Kさんは私が40代終わりの頃、身障者枠で雇用された元同僚だ。
彼女は子供の頃から腎臓病を患い、20歳から32年間も人工透析を続けてきたのだと言っていた。
腰を屈め、杖を突いて歩く姿はまるで90歳の老女みたいだったが、気持ちは若く、明るく、永遠の少女のような人だった。
お化粧やファッションが大好きで奇抜な装いをしてくるので、周りから浮いていたというか、他の社員たちはどう接したらよいのか分からなくて彼女のことを敬遠している向きがあった。
私は、彼女と机が向い合っていたし、仕事を教えるという関係だったこともあって、彼女と一番親しくなったと思う。
前の会社で覚えたというパソコンを人差し指一本で入力して、がんばっていた。
けれども、仕事が遅い彼女にかげぐちを言う人もいた。
そんな中、私の夫ヒロシが糖尿病から腎不全を併発し、人工透析を受けるようになる。
私は、なんという巡り合わせなのだろうと思った。
彼女は私に人工透析についてたくさんのことを教えてくれた。
まず、腕にシャントを作らなければならないこと。
透析患者は、野菜やくだものに多く含まれるカリウムと高タンパクな食品に含まれるリンが体外に排出されないので、摂取をコントロールしなければならないこと。
そしてさらに、水分と塩分をコントロールしなければならないこと。
透析患者は尿として水分を体外に排出できないので、機械を使って毒素と共に水分を取り除く。(これを患者たちは『引く』と言っている)
ただし、水分を引くのは身体、特に心臓に負担が掛かる。なので、次の透析までに増加しても良い体重(つまり水分)は1.5kg~2.0kgなのである。(少なければ少ないほど良い)
透析患者は、いかにして己の欲望を抑えられるかという闘いなのだ。
ヒロシは500mlのマグボトルの水を一日分の摂取量と決めていたけれど、ほとんど守れたことがなかった。
彼女はそれをキッチリと守っていた。だから30年以上も人工透析に耐えられたのだ。
それに、彼女はある意味、命について達観しているように見えた。
それは周りの多くの患者たちが突然亡くなっていったからだと思う。
確かに、彼女にはわがままというか、病人だから大目に見てよという面もあったけれど、それは長い間に身につけた処世術に思えた。
彼女は東日本大震災のあった春、仕事を辞めることになった。
それまで夜間に透析を実施してくれていた病院が医師の高齢化のため、日中のみに変更したからだった。
彼女は58歳で亡くなった。
どうしてKさんのこと、思い出しちゃったんだろ?
ああ、そう! 猫の毛がふわふわってことよ!
彼女もアメショを飼っていたことがあって、よくその話をしてくれた。
メスの毛並みはね、ふわふわしていてすごく気持ちがいいの。
オスはね、(毛並みが)全然違うんだけど、ビロードのようで触ると、これもホントに気持ちがいいの。
後に、我が家でも猫を飼ってみて、わかったの。
Kさんの言ってたとおりだって。
Kさん、ありがとうね。あなたのこと、ずっと忘れないよ。
え。あんなに少ないんですか。
健常者は最低2リットル飲みましょうて言われてますよね。
500ml本当に少ない。。。
なんだかそれが守れなかったヒロシさんの気持ちすごくわかります。
きっと喉が渇いていたんでしょうね。
切なくなります。
Kさんはとても強い方だったのですね。
Kさんから教わったこと、今でもチエさんの心に生きていてKさんを思い出せるなんて素敵だと思います!
Kさんみたいに私も見習いたいです。
コメントありがとうございます。
そうなんですよ。500mlなんてすぐ飲んじゃいます。
それで、夫はよく氷を舐めていました。
4kgとか増えちゃうと、1回で3kgしか引くことが出来ないので、1kg残っちゃうでしょ。
そうなると、次の回はもっと我慢しなきゃならないから大変。
ケイエスさん、プロジェリア症候群で亡くなったカナダ人のアシュリー・ヘギさんをご存知ですか?
Kさんは、アシュリーさんに似てるんですよ。容姿がという訳じゃなくて、生き方が似てるんです。
コメントありがとうございます。
私がKさんのことを思い出したのは、猫のこともありますが、nao-King さんのブログを読んだからかもしれません。
腎臓ってね、なまけ癖を覚えるんですよ。
機械がやってくれると、あ、僕はやらなくていいんだなって思っちゃうみたい。
大切にしてください。
Kさんのようにきっちりコントロールすれば、30年以上大丈夫なんです。
応援しています。