プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

●熊野三山巡り~那智大社~

2005-05-18 14:46:30 | 旅行記
EPSN00032005年5月15日。古道巡りの最終日は、紀伊勝浦温泉から大門坂・那智大社・青岸渡寺・滝を巡り帰路に着く旅程。前二日にもまして晴天で、澄みきった空からの日差しがまぶしかった。大門坂は、観光ポスターにもよく使用される那智大社の旧参道で、振ケ瀬橋をわたると、樹齢800年といわれる夫婦杉が迎えてくれる。苔むした石畳の階段の両側に杉林が約1キロ続くがかなりきつい登りなので、つい、うつ向き加減になり、101番目の多富気王子を見逃してしまった。

大門坂を過ぎ、お寺前駐車場を横切るとふたたび467段の石段が待っている。那智大社参詣の最後の試練だ。汗を拭きながら上りきると、鮮やかな朱色の社が目に飛び込んできた。すぐ横には西国三十三所観音霊場の1番札所の青岸渡寺が建っているが、大社の華麗さに対し、古色然として威厳に満ちており、周囲の緑に調和していて私はこの方が好きだ。

 青岸渡寺から那智の大滝へ向かう途中に朱色の三重塔がある。朱色の塔と滝を遠望出来るアングルは、記念写真の絶好のポイントといえよう。那智の滝は、日本三名瀑のひとつで落差133メートルもある。那智48滝の一の滝で、滝自体が飛瀧神社のご神体となっており、修験道の行場としても名高い。300円払えば、水沫をかぶる滝つぼの近くまで行くことが可能だ。マイナスイオンを全身に浴び、しばし暑さを忘れさせてくれた。

 昨年、世界遺産に登録されてから以前にもまして脚光を浴びる熊野古道だが、林業従事者と行政側との抗争も取りざたされている。なぜ、登録申請前に利権調整できなかったのか残念な思いがするが、一日も早く解決し、日本が誇る遺産を大切に守って行って貰いたいと願っている。
 


●熊野三山巡り~本宮大社~

2005-05-18 09:45:57 | 旅行記
EPSN00032005年5月14日。早朝、川湯温泉からバスで発心門王子まで移動し、本宮大社まで約7キロの行程。発心門王子は、五体王子の一つで、熊野大社の聖域の入り口を記す鳥居・発心門があったことから名付けられた由緒ある王子社だ。ここから水呑王子・伏拝王子・祓戸王子を経て本宮大社に着く。EPSN0008水呑王子は、谷川から水をひいた水のみ場が復元されているが、かつては苦行の山越えをして来た参詣者がきっとここで一息ついたのだろう。EPSN0012伏拝王子は、石造りの小祠が残っているだけだが、和泉式部が参詣した際の逸話で有名な王子だ。小祠の横に式部の供養塔がある。
 「晴れやらぬ身の浮き雲のたなびきて 月の障りとなるぞ悲しき」と詠んで、大社参りを断念した式部の無念さが伝わって来るような気がした。EPSN0022祓戸王子は、本宮大社のすぐ裏手にあり、旅の汚れを祓い清めるための潔斎所だったことからその名がついたとか。杉や樫の大樹に囲まれた小祠は、長旅の終着に相応しい落ち着きを放っている。祓戸王子を過ぎ、住宅地を抜けると日本一の大鳥居が見えてくる。

EPSN0023熊野三山の代表格にあたる熊野本宮大社だ。熊野詣での道はいくつもあるが、中世にもっとも利用されたのが現在「中辺路」と呼んでいるルート。いにしえ人は京都を発ち、船で淀川を下り天満橋あたりで下船。海岸筋を熊野の玄関口田辺まで南下し、山中へと分け入り本宮を目指したとか。本宮からは、熊野川を船で下り、河口にある新宮(速玉大社)に詣で、那智大社へと登っていった。復路、同じ道を辿るがその距離往復で約600キロにも及び、おおよそ1ヶ月間の日数を要したという。後白河上皇が33度、後鳥羽上皇が29度にわたって熊野詣でをしたというから、如何に熊野信仰が隆盛を誇ったかが窺い知れる。

 今回は、発心門王子から本宮まで、整備され歩きやすい古道の一部を辿っただけだったが、うぐいすの谷渡りやせせらぎの音、かじかの鳴き声に耳を傾け、山野草を観察しながらの3時間だった。新鮮な感動を素直に受け入れる謙虚な気持ちになれたのは、熊野参詣のごりやくに違いない。