生来の移り気に加え、物忘れがひどくなって来た私にとって、ブログ事務局から「1年前の記事」が送られて来るシステムは、とても有難い。
「あの日・あの時、何を考えていたか」を振り返る契機になり、現状と対比すると、更に深考出来る。
政治家の暴言・失言は、後を絶たないが、自民党総裁選にまで立候補した石原元環境大臣の「金目発言」は、その後の冷遇を見れば一目瞭然で、「因果応報」の4文字が思い浮かんだ。
小さい頃、「悪いことをすると閻魔さまに舌を抜かれるよ」とか、「地獄に落ちる」と親に教えられた。宗教観が希薄になった現代でも、「悪を憎み、善を施す」心が息づいている限り、「因果応報」は死語にならない。
「祝い事でのセレモニー」と説明し、その場を凌いだが、外国人にとっては、日常生活と宗教が密接に繋がっていることを失念していた。事前に説明して、了解を得るべきだったと恥じ入った。
宗教観が異なる民族間での紛争に、無宗教に近い日本がアメリカに倣って、割って入る図式は、わが身に照らしても、高慢、かつ、愚かでしかない気がする。
「あの日・あの時、何を考えていたか」を振り返る契機になり、現状と対比すると、更に深考出来る。
政治家の暴言・失言は、後を絶たないが、自民党総裁選にまで立候補した石原元環境大臣の「金目発言」は、その後の冷遇を見れば一目瞭然で、「因果応報」の4文字が思い浮かんだ。
小さい頃、「悪いことをすると閻魔さまに舌を抜かれるよ」とか、「地獄に落ちる」と親に教えられた。宗教観が希薄になった現代でも、「悪を憎み、善を施す」心が息づいている限り、「因果応報」は死語にならない。
娘がニュージーランド人と結婚した時、「民族と宗教の批判をしないように」と教えたが、披露宴の席上に「桜茶」を用意したら、先方の母親から「どんな宗教の儀式?」と問われて、返答に窮した。★覆水不返最近の政治家の発言を聞いていると、失言と言うよりも人格を疑うものが多すぎる。 東京都議のヤジ事件は、「否認(≠避妊)⇒謝罪」と漫画チックなお粗末さで呆れるが、石原環境大臣の”...
「祝い事でのセレモニー」と説明し、その場を凌いだが、外国人にとっては、日常生活と宗教が密接に繋がっていることを失念していた。事前に説明して、了解を得るべきだったと恥じ入った。
宗教観が異なる民族間での紛争に、無宗教に近い日本がアメリカに倣って、割って入る図式は、わが身に照らしても、高慢、かつ、愚かでしかない気がする。