桐島容疑者とみられる男の自宅を捜索本人特定につながる資料などの押収へ警視庁公安部
指名手配犯であるその男のポスターは何度も見ていた。
こんな素敵な笑顔の人なのに、いったい何をやったの?
1974年8月から1975年5月にかけて12件の連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線」と名乗るテロ組織のメンバーだという。
そんな大事件なのに、私の記憶には残っていない。
ああ、そうか、あの年だったんだ。
1974年(昭和49年)、私は高校3年生だった。
夏休みの親子面談で、私の大学進学の道は閉ざされてしまった。
(母が我が家へ同居した時、その時は大学へ上げる金銭的余裕が無かったのだと話してくれた)
それからの私は、もう何もかもがどうでもよかった。
不貞腐れて毎日を過ごしていたのだ。
それでも、就職試験を受け、翌年の春から働き始めた私は仕事を覚えるのに一生懸命だった。
自分のことしか見えていなかったから、世の中の出来事がすっぽり抜けていたのだと思う。
もし大学へ進学していたら、私の人生は変わっていただろうか?
いや、それ程に変わってはいなかったと思う。
仕事などは別のことをやっていたかもしれないけれど、私の考え方や生き方は今と同じだったと思う。
「進学していれば」という後悔は無い。
指名手配犯Kは「後悔している」と語ったと言う。
テロ組織と関わらなければ、今頃、酒を飲みながらロックを口ずさみ、孫の成長を楽しみにしていたかもしれない。
指名手配犯Kにも、チエちゃんにも、49年の歳月が流れた・・・
浅間山荘事件はテレビでずーっとやっていたのを覚えていますが、桐島聡の事件の事は私も覚えていません。
大学に行きたいとは思っていなかったな~
漠然と金が随分係るだろうことも解っていたし家に金がない事も解っていた。
大学には行きたくなかったけど、家業の林業継ぐのも嫌でした。
嫌だけど、それ以外の選択肢は親が許してくれなかったっけ(。´-д-)
子どもながらに家の財政事情を察していましたからね。
あきらめるしかなかった。
でも、本当に行きたかったのなら、働きながらでも通えたはずなので、それをやらなかったってことは、ただ社会人となるのが怖かっただけと思っています。
私も農家は嫌だなと思っていましたけど、今頃になって農業って大切だなって思い始めています。
もっと父にいろいろ教わっておくのだったと。