8月14日午後6時、「戦後70年の首相談話」を聞きたくないので、テレビを消して、夕食をとった。
翌「終戦の日」に、新聞で談話全文を2,3回読み返したが、社会科の教科書のようで、心に響かなかった。むしろ、テレビの特番で、生還して「恥さらし」、「死に損ない」と非難された元特攻隊員の生きざまの方が、はるかに戦争の悲惨さを教えてくれた。
さて、20数年前、シンガポール旅行をした時、現地ガイドが、「これだけは、是非、見て行って欲しい」と、我々夫婦を案内した所は、シロソ砦の戦争記念館。
「1942年にシンガポールを攻略した山下将軍が、ここでしたこと(華僑粛清)を、私は、絶対、許さない。」と、暗い顔で付け加えた。
日本国内では、”マレーの虎”と英雄視された山下大将が、現地の人々から憎悪の目で見られていたと知り、浮かれた旅行気分が吹っ飛んだ。
日本人の悲しみが、世代交代しても残るなら、侵略された国の人達の憎しみは、真摯な謝罪と反省の心が事実として伝わらない限り、永久に消えない。
いかなる戦争にも正義は無く、犠牲者は常に国民。真の「積極的平和主義」とは、同盟国を諌め、時には、ノーを突きつける外交力を磨くことに尽きる。
翌「終戦の日」に、新聞で談話全文を2,3回読み返したが、社会科の教科書のようで、心に響かなかった。むしろ、テレビの特番で、生還して「恥さらし」、「死に損ない」と非難された元特攻隊員の生きざまの方が、はるかに戦争の悲惨さを教えてくれた。
さて、20数年前、シンガポール旅行をした時、現地ガイドが、「これだけは、是非、見て行って欲しい」と、我々夫婦を案内した所は、シロソ砦の戦争記念館。
「1942年にシンガポールを攻略した山下将軍が、ここでしたこと(華僑粛清)を、私は、絶対、許さない。」と、暗い顔で付け加えた。
日本国内では、”マレーの虎”と英雄視された山下大将が、現地の人々から憎悪の目で見られていたと知り、浮かれた旅行気分が吹っ飛んだ。
日本人の悲しみが、世代交代しても残るなら、侵略された国の人達の憎しみは、真摯な謝罪と反省の心が事実として伝わらない限り、永久に消えない。
いかなる戦争にも正義は無く、犠牲者は常に国民。真の「積極的平和主義」とは、同盟国を諌め、時には、ノーを突きつける外交力を磨くことに尽きる。