熊野古道を一緒に巡った東京の友人から届いたメールに、「田山花袋の旅の一節より」と題した文章が引用されていた。
『旅はどんなに私に生き生きとしたもの、新しいもの、自由なもの、まことなものを与えたであろうか。また、旅に出さえすると、私はいつも本当の私となった。』と。
旅の魅力はいろいろあるし、その感じ方も人それぞれだが、『旅に出さえすると、私はいつも本当の私となった』のくだりに共鳴した。熊野信仰や歴史上の史実を事前に学んだせいか、世界遺産に登録された価値を素直な気持ちで認容出来たことが大きな収穫に思えた。日頃、批判的に物をみる俗っぽい自分の生きざまへの反省ともだぶり、”本当の私”を取り戻したと感じたのかもしれない。
旅の仕上げに勝浦温泉に投宿した際、熊野灘を望みながらだれかれともなく一句ひねりあった。もとより、俳句の素養もない者ばかりだから正に雑詠だが、旅の魔力がそうさせたのかも。
「旧友の いびきなつかし 二重奏」 「熊野路を こえて今宵は 長湯かな」 「あわれやな 九十九王子の 遺跡群」 「熊野道 いにしえびとに 思いはせ」 「薫りたつ 若葉のこずえ 那智の滝」
「静けさの いにしえびとも 熊野路を」
「潮騒に 友と語らう 熊野灘」
『旅はどんなに私に生き生きとしたもの、新しいもの、自由なもの、まことなものを与えたであろうか。また、旅に出さえすると、私はいつも本当の私となった。』と。
旅の魅力はいろいろあるし、その感じ方も人それぞれだが、『旅に出さえすると、私はいつも本当の私となった』のくだりに共鳴した。熊野信仰や歴史上の史実を事前に学んだせいか、世界遺産に登録された価値を素直な気持ちで認容出来たことが大きな収穫に思えた。日頃、批判的に物をみる俗っぽい自分の生きざまへの反省ともだぶり、”本当の私”を取り戻したと感じたのかもしれない。
旅の仕上げに勝浦温泉に投宿した際、熊野灘を望みながらだれかれともなく一句ひねりあった。もとより、俳句の素養もない者ばかりだから正に雑詠だが、旅の魔力がそうさせたのかも。

「静けさの いにしえびとも 熊野路を」
「潮騒に 友と語らう 熊野灘」