94年製作の、東映による社会派映画。こういう題材がそれまでなかったのが不思議で、遅まきながら作られたことは評価しよう。何より感心したのは、ドラマが浪花節的なお涙頂戴劇に走るのを必死になって阻止しようという、スタッフの努力が伝わってくることだ。
バブル崩壊後、業績不振に陥った不動産会社。経営側はリストラ要員の掃き溜めとして新設された“首都圏特販部”に50人を送り込み、達成不可能なノルマを課し、やり遂げなければ解雇に追い込もうとする。崖っぷちに立たされた“不良社員”たちの反撃なるか。監督は「ちょうちん」(87年)や「修羅場の人間学」(93年)などの梶間俊一。宣伝プロデューサーとして舛添要一が参加している。
特販部の部長に選ばれたのは、副社長(津川雅彦)のスキャンダルを暴露しようとし、逆に閑職に追いやられた元重役(中村敦夫)。バブル期の強引なセールスが顰蹙を買い、総務課に飛ばされた課長(柴田恭兵)。ほかに、妻の重病を契機に家庭人間となった者(河原崎健三)や、退職寸前で事なかれ主義の係長(小坂一也)など、深い事情を抱えた人物が揃っており、やろうと思えばいくらでも大仰にウェットに仕上がるところだ。
ところが、題材が題材だけに、そうはならない。ほとんどのメンバーが営業経験がなく、宣伝費はゼロ、クズみたいな物件を押しつけられ、おまけに経営者側のスパイがわずかなチャンスをも摘み取っていく。荒唐無稽というなかれ、けっこう現実と近かったりするのだ。サラリーマンの悲哀などゆっくり味わうヒマはなく、厳しい現実になりふり構わず抵抗する彼らの姿を容赦なく描くことによって、逆に組織の中で埋没しそうになる人間性をリアルに提示しようとしている。
クライマックスは特販部の廃止を決める役員会での、特販部員と幹部との対決。副社長の元愛人の女子社員(高島礼子)の証言により、副社長の不正の数々が暴かれる。そして特販部スタッフがどんなに辛酸を嘗めたかも公表される。センチメンタルに盛り上がって当然の場面だ。しかし、ハッピーエンドには持って行かない。副社長の“貴様らのようなボンクラどもの食い扶持も、俺たちが頑張って稼いでやったんだぞ。少しばかり頑張ったからって、お前らが会社のお荷物だったことは間違いない!”という言い分も事実なのだ。
柴田恭兵が副社長に怒りの鉄拳をぶちこもうとも、中村敦夫が病身を顧みず必死の説得をしようとも、カタルシスは生まれない。作者もそれを知っている。このやりとりは、重く苦い。結局、勝負の行方は“これ以外の結末はない”という形で終わる。
それにしても、“どんなに惨めな仕事でも、与えられればやらずにはいられない、それがサラリーマンの悲しい性だ”という劇中のセリフには考えさせられた。見ようによっては食い足りない点も多々あるが、この頃の邦画の中ではかなりマシな部類である。なお、レゲエを大々的にフィーチャーした小玉和文の音楽は非常に見事だ。
バブル崩壊後、業績不振に陥った不動産会社。経営側はリストラ要員の掃き溜めとして新設された“首都圏特販部”に50人を送り込み、達成不可能なノルマを課し、やり遂げなければ解雇に追い込もうとする。崖っぷちに立たされた“不良社員”たちの反撃なるか。監督は「ちょうちん」(87年)や「修羅場の人間学」(93年)などの梶間俊一。宣伝プロデューサーとして舛添要一が参加している。
特販部の部長に選ばれたのは、副社長(津川雅彦)のスキャンダルを暴露しようとし、逆に閑職に追いやられた元重役(中村敦夫)。バブル期の強引なセールスが顰蹙を買い、総務課に飛ばされた課長(柴田恭兵)。ほかに、妻の重病を契機に家庭人間となった者(河原崎健三)や、退職寸前で事なかれ主義の係長(小坂一也)など、深い事情を抱えた人物が揃っており、やろうと思えばいくらでも大仰にウェットに仕上がるところだ。
ところが、題材が題材だけに、そうはならない。ほとんどのメンバーが営業経験がなく、宣伝費はゼロ、クズみたいな物件を押しつけられ、おまけに経営者側のスパイがわずかなチャンスをも摘み取っていく。荒唐無稽というなかれ、けっこう現実と近かったりするのだ。サラリーマンの悲哀などゆっくり味わうヒマはなく、厳しい現実になりふり構わず抵抗する彼らの姿を容赦なく描くことによって、逆に組織の中で埋没しそうになる人間性をリアルに提示しようとしている。
クライマックスは特販部の廃止を決める役員会での、特販部員と幹部との対決。副社長の元愛人の女子社員(高島礼子)の証言により、副社長の不正の数々が暴かれる。そして特販部スタッフがどんなに辛酸を嘗めたかも公表される。センチメンタルに盛り上がって当然の場面だ。しかし、ハッピーエンドには持って行かない。副社長の“貴様らのようなボンクラどもの食い扶持も、俺たちが頑張って稼いでやったんだぞ。少しばかり頑張ったからって、お前らが会社のお荷物だったことは間違いない!”という言い分も事実なのだ。
柴田恭兵が副社長に怒りの鉄拳をぶちこもうとも、中村敦夫が病身を顧みず必死の説得をしようとも、カタルシスは生まれない。作者もそれを知っている。このやりとりは、重く苦い。結局、勝負の行方は“これ以外の結末はない”という形で終わる。
それにしても、“どんなに惨めな仕事でも、与えられればやらずにはいられない、それがサラリーマンの悲しい性だ”という劇中のセリフには考えさせられた。見ようによっては食い足りない点も多々あるが、この頃の邦画の中ではかなりマシな部類である。なお、レゲエを大々的にフィーチャーした小玉和文の音楽は非常に見事だ。