昨夜は、久々に「鬼平犯科帳」の新作を堪能しました。
私は、吉右衛門鬼平の大ファンです。
私の中では、原作のイメージを損なわない数少ない作品のひとつ。
それもそのはず、原作者の池波正太郎さんは、中村吉衛門さんの実父、先代松本幸四郎(故 松本白鸚)をイメージしてこの作品を書いたといいます。
私の父は時代劇好きで、NHKの大河ドラマをはじめ、萬屋錦之介の「子連れ狼」や中村敦夫の「木枯し紋次郎」、「必殺シリーズ」などをよく観ていました。
あの頃、もちろん先代松本幸四郎主演の「鬼平犯科帳」も観ていました。
当時、私は鬼平のおもしろさが解かりませんでした。
「大岡越前」や「銭形平次」などの勧善懲悪ものとは、一味違うおもしろさを理解するには、まだ人生経験が足りなかったのでしょう。
池波さんは作品の中で、鬼平にこう言わせています。
「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、しらぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事を楽しむ。これが人間だわさ。」
悪人である盗人たち、与力、密偵、そして彼らにかかわる女たちの人間ドラマを描いているところに、この作品のおもしろさがあるようです。
私の好きな作品は、「大川の隠居」「本所桜屋敷」「むかしの男」などです。
もちろん、原作は全部読んでいますよぉ。
ところで、長谷川平蔵は実在の人物で、天明7年(1787年)火付盗賊改役に任ぜられました。寛政の改革、老中松平定信の下で、私財を投じて石川島に人足寄場(犯罪者の更生施設)を作ったことが有名。
ですから、TVドラマ「大岡越前」で、寄場送りとするという判決を下すのはおかしいのです。
鬼平と呼ばれていたかどうかは分かりませんが、実際に盗賊葵小僧を捕らえるなど非常に有能であったということです。
また、「雨引の文五郎」読み直してみたくなりました。