プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

●年金制度のゆくえと自己防衛

2005-10-17 08:45:54 | 日記・エッセイ・コラム
 国民の最大の関心事である「年金制度」。昨年、「100年の大計」と仰々しく見直しされたが、単なる保険料の値上げと給付金の引き下げだった。その見込みさえ、人口減少で危うくなっている。根本原因の究明を避けて、小手先だけの一時凌ぎ策では年金制度は成り立たない時期に到ったと思い知るべきだ。国民年金の未納率の増加は、制度自体の崩壊の危険性すら感じさせる。

 現在の三大年金制度(共済・厚生・国民)の統一が理想的という見解に異論は無いはず。だが、その為には克服すべき難問が多いのも事実だ。だからこそ、郵政問題以上に執念を燃やして取り組んで欲しい課題でもある。

 しかし、先のブログでも書いたように、日本はアメリカ型社会に傾斜している。現政府に、ヨーロッパ型の高福祉社会を期待しても無駄だと認識すべきだ。仮に、年金制度の抜本的改革が実現するとしても、10年以上先の話だ。現に、議員年金制度だけでも迷走している。ましてや、共済年金と厚生年金の統合や、国民年金も加えての制度見直しとなると、展望すら立たない状況だ。とすれば、自分の老後は自分で守るライフプランを検討しておく方が賢明だ。

 これから検討したいと思っている人のために、「確定拠出年金制度」(日本版401K)を勉強することをお勧めしておこう。平成14年1月に制度がスタートしたにも拘らず、意外と知らない人が多いようだ。本制度は人により条件が異なるので、詳しく説明しないが、20歳から60歳未満の人なら勉強しておく価値はあると思う。アメリカ型に傾斜している日本だけに、なおさらだ。


★社会主義的資本主義経済の崩壊

2005-10-15 13:56:56 | 日記・エッセイ・コラム
 村上ファンドの動きに、老舗企業が揺れている。今春のライブドアに続き、楽天もマスメディアに攻勢をかけた。いずれも企業防衛の甘さにつけ込んだ形だが、従来の護送船団方式型の日本型会社経営の終焉を告げているようにも思える。

 村上さんの話は極めてドラスチックに聞えるが、資本主義経済下では当たり前のことでもある。そもそも、日本は世界でも類を見ない「社会主義的経済」を上手に根付かせた国だ。資本主義国でありながら、株主よりも経営者に都合良いシステムを採用した。会社は、終身雇用・年功序列制を巧みに利用し、滅私奉公型労働者をこき使い発展してきた。ところが、今や、労働力市場は一変した。

 価値観の多様化と成果・能力主義が進むなか、バブルの崩壊が拍車をかけた。リストラの雇用調整弁として、派遣社員やフリーターが活用された。彼らの意識は、自由を満喫しているかのようだが、低所得労働者として消耗品扱いでしかない。今後ますます、貧富の格差が顕著な社会になるのは目に見えている。

 現内閣が誕生して以来、手がけた政策と成果を冷静に分析すれば、その傾向が窺えるはずだ。それが良いことか悪いことかの判断は別にして、かつての日本独特の社会主義的資本主義経済が、確実にアメリカ型の仕組みに機軸を変えたことだけは確かだ。


●貧乏暇あり時代の到来

2005-10-14 09:05:31 | 日記・エッセイ・コラム
 国連が発表した2005年版の「世界人口白書」では、世界の人口は約64億人。2050年には90億人突破との予測。一方、少子高齢化が進む日本は、約1億2810万人で9位から10位に。2050年には、約1億1220万人に減少するとの予想。政府は、人口減歯止め策を模索しているが、私は少し違った思いを持っている。

 それは、限られた資源を持つ国土だから、それ相応の人口規模になった方が良いと思うからだ。果てしなく発展を続けることにより、日本経済を豊かにするという幻想を捨てたらどうかと思うのだ。日本企業は、世界各地に生産拠点を持ち、グローバルレベルでの市場競争を展開している。GDP世界二位の超経済大国だから、日本経済にかげりが見えれば、その影響度が大きいことも理解できる。だが、その先にあるのは一体何なのだろう。

 「貧乏暇無し」は、遠い昔の話。戦後の飢餓時代を乗り切るために、日本国民は、がむしゃらに働いた。外国からエコノミック・アニマルとか働き蜂と揶揄されながらも、日本経済は高度成長を成し遂げた。誰もが「金持ち暇アリ」を夢見、「一億総中流」と呼ばれるレベルまで達したのが、バブル期。「金持ち暇無し」になり、もう少しで夢に手が届くまでになった時、バブルは気泡と化した。国民一人一人が、伸びきった価値観を身の丈相応に縮める努力が、一番大切なのに出来ないでいる。現代の殺伐とした社会を作り上げた最大の原因は、経済発展の過程で置き去りにされた、大切な家庭生活や公徳心といった精神文化の欠落ではなかったのか。

 今までは時間をお金で買って来たが、老後は、時間がありあまる。この時間・暇を有効に使ってお金をかけずに豊かに暮らす方法を見つけることが余程、充実した人生を送ることが出来るのではないかと思っている。タイムシェアリングで雇用を確保したり、定年を65歳まで延長し、年金受給期間を短くするなどという発想は、「貧乏暇無し」時代へ逆行する発想に思えるのだが。


●健康ランニング大会

2005-10-11 09:56:51 | スポーツ
 10月10日の金沢地方は、過去10年間の晴れの確率が67%。統計値通りの好天に恵まれ、市内各所でいろんなスポーツ競技会が開催された。
 私達夫婦が参加した「健康ランニング大会」は、市内を流れる犀川河川敷が会場。その名の通り、健康作りに一役かう大会なので順位表彰はなく、エントリーした時間(30・60・120・180分)を走り、その距離を記録証に記入してもらうもの。片道1キロのコースを折り返し、スタート地点を通過する度に輪ゴムを腕にかけることで、走った距離が分かる勘定だ。

 参加者数は100人規模だが、マイペースでランニングを楽しむアットホームな雰囲気に満ちていた。4歳の女の子が母親と30分走に、88歳と82歳のご夫婦が、1時間走を完走したりと、あらゆる世代が揃い賑やか。とりわけ、2時間走を85歳の男性が走るなど、80歳代のランナーが5人、70歳代が11人と多いのには驚いた。
 65歳以上の高齢者が、計31人で全体の3割を占めた。しかも、全員、1時間走以上の元気者ばかりだった。

 私は3時間、女房は2時間走に挑戦したが、最近長い距離を走りこんでいないせいか、レース後、筋肉痛で動けず、芝生の上でごろ寝。5年後、10年後も彼らのように溌剌としていたいと、練習不足を反省。若年層の体力低下に対し、シニア層の向上がニュースになったが、加齢と仲良く付き合い、たゆまぬ運動を継続すれば、老いても筋力がつくことを実証している大会風景だった。


●医療費抑制には患者も協力を!

2005-10-10 16:08:32 | 日記・エッセイ・コラム
 医療費と保険料の負担問題は、超高齢化社会の大命題。高齢者の負担増や、医療費の総額管理制度(キャップ制)を始め、色々な検討が進められている。世界一長寿国の日本が、各国に学ぶものはなく、模範となるような制度を確立して欲しい。

 厚労省と経済財政諮問会議では見解を異にするし、日本医師会という巨大な圧力団体の存在も問題を複雑にしている。医療費管理に都道府県を関与させようとの動きもある。いずれにせよ、早急に統一した将来ビジョンを打ち出す必要があることは確かだ。 ところが、いずれの案も膨張する医療費をどう賄うかという観点からアプローチしている。どうやって医療費全体を抑制するかの方が重要だ。制度的な問題ではなく、入院生活経験者としての私見を述べたい。

 定期的な検査等で入院し、毎晩、面会コーナーで飲食にふける患者を目の当たりにした。生保の入院給付金を貰ってだ。病院のサービスに甘え、わがままな患者が多いのも目につく。人の介助を必要とする重症者は別として、ナースセンターまで自力で行くことが出来る程度であれば、どんどん患者自身に看護婦の仕事をさせ、健康は自分の手で守るものだと教え込む方が良い。

 例えば、毎日数回の検温。自分で測定・記入し、ナースセンターに届ければすむ。その数値を自分で端末から入力させれば、更に効率化が図れる。食事でも、部屋まで運ばず、食堂で自分に決められたものを取り出し、食器を洗って返すことにすればよい。その方が、患者の気分転換にもリハビリにも役立つ。この程度のことなら、入院生活の単調さから開放する点でも有効だ。少々、設備投資をすれば、もっともっと改善出来る余地が十分あると思っている。

 医療現場で超多忙を極めるスタッフ、ならびに、健康な人のお世話になっている、との感謝の気持ちを患者自身に理解させる努力も一方では不可欠だと思うのだが。