チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
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ココロのケア

2011年03月27日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

ニコッとタウンのお友達で、阪神淡路大震災被災者である或る方は、震災直後2週間の記憶が全くないという。
人は、耐えきれないつらい体験があると、その記憶を消してしまうらしい。
消すというよりも、二度と思い出せないよう閉じ込めてしまうと言った方が正しいのかもしれない。
ココロの自己防衛が働くのだと何かに書いてあった。

1か月後、私もこの記憶を失くしてしまうのだろうか?
おそらく、大丈夫だとは思うが、記憶を留めているうちにできるだけ、ここに書いておこう。
今、書くことは、私の精神安定剤となっている。

数か月後、私も心療内科や精神科のお世話にならないとも限らない。
被災者の方々の心のケアが、十分に行われますように・・・


大地震 その16

2011年03月27日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月13日(日) 震災3日目

17時 
帰宅後、作業したことで疲れ果ててしまった私は、夕食の準備をする気にもなれず、コタツで横になっていた。
台所の方で、ドスンと音がした。

また、長男が冷蔵庫の中を漁っているのか? 何か落としたな?
まったく、食料難の時に・・・

と考えていると、シーンとして後がない。
不審に思い、台所へ行ってみる。
すると、両足を投げ出し、長男が座っていた。

「どうした?」
「ん、・・・・なんかヘンだ。目の前が真っ暗だ。なんかヘン・・・頭が痛い。」
顔が真っ青だ。これは、大変だ!
あわててヒロシを呼ぶ。
「気持ち悪くないか?」
側にあった洗い桶をあてがう。長男が、吐いた。茶色の水が出てきた。
少し落ち着いてから、コタツで身体を温めることにした。

神経が図太いと思っていたが、彼も今回の震災で相当なストレスを抱えていたのだと思った。
当日、屋外に避難した時、薄着だったので寒かった上に、今日は給水所に2時間以上並んだことで、体調を崩してしまったのだろう。
薬を飲み、早々に休むことにした。


ところで、電気が通ったというのに、我が家の電話は繋がらない。
受話器を取っても、ウンでもスンでもない。
これは、何か復帰作業をしないとだめだと気付く。
ヒロシが、マニュアルを引っ張り出し、あちこち操作してやっと、ツーッという発信音が聞こえた。
けれども、あちこち、電話してみるが全く繋がらなかった。
二男とも連絡が取れない。
これまで、例のない大震災だ。相当混んでいるのだと思った。


その17へ つづく