「加賀スピリット」を かし(菓子)に包み込む、金沢の
しにせかし(老舗菓子)店、
「森八(もりはち)」
7月後半の、「期間限定菓子」は、石川県で
いちばん有名な
女流俳人、
かがのちよじょ(加賀の千代女)の俳句に ちゃくそう(着想)
を
えた、
ねりきり(練りきり)です (中は、透明羹)
(銘:「もらい水」)
「 朝顔に 釣瓶とられて もらひ水 」
女性俳句界では、かなり有名だという、「加賀の千代女」・・
表具屋の あととり娘にして、10代から 俳句をよくし、
「女芭蕉」と
リスペクトされた
「北陸文芸の女王」
は、
あさがお(朝顔)の句で、その名を 全国区に
高めました
句のいみ(意味)は・・
「朝、水を汲みに行ったら、井戸の釣瓶に
朝顔のつるが
まきついていたので、
花の命を うばわないよう、
他家に もらい水をしに、行きました」
と、いうもの
実に やさしくて、思いやりがあって、せいそ(清楚)な女子にしか
よめない
句・・
世の男性は、「おお~~、お千代~~ 女らしい~~~」
と
もだえ、
女性たちは、「そうよ~~、これよ~~大和撫子っていうのは~~」
と
共かん(感)しました
あさがお(朝顔)の句、のみならず こまやかで、つつましやかな
千代女の句・・
そこには、朝日のような、明るい品かく(格)が
あります
・「 よきことの 目にもあまるや 花の春 」
・「 春雨や うつくしうなる 物ばかり 」
・「 涼しさや 恥しいほど 行戻り 」
・「 竹の子や その日のうちに ひとり立 」
・・・・・
さりげなく、毎回・女らしい、千代女です
そんな・千代女をした(慕)った、一回り年下の
俳句友だち
に、
千代女とは
まったく きょうぐう(境遇)のことなる
女性が いました。
ここ・福井県三国の「荒井屋」で、ゆうじょ(遊女)を
していた、
かせん(かんじ:哥川)です
(哥川が晩年すごした・たきだんじ(瀧谷寺)に 行きました)
かせん(哥川)は、三国みなと(湊)が もっとも栄えていた
ころの、
三国・ナンバーワン・ゆう(遊)女
そんじょ・そこらの お女郎とちがい、お茶・お花・お香・
いご(囲碁)・書・・・
すべてを 仕込まれた、高級ゆう(遊)女でした
とくに、俳句のセンスにかけては ピカイチで、かせん(哥川)は
ダンナ(趣味人の旦那衆)
たちの間で
有名になり、
年季があける前なのに、句会を開いたり、江戸ゆう(遊)学を
ゆるされたり・・
と
スペシャル・たいぐう(待遇)を うけていました
そんな
かせん(哥川)は、
「 照れ光れ 加賀(千代)越前(哥川)の 月ふた夜 」
と
江戸でも たたえられたほど・・
しかし・・、とくべつ扱いをうける・売れっ子 とはいえ、
そこは、
苦界に生きる、女・・
かせん(哥川)の句には、
やはり
さびしい心が
おり込まれます・・
・「 きぬぎぬや 見かわす路地の 雪あかり 」
・「 かみゆうて 見れば散りたり けしの花 」
・「 夕顔や われも人待つ 花のもと 」
・「 奥底の 知れぬ寒さや 海の音 」
・・・・・
ある日、かせん(哥川)は、句会で 千代女に
出会いました。
すでに、俳名高かった・センパイ俳人「千代女」は、おそらく
奥ゆかしく、
おおらかで、
すなお(素直)にけいふく(敬服)できる
年上の女性
として、
かせん(哥川)の目には
映ったことでしょう
千代女の目にも、かせんは、若く・あでやかで、あたまが良くて
芸も多彩
と
映ったことと
思われます
(すいそくですが・・)
「二人が同席した句会って、華やかな雰囲気だったと思うんだよね~」
と、
うちのチットは
そうぞう(想像)して、たのしんでいます
チットいわく、
「千代女と哥川ってさあ、晩年まで親しくしていたらしいの
住む世界が違う女どうし、
よほど気を遣いあわないと
良い関係は、
築けなかったと思うんだよね~。
きっと心がけのいい、素敵な女たちだったに違いないよ
千代女が
ちょっとでも
哥川を見下したり、憐れんだりしたら
哥川は 離れていったと
思うし・・
哥川も、千代女が発する・かたぎのまぶしさを見ても、
それに反発したり、
引け目を
あらわにしたり
しなかったんだろうしね、、
えらいわ
やっぱ、女の友情は、気遣いと尊敬だよね そうだ 私も
クリンに、
『村上のふくさ餅』、
美味しい抹茶あんの方を
譲るわ」
と
言って、
チットはクリンに
まっ茶あんをくれ、
自分は、
2番目においしい「黒糖あんのふくさ餅」
を
手に取りました。
(その9、「山中温泉に伝わる伝説」に、つづく)