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時悠人chosan流処世術

●企業体質

2005-05-07 11:00:08 | 日記・エッセイ・コラム
 ここ2週間ほど憂鬱でやりきれない気分の日が続いたのは、私一人ではあるまい。JR西日本の脱線事故は、人命と安全管理、経営、社風等々の色んな問題を投げかけたし、私自身、事故のショックでホームページを更新する気力も失せていた。

 「1分30秒の遅れが命を奪った!」「利益優先・人命軽視」といったフレーズがメディアを飾ったが、それ以上に、事故後、次々に発覚したボーリング大会やゴルフコンペの開催等々、JR社員のモラルの低さが非難を浴びた。とりわけ、事実を隠蔽するが如きJR側の対応がいっそう不信感を増幅している。

 企業体質と一言で片付けるのはた易い。だが、現場で一生懸命汗を流している人たちがいるのは事実だし、誰よりも口惜しい思いをしているのもそういった社員だと思う。所与の作業に真面目に従事している社員には、何故、こういった悲惨な事故が発生したのか、自己嫌悪に陥っている者すらいるかも知れない。

 企業風土というものは、それを構成する個々人の資質を超えた組織体としてのメカニズムが働くものだ。組織が大きくなればなるほど、その傾向が大きくなり、会社への求心力が弱まってしまう。大企業で管理コストが増大する所以だ。しかし、それは一見無駄なように見えるが重要なファクターだ。巨大企業ほど、きめ細かな管理が必要だし、経営陣のリーダーシップが最も重要な要素になる。ましてや、人命を預かる事業体においてはなおさらだ。

 「民に出来ることは民に任せる」との一辺倒では、経営効率や利益追求が優先するのは当然だということを、どこかの首相は謙虚に耳を傾けて貰いたいものだ。「官」のままで、サービス向上や無駄遣いはどれだけでも排除出来るし、「民」でなければならない必然性を自問自答すべきだろう。