うちのことを かんがえました
おにいちゃんは、
アンヨ・イタイタでも いっぱいはたらいて、
休みには クリンとお出かけしてくれる
チットは
かけい(家計)をたすけるため
はたらいて、せつやくもしてるけど、
クリンのおやつは 欠かしません
・・・・・・
ちょこちっぷ・クッキーの あまさが、