(原題:Taxi Driver )76年作品。ロバート・デ・ニ―ロとマーティン・スコセッシ監督のコンビによる初期の作品で、カンヌ国際映画祭の大賞受賞作。有名な作品だが、私は今回のリバイバル公開(午前十時の映画祭)で初めて目にした。
夜のニューヨークを走り続けるベトナム帰りで元海兵隊のタクシー運転手が、腐敗しきった現代社会に対する怒りや孤独感から次第に常軌を逸した行動をするようになる。そして“幼い娼婦を救うことが自分の使命だ”と思い込んだ彼は、悪の巣窟に単身殴り込みを掛ける。このストーリーはよく知られているので、ここで詳細に説明する必要もないだろう。
公開当時は過激なバイオレンスシーンが話題になったらしいが、本作の真の見所は主人公が凶行を終えた後の終盤部分である。以下ネタバレになってしまうが、ギャングどもを片付けた彼はあろうことか街の英雄になってしまうのだ。私はこのくだりに、先日のアメリカ軍によるオサマ・ビン・ラディン殺害事件を重ね合わせてしまう。
この映画の主人公の行動は、明らかな連続殺人であり重罪だ。いくら相手が悪者であろうと、当初相手が彼に何か危害を加えたわけではなく、正当防衛も適用出来ない。同じように、ビン・ラディンの暗殺も断じて順法行為ではない。勝手にヨソの国に出掛けて行って、お尋ね者を逮捕もせずに問答無用で撃ち殺す。ほとんどテロだ。
そして、アメリカ国民はそのテロの成功に熱狂して大喜び。自分たちのチンケな正義感とやらが満足出来れば、どんな違法なことをやっても“無理が通れば道理が引っ込む”とばかりに居直ってしまう。
スコセッシ監督はこういう困った風潮に対して異議を唱えるために本作を手掛けたのかどうかは分からないが、今観ると苦いものが込み上げてくるのを抑えられない。いずれにせよ、アメリカというのは所詮こういう国であるということを肝に銘じて国際情勢を俯瞰すべきであろう。
若い頃のデ・ニーロはカミソリのような切れ味を感じさせて圧巻。娼婦役で出演するジョディー・フォスターは当時13歳ながら、人並み外れたオーラを纏っている。この映画でアカデミー助演女優賞にノミネートされた彼女は、以降キャリアを順調に積み上げていくことになる。主人公と付き合うハメになる選挙事務所の職員に扮したシビル・シェパードも魅力的だ。
マイケル・チャップマンのカメラが映し出す、気怠いニューヨークの夜の風景。それを引き立てるのは、これが遺作となったバーナード・ハーマンによるクールなジャズの調べ。観る価値のある快作だと思う。