チットたちが おとずれた、
ヤマタネ・びじゅつかん(美術館)
古今の 絵画の中から、
かわいいのを あつめて
一斉・てんじ(展示)
http://www.yamatane-museum.jp/exh/current.html
かわいい好きを 呼び込んで、
「キャーキャー」言わせる
もくろみです
ただ、
全部が 「かわいい~~(悶絶
)」か?
っていうと
そうでもない
ナドナド・・。
あつかってる「かわいさ」が
やけに
はば広いのです
このてんらん(展覧)会、
「ひと口に、『かわいい』って言っても、 日本語って、いろいろあるよ」
ってこと、
考えさせてくれるような 気がします
このごろは、
「美人」も、
「キレイ」も、
「可憐」も、
ひとくくりに、「かわいい」っていう人、
ふえてますが、
「愛くるしい」がピッタリ
だよね?
みたいにして、
てきご(適語)さがしを するといいです
「富士の画家」と言われるほど、
ふじ山を かきまくった
たいかん(横山大観)先生
むろん、
とくい(得意)の モーロー体(かんじ:朦朧体)を くし(駆使)することで、
「富士の霊性」を 高めています
明治時代、
たいかん(大観)たちの あみ出した
モーロー体は、
びじゅつ(美術)界に
「革新の台風」を おこしました
「こんなの変だ」と
言われても、
「これが良いんだ」と 信じました
たいかんたち
近代の画家は、
「富士を描く」に さいしても、
「伝統古来の画法」から やはり・一歩、
前進させて かきました
すなわち・・
(←伝統古来の画法=「プリン体」で描かれた、狩野元信の富士山)
一方、
(←下村観山は、より、ゼリー体を きわだたせて、富士を表現
)
・・・・・・・。
これらの ふじ山は、
うたがいようもない、
と、
チットが おみやげをくれました
なんでも、
明治~平成の画家による
フジ山の名画を あつめた、
日本画も
洋画も
版画も
シャシンもあり、
アーティストたちの
ひとかたならぬ・入れ込み具合から、
ってことが
伝わってくるそうです
中には、
若干・しっぱい(失敗)している(?)作品もあり、
「富士を画くのが、いかに難しいかも分かる」
って
言っていました
『らしく描く』のは 容易なことじゃ、ないみたい。」
と
ひょう(評)するチットが、
ひたすら
かんしん(感心)してたのは
日本画の大家、
「横山大観の富士山」です
無形の霊性を 表現するのが
日本画であります。」
との
言葉をのこした 大かん先生は、
1000作もの・フジをかき、
「描けてる、
とかいう次元じゃない。
品格にうたれる。」(チット)
と、
色々かんじてきた・チットは、
その会場となった、
しにせデパート「日本橋三越」にも
品格を かんじたそうです
「駅ビルみたいなデパートって多いから、こういう・のれん見ると、
『おっ』って思う。」
・・・・・・。
こういう、
「観光地のお土産」みたいな・クッキーを
わざわざ
『内袋』に 入れて、
『紙の手提げ』に また入れる
ていねい(丁寧)さ
って
他にない。
この・ブッショウ(物象)に、シニセのレイセイ(霊性)を かんじるね
お正月をはさんだ、9連休
「ずっと、テレビ見てた」
という方も、
いらっしゃったのでは ないでしょうか
クリンたちは
まさに、そのくちで、
ふだん見ない分、
テレビを かなり見ました
年末年し(始)の
バラエティーも、
いつもの年より
おもしろくて、
初日の出も、
初もうで(詣)も、
おろそかになりました
「新春!お笑い名人寄席」
に出ていた、
まんざい(漫才)コンビの
ははごころ(かんじ:母心)です
全く・知らない芸人さんでしたが、
スタバ店員のマネをして、
クリンたちを、
なみだが出るほど
わらいころげさせて・くれました
・居酒屋ネタ、
・コンビニネタ、
・銀行窓口ネタ、
・英会話スクールネタ、
など
(これからも、いろんなの見てみたいなあ)って
おもいました
2013年、
年末ジャンボ・宝くじの
「一等当選」を たくされた、
年末・年始、
家ぞくから、うけつづけた
プレッシャーは、
相当なもの だったようです。
「7億円当たったら、まず、カーテンを買い換えて~、浴室をリフォームする
」(チット
)
「貧乏生活とも、年内でおさらばか~。頼むぞ!ミニグリン
」(おにいちゃん
)
「見て!まねきねこチョコを、ミニクリンのまわりにならべてみたよ
」(クリン)
かくて、
年は明け・・
「あ~あ。。」
・・・・・・
・・・・
せきにん(責任)を かんじた
ミニクリンは、
いくら・呼んでも、
なかなか
家ぞくの前に
かお(顔)を出そうと しませんでした
すると、そこに たまたま
テレビの「東西寄席」から、
はなし(噺)家さんによる
「招き猫解説」が きこえて来ました
「え~、
招き猫の手ですが、
右手と左手では 招くものが違います
右手は、『金運』を、
左手では『人』を、招く。
と言われています。」
じゃあ・・・
じゃあ、家のミニクリンは、
そもそも、宝くじ当てるなんて
ムリだったんじゃん
・・・・・・・
ごめん。。
ミニクリンは、
生まれた時から
大みそ日、
おせちのジュンビを していた時のこと。
干し・シイタケの中に、
子もちシイタケを
見つけました
水もどしして、
元気なすがたに
よみがえったのを見て
「この母子を、
守らなきゃいけない」
って
思いました
だから、、
「良いダシ、出てきたね~。」(チット)
食いしん坊の
家ぞくから、
シイタケ一家を とおざけるべく
力を つくしました
こまめに
水も かえたし、
母子を
干上がらせては いけないので、
部屋の ダンボウも
切りました。
「寒い・・。風邪ひきそうだ・・」「ガマンして!おにいちゃん!」
ですが、
時間が たつにつれ
お水を かえるごとに、
クリンがよびかけても、
だんだん
へんじを しなくなりました・・。
シイタケの
お母さんが 言ったのです。
「クリンさん、ありがとう。
でも、もう、
お別れの時間が 来てしまったようです。。
「どうか・・、私たちを お夜食のにゅうめんに入れてください。」
と。
・・・・・・
・・・・・
・・・・
・・。
クリン、
かなしい気もちで いっぱいでした。。
でも・・・、
そのことばを
言った時の
かの女たちの すがたは、
天国にいるような、
きよらかで
安らかな光に、
つつまれていました