二泊三日の香川県の旅は、JR高松駅前の旧高松城址の玉藻公園から始まった。
高松城は、今治城・中津城と並んで、日本三大水城の一つに数えられ、周辺の海域が、玉藻の浦と呼ばれていたことから、「玉藻城」とも呼ばれた。
築城は、豊臣秀吉の四国制圧後の1587年、生駒親正によるものだが、その後、松平賴重が東讃岐12万石の城主として入城し、松平家が11代228年間にわたり、高松の治世を預かった。
最盛期には、約20万坪あった城の総面積は、現在、約1/8(約2万4千坪)にまで減少し、天守閣も解体され、台座だけが残る。
しかし、海城らしく、園内のお濠には、鯉ではなく、鯛が泳いでいる。エサをやると、鯛の願いが叶うので、「大願成就」を文字って「鯛願成就」!
松平頼重の弟は、人気時代劇「水戸黄門」の水戸光圀。「信じるかどうかは、あんた次第じゃ!」との高笑いが聞こえるようだ。(^_-)-☆
高松城は、今治城・中津城と並んで、日本三大水城の一つに数えられ、周辺の海域が、玉藻の浦と呼ばれていたことから、「玉藻城」とも呼ばれた。
築城は、豊臣秀吉の四国制圧後の1587年、生駒親正によるものだが、その後、松平賴重が東讃岐12万石の城主として入城し、松平家が11代228年間にわたり、高松の治世を預かった。
最盛期には、約20万坪あった城の総面積は、現在、約1/8(約2万4千坪)にまで減少し、天守閣も解体され、台座だけが残る。
しかし、海城らしく、園内のお濠には、鯉ではなく、鯛が泳いでいる。エサをやると、鯛の願いが叶うので、「大願成就」を文字って「鯛願成就」!
松平頼重の弟は、人気時代劇「水戸黄門」の水戸光圀。「信じるかどうかは、あんた次第じゃ!」との高笑いが聞こえるようだ。(^_-)-☆