クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

羽生君の手術

2014-12-31 | フィギュアスケート

< 昨夜、

  羽生結弦選手、

  尿膜管遺残症で手術。の一報

・・・・・・・・

 「ああああ!!!」

 

 ・・・・・・・・・ 

 

 

<今日昼、BSで羽生君特集見る

 (つらすぎて見れない

<午後、BSでソチ五輪再放送見る

 (・・・・・・。)←同上

 「うっ、うっ、ウウ~~・・・

 クリン・・

 年越しそば食べに 外に行こう。

 気分転換しないと、ね。」 (チット)

「 ほら、グリン。

  これが、お兄ちゃんお気に入りの

  ゆで太郎の 特盛だぞ!」

 (・・・・・) ←食欲なし

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深川飯の釜匠

2014-12-30 | クリン江戸散歩

 クリンたちの 年末気分をもりあげた

ふかがわ・さんぽ(深川散歩)

その中で食べた、

「深川グルメ」として

とっき(特記)・しておきたい

のが、

深川めし です。

 <江都名所深川富岡八幡宮 by広重>

すぐ

目の前がで、

しお(潮)干狩り 

も 

たのしめた、

江戸時代の 門前の町には

 茶屋や、岡場所が たちならび、

男たちが

よいごし(宵越し)の金も 

もたずに、

ナイトライフを

エンジョイ してたそうです。

 そして、それを相手したのが、イキな「辰巳芸者」

この 男女が、

毎夜 お酒をのんでも

元気だったのは、なぜか

それは、

肝きのう(機能)を

かいふくさせる、

アサリを 

食べていたからです (たぶん)

 このあたりには、昔から 取れたてのアサリと やさい(野菜)を

かるく・に(煮)て、

ごはんに かける、

深川めし

と よばれる・庶民めしがあり、

今も

たくさんのお店が 出しています

 いちばん・有名なお店は、「深川宿」ですが、

「毎年、年末は25日で店じまい」

というので、

入れませんでした・・。

でも

ほかにも

1000円くらいで 食べさせるお店が

けっこう見つかるので、

お好みの 深川めしを、

さがすといいと

思います

 クリンたちが見つけたのは、「深川江戸資料館」ならびの、

かましょう(釜匠)

という

地元民のお店。

「炊き込みご飯」や

「せいろ蒸し」など、

かん(観)光客向けに

高きゅう(級)に仕立てた

他店と ことなり、

昔ながらの 汁かけタイプが 

出てきます。

 アサリの実が、30こも 入っていました

(end)







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深川散歩・5~清澄白河から森下

2014-12-30 | クリン江戸散歩

「清澄白河」から、

ゴールの「森下」へは

あと少しの 道のりです

 しばし・のんびりした、きよすみ・ていえん(清澄庭園)を 

あとにし、

きよすばし(清洲橋)通りに

出て

そこをこえると・・

 しずかな 下町の住宅がい(街)に、

 すもう部屋と、ばしょう(松尾芭蕉)関係の しせつ(施設)が、

目立ちはじめます

まつお・ばしょうと

深川の ゆかりは深く、

 ばしょうは、この地から 東北に旅立ち、

かえってきて、ここで 「奥の細道」をかき、 

 ここで、古池にとび込む カエルの音をきいて

自分スタイル(※蕉風俳諧)

かくりつ(確立)しました

 15年以上くらしたことで、「芭蕉稲荷神社」がたち、

記念かん(館)もたち、

 すみだ(隅田)川べりには、

タイマーでうごく、「芭蕉像」が

すわっていて

ここらへんは、まさに ばしょう・一色 

 その 存在が大きすぎて、

うっかり

「深川散歩」の 本末を

てんとう(転倒)しかかって

しまいそうに

なりますが、

 そこを きっちり・しめてくれるのが、深川神明宮です。

この神社は、

まず 入り口に、

「ここが、深川発祥の地ですよ!」

って

かいてあって、

(ああ、深川散歩だっけな

思い出させて もらえるのです

 深川という 町名は、ここに住んでいた、ふかがわはちろうえもん(深川八郎衛門)

苗字から ついたそうですが、

ここらへんの人たちは

地元あい(愛)が つよく、

深川っていう

町と その名を、

大切に してきました

 300年ののち、ここに生まれた日本画家(※伊東深水)も、

ガゴウ(雅号)に一字

入れてます

深川が はっしょう(発祥)した

神社で

おまいりし、

深川さんぽを しめくくった

クリンたち

「清澄通り」に出ると、

「森下駅」は 

すぐそこ

 地下てつ(鉄)に のる前に、

人気のパン屋さんで、

カレーパンを

買って かえります。

・・・・・

ここで、

カレーパンを 買うことを

おわすれなく

 ここ・「カトレア」は、

「カレーパン発祥の店」です (180円)→  (つづく)






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深川散歩・4~清澄白河

2014-12-29 | クリン江戸散歩

 きよすみ(清澄)エリアにおける、「観光の目玉」は、

「深川江戸資料館

「清澄庭園

です。

 深川・江戸しりょうかん(資料館)は、

江戸時代の

深川の町を 

さいげん(再現)した

お江戸・テーマパークで、

 中には、時代げき(劇)のさつえい(撮影)に 使えそうな、

長屋がいっぱい・たってたり、

アサリ売りの声

きこえたりする

      リアル・やまもといちりき(山本一力) 

 リアル・さえきやすひで(佐伯泰英)

       リアル・いけなみ(池波)正太郎 

世界です。

 外に出ても、目の前のとおりに、深川めし(飯)のお店があったり、

 江戸っ子のなりをした、おじさんがやっている、おみやげやさんが

あったり、

もんなか(門前仲町)よりも

しんけん(真剣)に、

「深川を やってる」って

かんじがします

 しりょうかん(資料館)の となりには、

「清澄白河」

の 

名前の由来となった、

 もと、白河はん(藩)主・松平定信が ねむる、

れいがんじ(霊巌寺)があり、

 大学時代、一年間 さだのぶの日記を よんでいた、うちのチット

げんしゅく(厳粛)なキモチに なっていました

 その、きよすみ白河の、名前をかん(冠)する、「清澄庭園」が

道路の反対がわにあるので、 

 クリンたち、そこに行き、 大名ていえん(庭園)の、みごとな けいかん(景観)を、

しばし

たんのうしました

 もともと、ここは、みかんを売って、大もうけした、

きぶん(紀文、かんじ:紀伊国屋文左衛門)

おやしき でしたが、

 その後、大名やしきになり、明治には みつびし(三菱)の もちものになって、

 さいこうに、ゴージャス化 しました

       大きな池 

 そこにうかぶ、島

    いそわたり(磯渡り)の石 

 およぎまくる コイ(鯉)

うかびまくる とり(鳥)  (鴨・鷺など)

 おかれまくる、全国の名石

・・・・・・・

じつに、

 名えん(園)です










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深川散歩・3~門前仲町から清澄白河

2014-12-28 | クリン江戸散歩

 「深川不動堂」と「富岡八幡宮」の うら手を

高速道路にそって

西へあるいて行くと、

 「深川えんま堂」として知られる、ほうじょういん(法乗院)が

見えてきます

 平成元年にデビューした、ここの「えんま様」は、

コンピューターで

お告げを下す、

この寺町で もっともすすんだ

仏さま

 そんな、ハイテクがひそむ 深川町内ですが、

かつて、

ここらで生まれた

おづさん(映画監督・小津安二郎)は、

若いころ

 いったいに広がっていた、カブキ(歌舞伎)のかきわりのような

ふうけい(風景)をあいし、

みずからの作品に とうえい(投影)しました 

 その、ふかがわ町内を 北へまっすぐ・すすむと、

七福神のお寺などが

ごちょごちょ・つらなる、

 きよすみ(清澄)エリアに とつ(突)入します。

(つづく)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深川散歩・2~門前仲町

2014-12-27 | クリン江戸散歩

年末の 

ふかがわ・さんぽ(深川散歩)

 門前仲町を スタート地点とし、

きよすみ・しらかわ(清澄白河)を 

けいゆ(経由)、

ゴールは、森下です

 まず、さいしょの 訪問地・「もんなか」ですが、

ここには、

おふどうさん(深川不動堂)

 はちまんさま(富岡八幡宮)の、2つがあり、

いわば、

チャッキ・チャキ

庶民しんこう(信仰)の町

 おふどうさんの 門前には、

 わがし(和菓子)や、せんべい、

つくだに、つけものの店が のきをつらね、

 月3回の えん(縁)日は、えらい・にぎわい だそうですが、

ふだんは

とっても 

のどやかです

 5代しょうぐん(将軍・徳川綱吉)のお母さんが、

ちば(千葉)の成田山まで

行けなくて、

江戸に つくられた

「参拝・出張所」。

 それがこの、「深川不動堂」です。

この

おふどうさん、

 水かけ祭りが 行われる、おとなりの「富岡八幡宮

いっしょに、

はんえい(繁栄)してきました

 おふどうさんと セット・さんぱい(参拝)できる、

とみおかはちまん宮の

けい(境)内には、

 下町祭りで かつがれる、何十き(基)もの おみこしが、

出番を「今か」と まってたり、

 「ここが、両国より古い、『江戸勧進相撲発祥』の地だぜい

主ちょう(張)する、

せきひ(石碑)が

ドドンと 立っていて、

とにもかくにも

元気がいっぱい

 「私もここから、全国測量に出かけたんだよ。」と

話しかけてくれた、

おじさん(※伊能忠敬)に

あやかって、

 クリンたちも あるき出します   (つづく)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深川散歩

2014-12-27 | クリン江戸散歩

 クリスマスをすぎると、町は一気に 年末ムード。

ですが、

先日 やっと

しごとおさめだった、うちのチット

そんな

世間のうごきに

  ついていけていません。 

 そこで、クリン! ていあん(提案)しました

「江戸さんぽに行こうよ

 年のせ(瀬)気分に なれるよ

 このあいだ、両国に行った時、

地図を見ていた

チットが、

「この、下の方に行ってみたいね。」

言っていたのを

思い出したのです

 両国の下の方とは、ふかがわ(深川)とよばれる、下町。

「深川飯」とよばれる、

あさり丼がある、

いちょう(胃腸)にやさしい

地いき(域)

 クリスマスで、つかれた・いちょうに、ちょうどよい

・・・・・

行きます。

 クリン、ふかがわ・さんぽ

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスケーキの飾り

2014-12-24 | 歳時記

 クリスマスケーキの注文も、クリンの じゅうよう・にんむ(重要任務)

今年は、

おにいちゃんの 

リクエストで、

「バタークリームのケーキ」に しました

 子どものころ、初めて食べたケーキの バタークリームが まずすぎて、

以来、

ケーキを とおざけている

おにいちゃん

 「40年前とちがって、今のケーキは そんなに まずくないよ

せっとくしたら、

「じゃあ、試しに食べてみるか。」

ってことに

なったのです

でも・・・、

 (←やっぱり、昔ながら。)

イチゴも のってないし、

かなり

シンプルだな、

って

かんじです。

 と! そこへ、ミニクリンが ケーキの空き地に

ヒョイッ

とびのりました

 「お~!!ケーキの飾りみたいだな」(おにいちゃん)

「かわいいミニクリン♪ サンタさんみたいだよ」(チット)

キャッキャッ

・・・・・・・・

・・・・・

 (・・・・クリンだって!

(これをつかおう!)  (←和室の丸テーブル)

 (←シーツ敷く)

のる

 「チット!クリンのまわりを、イチゴで デコって



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末の仕事~管理組合総会

2014-12-23 | 日記・エッセイ・コラム

クリン~、

 マンションの管理組合の総会、

 私 仕事でいけないから、

 今年も代わりに出席してくれる?

 「はい、これ資料。」 (チット)

 (これも年末こうれいの、クリンのにんむ。)

(・・・・・

 近々、わが家にも

 「理事」、まわってくるし、

 れんしゅう・しといた方が いいな。)

「それでは!

 だい(第)3号ぎあん(議案)に つきまして、

 さんせいの方は、

 キョシュを おねがいいたします

 (・・・きまった!)


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末の仕事~年賀状書き

2014-12-22 | 日記・エッセイ・コラム

クリン~、

 ごみ出し終わったら、

 年賀状の宛名書きも おねがいね

 行ってきまーす」(チット)

 「うん、わかった~。。」

  (かきかき・・) 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大掃除・2

2014-12-21 | 日記・エッセイ・コラム

 「クリン~、水曜日は不燃ごみの収集、年内最終だから

CDラック、切っといて。 

鉄パイプも切れるっていう 

のこぎり、

買ったから。」(チット)

・・・・・

「うん、わかった・・」  (ゴ~リ・ゴ~リ・・・・)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大掃除

2014-12-20 | 日記

ねえ、クリン。

 ジャーナリズムも 大事だけど、

 大掃除、

 ちゃんと すすめてくれてるの?」(チット)

 「私、あと一週間は 仕事で忙しいからね。 ほら、新聞早く片付けて。」(コロコロ・・

  「・・・はーい。」 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治家に必要なもの~斎藤隆夫に学ぶ

2014-12-17 | 国際・政治

「立憲政治下の国民

として、

言わなければ ならないことを

言いつづけた、

ジャーナリスト・「桐生悠々

 と、ならび、苦のう(悩)の時代を たたかった

れきし(歴史)的政治家、

「斎藤隆夫

ぜひ!

取り上げておきたい、と

うちのチットが 

さわいでいるので、とりあげます

 (※「ゴルゴ13」の作者とは、無関係

 さいとうたかお(かんじ:斎藤隆夫)は、

山いん(陰)の農家に生まれ、

苦学して 「弁護士」に、

のち アメリカ留学をへて

「立憲民政党」の

ぎいん(議員)に なりました

 小さな背丈、病気の後い(遺)症で、よじれた体、

でも 

よくとおる声

はっきりと ものを言い、

「ねずみの殿様」

と 

あだ名された、たかお

彼は、

 「粛軍演説」と呼ばれる、昭和初期の 国会しつ(質)問で、

いちやく

有名に なりました

 軍の政治介入の キケンをとき、

軍を「聖域」とする 風ちょう(潮)に

待った

をかけた

彼の ろんじん(論陣)。

それは、

ただの

「反軍論」ではない

 「まともな国民の、まっとうな代弁である」 として、

軍をうならせ

仲間に 共めい(鳴)され

世間を かんどうさせ

「議会史上・不朽の演説

との

かっさいを あびたのです

そして

その後も たかおは、

巨大化する軍に対し、

いしゅく(萎縮)する 

政党仲間を はげまし、

 ひくつ(卑屈)になったり、無気力になったら、

国民に わらわれるよ

コブすることを

やめませんでした

ですが

そんな たかおも、

 太平洋せんそう(戦争)が はじまる前年、

とうとう

軍に

さいごの「抵抗演説」を ぶちかまして

しゅうぎ(衆議)院から

じょ(除)名されて

しまいます

 たかおを追い出した ぎかい(議会)は、 

せんそうがはじまって、

じめつ(自滅) しますが、

戦時下、

おおぜいの

「政府・推薦候補」を立てて 

行われた

せんきょ(選挙)において、

 たかおは、「非推薦で立候補」して、圧しょう(勝) し、

みごと!

ぎいん(議員)に

返り咲きます

 「非国民を支持する、非国民め!」と 

言われかねない 

ご時せい(勢)に、

有けん(権)者が

まもろうとしたのは、

たかおが 守ろうとした、

「あるべき政治のかたち

でした。

チットによれば

政治家になる前、

たかおは

こんなことを 言ってたそうです。

 「国会が、『国民意思の代弁者』 たるためには、

議員自体が

知識と道徳を 

兼備しなければならない。

それがない議員で

充たされる国会は

虚偽である!

しかし、

『代議政治』 たる国会政治は、

国民が

政治的意見を持っていることが

必須

・・・・・・・

これをきき、

クリンは おもいました。

 「政党が選べない」とか、「期間が短くて考えられない」

とかいって

今回のせんきょ(選挙)に

行かなかった人。

えらべなかったのは、

 ふだんから、考えてないからです
















 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャーナリストに必要なもの~桐生悠々に学ぶ

2014-12-15 | 社会・経済

 だいじな せんきょ(選挙)がおわり、

昨夜は

「選挙特番」が 組まれました

各・テレビ局、

なかなかの 取材ぶり

かいせつ(解説)も ふくめて、

工夫を

こらしていました

 でも そこだけ がんばったって、しょうがない

今回の せんきょ、

「経済成長、止めてもいいの

首相が言って はじまって、

このあと 予定されている、

 「防衛問題」や、「憲法問題」や、「エネルギー問題」とかは、

ほとんど

すっとばされるような かたちで、

せんきょ(選挙)期間が

すぎました

うちの家ぞくは

そのことで、

マスコミのことを かなり、

おこっています

 ここまで 

 色んなことがあったから、

 こんなん・なるのも 

 解るけど、

 これじゃ、ジャーナリズムの体を 外してるね。

 『政府の犬』とまでは言わないけど、

 もはや、

 『政府の猫』だ。」

と つぶやき、

 「いっしょに、するんじゃねえ」 と、近所のネコちゃんに

怒られ、

かべ(壁)ドン されました

「ジャーナリストの真価

について

語るとき、

しかと 思い出すのは、

きりゅう・ゆうゆう(桐生悠々) 

のことだ、

うちのチットが さわいでいるので

ちょっと

その、「桐生悠々」のこと

話します。

 「桐生悠々」という人は、

あまり 

知られていませんが、

大正・昭和に 

かつやくし、

当時 有名だった

しんぶん(新聞)人です

 明治6年生まれらしく、自分の考えを 自由に発表するため、

「大新聞社」を

わたりあるき

ペンの力で

世の中を うごかそう と、

言うべきことを

言いつづけながら

生きました

その、ひはん(批判)の 矛先は、

せん(戦)前、

日本を おおった「軍国主義」にも

向けられ

 それがために、当局から マークされ、

「信濃毎日新聞・主筆」の座

おわれたり

不買うんどう(運動)を

おこされたり

個人ざっし(雑誌)が

はい(廃)刊に おいこまれたり

たいへんな目に

あいつづけました

 でも  「ジャーナリストの使命」を、りかい(理解)していた

ゆうゆうは、

個人ざっし(雑誌)、

「他山の石」を

がじょう(牙城)とし、

死ぬまで

たたかったのです

たくさんの じょうほう(情報)を、

冷せい(静)に分せきし、

現状を 

正しく はあく(把握)して

自分の主ちょう(張)を 述べる。

それが、

「言論人の責任」 であり、

キケンな方向に

流れていくのが わかったら、

じたい(事態)を

少しでも 正しい方向に

向けようとする、

きがい(気概)

 「それを失ったら、言論人は おしまいなんだよ!」って、

こうどう(行動)をもって

しめした・ゆうゆう

その

死ぬ前によんだ、

「 蟋蟀は  鳴き続けたり  嵐の夜 」

と 

いう句に、

小さくても はっきりとした声を

きける、って

うちのチットは 言ってます



 


 



コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スイッチ切り替え

2014-12-14 | 日記・エッセイ・コラム

 (GPF、羽生君が予定通り優勝)

さっ!

行かなきゃ!!せんきょ(選挙) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする