はこがゆく

~ フランスからモーリシャスへ ~

カウントダウン

2004-12-31 23:59:31 | Weblog
大晦日。

寮生のひとりが手料理をつくってみんなを招いてくれた。
彼は本国(アルゼンチン)で料理教室にも通っていたらしく
”料理は僕にとってセラピーみたいなもんだ”と言っていた。
いろんな食べ物事情を抱えている人のために
ヴェジタリアン仕様のディッシュとか工夫していた。さすが。

そのあとは7人でパリに繰り出した。
エッフェル塔の近くでは花火が打ち上げられ、
シャンゼリゼのイルミネーションは一際美しくなる、
と聞いていたので期待していく。

パリの外れに車を停め、そこからメトロで中心部へ。
今晩はメトロは終日動いており、しかもただ。すごい。

とか思っていたら電車が途中駅で止まってしまった。
仕方ないので予定外のところ(Trocadero)から
エッフェル塔を見ることに。

混雑している中をフランス人のお仲間が案内してくれ、
エッフェル塔を目の前にして準備ばっちり。
と思ったところが12時をすぎても花火があがらない。
そうこうしているうちに10分が過ぎ、20分が過ぎ、
エッフェル塔の電気も消えてしまった。
???

しかも周りでは自分で持ってきた花火を上げている人やら
シャンパン片手に騒いでいる人やら
クラクションをビービー鳴らす人やらすごい混雑。

結局あとで分かったのだが、私達のいた場所から
ちょうど見えない場所で花火は上がっていたらしい。
しかし私達グループだけでなく
同じ場所にいた大勢の人が逃したに違いない。

仕方ないので次にシャンゼリゼまで歩いていく。こちらもすごい人だった。
がイルミネーション自体はクリスマスから続いているものと
何ら変わりはない。しかも1:00になったら消えてしまった。
なんのこっちゃ。

こうして我々の期待していた華やかな大晦日とは程遠い
なんだか拍子抜けな新年でしたとさ。

でもその拍子抜けさ加減もとってもフランスだなぁと
微笑ましい感じさえしたのは、私がフランスびいきだからだろうか。






Auvers sur Oise

2004-12-30 20:20:53 | Weblog
念願のオーヴェールの教会を見に行った。
大きな感動。

ゴッホの”オーヴェールの教会”は日曜美術館という朝日新聞の日曜版のコーナーで
取り上げられているのを見て以来、私が今までで一番感銘・衝撃を受けた絵だ。
その絵に描かれている教会がパリから少し離れた田舎町に今も現存している。
思ったよりも大きい。でも確かにあの絵の通り。
実物を見ると彼のデッサン力の確かさと解釈の豊かさを実感する。

ゴッホが最後の2ヶ月暮らした地なので
彼の住んでいた家だけでなく描いた家やら村役場やらが残っている。
彼の足跡をたどる小旅行となった。
じわじわと静かな感動に包まれた。

町のはずれ、教会の近くにゴッホとその弟テオの墓がある。
亡くなる時まで一般的な意味では”豊か”ではなかったことがわかる、
ごく一般的な墓だった。

何年越しの思いだったかわからないけれど見れてよかった。
今日は記念すべき日。


モンマルトルへ

2004-12-28 17:50:24 | Weblog
午後、電車でモンマルトルにいく。
初めて訪れる場所。友人から”行くべきだ”と
言われていたのでちょっと期待しつつ。

予想以上にいってよかった。
階段を歩くので、かかとの低い靴を履いていって正解。
パリの中では一番見晴らしがいいんじゃないかと思った。

サクレクール寺院の様式はビザンチン様式というらしい。
ここ数日ストラスブールで見てきたゴシック建築とはまったくちがう。
個人的にはゴシックのダークな感じが意外と好きだが、
サクレクールはそれに比べると真っ当に美しい
(円形を多用した天井とか)。

周りの雰囲気は下町っぽいというか、柄が悪いというか
ほかのエリアとは店の雰囲気も人もだいぶ違う。

帰りはバランスを取るように、シャンゼリゼへ。
GE提供のイルミネーションは美しい。
社名をそこまで書いていなければもっと好感を持つのに。

パリで夕食を食べて電車で帰ろうとしたら、
どうもRERC線がでている雰囲気がない(22時半頃)。
駅員さんに聞いたら
”そこまでの電車はもうないからタクシーにのれ”とのこと。
終電早すぎ。仕方ないのでヴェルサイユからタクシー。

こちらの電車はどうも乗りこなせない。
車買え、ってことかなぁ。



ネイティブとお茶

2004-12-26 01:55:02 | Weblog
同級生のひとりがストラスブール出身なので今日は彼女に会う。

延々2時間くらい7人でお茶した。
学期中は忙しいのでこんなに長く話せなかったけど
話してみるとバックグラウンドが違うだけにとても面白い。

以下話題に出たこと
MBAT(体育祭)でどの競技に出場するか
アルゼンチンタンゴの起源
韓国の苗字(金、朴、李)
ハングルのなりたち
ストラスブールの言葉 など

来学期は先学期以上に授業と関係ない話をしたいと思った。

夜、閑散とした寮に帰宅。

Colmar小旅行

2004-12-25 01:43:07 | Weblog
今回の旅は同級生計6人、車2台で来ている。

今日はそのアドバンテージを生かすべく、近くの小さな村までドライブ。
ここはストラスブール以上に小さく古いかわいい町並。
住人がいい人に見えてくるから不思議だ。
街頭でアコーディオンを演奏している人がいい雰囲気を作ってくれている。

しばらく歩いて回った後、カフェで食事。
近頃のみんなの関心事
”カフェ・ヴィエノワ”の定義は???

帰りにさらに2つ村に寄った(リヴォヴィルとあともうひとつ)。
だんだん暗くなってくるし寒いし雨降ってくるしお腹へってくるし。
、、みんなタフだよなぁ。

いざストラスブールへ

2004-12-24 01:23:41 | Weblog
今回の旅の目的地、ストラスブールに到着。

まるでおとぎの国。
壁の色合いは映画”シザーハンズ”に出てくる町のようなパステル調。
その壁が濃い茶色の木枠で縁取られている。
そこにクリスマスの飾りつけをしている。
なにもなくても、それだけで、もう大満足。

今までフンデルトヴァッサーの家のことを
すごいオリジナリティーだ、と思っていたが
もしかしたらこういう家をすでに見ていたから
彼はあんなデザインの家を思いついたのかも。

街の広場にはクリスマスのマルシェ(市場)がでている。
クリスマスのデコレーショングッズやお菓子などがメイン。
vin chaud(暖かいワイン)を飲みながら見て回った。

それにしても今回の旅は毎日昼間っから飲んでばっかり。

夜は地元の典型的な食事でクリスマスディナー。
いままで話したことがなかった同級生と仲良くなれて楽しかった。

さらに23時30分からはノートルダム大聖堂
(<同様の名の教会が全国にある)のミサに出席。
司祭が魔法の杖みたいな杖もっていたり、
中世かとおもうようないでたちの警備員(?)がいたり
進行も今までに出たどのミサよりも儀式的でびっくり。
しかも2時間くらい延々続いて、正直眠かった。
でも”きよしこの夜”のフランス語バージョンと
ドイツ語バージョンが知れたのは貴重。



東へ。

2004-12-23 21:57:19 | Weblog
倫敦から帰宅して休む間もなく今度は国内の旅へ。

23日から26日まで、Strasbourgへ。
ストラスブールはフランスの中では東の端に位置し、
過去数回ドイツ領になるなど特異な地域だ。
クリスマス村として有名。

9時に寮を出発して車で東へ。
まずはChampagneに寄ってMoet &Chandon のcaveに訪れた。
銀行か、と思うような立派な建物。
地下にシャンパンを熟成するためのカーヴがある。迷路のようだ。
”シャンパンってこうやってできるのねぇ。”気分は小学校の社会見学。
しめは試飲。98年のヴィンテージ(白とロゼ)を2杯。
真昼間からいい気分。

そのあとはアールヌーボー発祥の地、Nancyまで。
ついた頃にはすでに周りは暗く、あまり見て回れなかったのが残念。
同級生の学部時代の先輩のお家に泊めてもらった。
お昼に購入したシャンパンで乾杯。またまたいい気分。



帰宅

2004-12-22 21:55:23 | Weblog
22日。
16時ヒースロー発の飛行機にのってシャルルドゴールへ。
言葉に不自由しない環境から、また不自由な環境へ。

ロンドンはヒースローエクスプレスという
成田エクスプレスみたいなやつに乗ったので快適だった。

シャルルドゴールからは地元人になるべく、電車を駆使して寮に帰った。
これが大間違い。パリ都心部までは問題なくついたのだが
最後の電車が1時間に1本しかこないことが判明。
携帯も持ってないわ、テレホンカードもないわ、
タクシーなんていない田舎駅。
結局、58分くらい寒い駅で待つはめになった。
参りました。

Bath

2004-12-21 21:49:44 | Weblog
パディントン駅から電車にのってBathへ。

その名の通りbath(お風呂)の語源となったところ。
紀元前にローマの人がやってきて共同浴場をつくった跡が
残っている(本当はもっといろんなことをしたんだろうけど。)

なのでイギリスというよりはローマ、という印象の建物だった。
いってみればローマ版、箱根小涌園みたいなかんじ
(小涌園いったことないけど)。

バース自体は小さな町。
建物がロンドンとはまた違っていて面白い。
ヨーロッパの町を巡るたびに、
建築とか勉強したら面白いだろうなぁと思う。