チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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心肺停止

2019年07月24日 | ヒロシ
ICUで通された部屋には、5~6人のスタッフが忙しく動いていた。
その中心にいるのは、見覚えのあるヒロシの主治医。
身体を上下に動かし、心臓マッサージを行っていた。
「奥様が着きました。」
すると、医師は心臓マッサージを止め、私に向き直った。
「奥さん、ヒロシさんの状態を説明します。
透析が始まって2時間後くらいに、不整脈が起こってしまったのです。
今、ヒロシさんの心臓は、モニターを見ていただくとわかるのですが、細かく波打っているでしょう? この状態では、心臓はポンプの役目ができず、血液を送ることができないのです。1時間以上、心臓マッサージを続けましたが、回復の兆しはありません。もう、胸の骨も折れています。(強く胸部を圧迫するので、骨折することがある)
残念ですが、このまま様子をみるしかありません。
心臓マッサージを止めても、よろしいですか?」
ああ、ヒロシは、今回は戻ってこれなかったんだ。
「はい、わかりました。心臓マッサージを止めていただいて結構です。」
それから、息子たちに連絡し、義兄にも連絡した。
説明を受けた時、80台だった血圧が徐々に下がっていき、15分後くらいにはギザギザだったモニターの心臓の波も直線になった。
心臓が止まったのに、人工呼吸器のせいでその胸は規則正しく波打っていた。
医師は、息子たちが到着するのを待ってくれたが、とうとう、
「申し訳ありませんが、よろしいですか?」と言った。
「はい、結構です。」
聴診器を胸に当て、ペンライトで両目の瞳孔を確認した医師は腕時計を見て、
「12時42分 ご臨終です」と首を垂れた。
私は、不思議と涙が出なかった。冷静に医師の言葉を受け止めていた。
テレビドラマのように「ヒロシ~」と遺体に取りすがって泣いてしまうことはなかったのだ。







意識不明

2019年07月22日 | ヒロシ
ヒロシを病院へ送り出した私は、調理ができなくなった母のためにお惣菜を買い込み実家へと向かった。
投票を午前中に済ませようと、杖を頼りに歩く母と坂道を下りようとしたとき、私の携帯電話がなった。いつもはマナーモードにしているので気づかないことが多いが、その時はなぜか通常モードにしていた。
画面を確認すると、知らない番号からだった。でも、この市内番号は街中だ(病院は福島市の街中にある)。
不審に思いながらも、出てみる。
「ヒロシさんの奥様ですか? こちら、OS病院透析室です。ヒロシさんの意識がありません。今すぐ、病院に来てください。」
「はい、分かりました。でも、私、今、自宅じゃないんです。」
「どれくらいかかりますか?」
「30分から40分はかかると思うんですけど・・・」
「それでは、息子さんとかに来ていただけませんか? いずれにしろ、この先入院することになりますから」
ああ、それでは息子より私の方がよいと思った。
「はい、分かりました。これから、私が向かいます。」
車を運転する私は不思議と急くことはなかった。
それは、一年前、心肺停止状態から、戻ってこれたからだった。
今度だって、きっと大丈夫。
 
病院に到着したのは、11時45分頃だったろうか?
透析室に入って、ヒロシの名前を告げると、
「ああ、ヒロシさんの奥様ですね。今、ヒロシさんは意識不明の状態です。
急いで、ICUに行きましょう。」と、看護師さんに手を引かれた。
 

うしろ姿

2019年07月21日 | ヒロシ
ヒロシが逝って、一週間が過ぎた。仏教では初七日に当たるのだろうか。

あの日、私は、実家の母が義理があってどうしても参議院議員選挙に行きたいというので投票に連れていく予定でヒロシのハスラーを借り、ヒロシは私のリーフで病院に向かうことにしていた。
いつもは、病院に出かけるヒロシが「行ってきます」を言うのを、私は居間でワイドショーを見ながら「いってらっしゃ~い」と声をかけるだけだった。
その日は、足の壊死を起こしかけていたヒロシが慣れない車で事故など起こしはしないだろうかと、なぜか気になって急いで玄関へ行くと、ヒロシが出てゆくうしろ姿が見えた。
私は、「これがヒロシを見る最後になるなんて、そんなこと、あるなずないよね。」
とちらりと思った。
ところが、それがヒロシを見た最後になってしまった。
私は、今もヒロシのうしろ姿を鮮明に覚えている。
別れとは、こんなものなのかもしれない。

混乱の時、いつも私はブログにさらけ出すことで、自分を保ってきたように思います。おそらく今回も、ここに書くことで、なんとか今の状態を乗り切ろうと思っているはずです。
皆さまのお悔やみのお言葉、本当にありがとうございます。
お一人ずつ御礼を述べるゆとりが私にはまだありません。
申し訳ありませんが、しばらくの間、コメント欄を閉じさせてください。

ヒロシ逝く

2019年07月15日 | ヒロシ
7月15日12時42分、夫ヒロシ急性心不全により急逝しました。
不思議と涙がでてきません。あまりに突然すぎて実感がないのでしょう。
しばらくの間、ブログを休ませていただきます。
コメントをいただいていた皆さま、お返事できなくて申し訳ありません。