プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★アニバーサリー(2/2):平和と安全

2010-06-16 08:23:21 | 日記・エッセイ・コラム

 安倍元首相の祖父岸首相が新安保条約の強行採決を行ったのは、樺美智子さんが、安保闘争の犠牲者になるおよそ1カ月前の1960年5月19日のことだった。

 安保条約の是非を巡り、学生や一部の活動家だけでなく、一般市民も含めて多くの国民が真剣に考え、行動した。金沢近郊の内灘に米軍の試射場があった(1953~57年)こともあり、高校生の私でさえ、稚拙な自問自答をした。

 翌年、進学するとジグザグ・デモやフランス・デモに加わり、機動隊のお世話になった時は、純粋な正義感に燃えていた。当時の日記帳に、「混沌が青春の象徴なら 懐疑と行動はその生命力である」と記した。

 次代を背負う人達は、平和で豊かなことが当たり前の社会に育った。前鳩山首相が、辞任する最大の理由となった「普天間基地」問題の根本は、日米安保条約のあり方に関わる。国民自身が共通の認識を持つべきで、地域振興や補償等の単なる損得問題で片づけてはいけない。


★アニバーサリー(1/2):6月15日

2010-06-15 13:32:24 | 日記・エッセイ・コラム

 6月15日は、今は亡き母の誕生日。私には特別の日だったが、更に新たな感慨が加わった。

 サッカーW杯で、日本がカメルーンに勝ったからではない。 13日に小惑星探査機「はやぶさ」が7年に及ぶ長い旅を終えた感動だ。サッカーの勝利はエポックだが、「はやぶさ」の場合は、未来永劫に語り継がれてよい。

 帰還と同時に、その使命を終え、燃え尽きるのとひきかえに、持ち帰ったカプセルが人類に新しい夢をもたらすかもしれない可能性が心を揺さぶる。「はやぶさ」に心は無いが、誕生の瞬間から燃え尽きる宿命を背負っていた点では、人間の一生と同じに思えていとおしい。

 さて、同じ6月15日、60安保闘争で東大生樺美智子さんが犠牲になった当時、私は多感な17歳の高校生だった。学生運動に身を投じ、22歳で散った女子大生の死は、国家観や安全・平和への関心を高めたし、その後の私の人生観にも多大な影響を与えた。「はやぶさ」の死(?)が、日本の将来に栄光をもたらすことを願っている。


★千歳マラソン紀行(2/2):鰊御殿

2010-06-11 09:36:37 | 日記・エッセイ・コラム

090  JR小樽駅からバスで約25分、終点の「おたる水族館」で降り5分程歩くと、「鰊御殿」が頭上にのしかかるように迫ってくる。その構えは、御殿と呼ぶに相応しい豪勢なもので、「一航海千両」(現在の数千万円)の利を稼いだ往時の繁栄ぶりを物語る。071 074 厳しい風雪に耐えるように太い柱や梁をふんだんに使い、親方・家族の部屋や漁夫の部屋、隠れ部屋等、当時の生活様式が現存されており、興味深い。

 江戸時代、未懇地の蝦夷では米作不能で、松前藩の財政基盤を強化する政策として、商人に漁場開拓を請け負わせ、税金を取り立てた。武士の俸禄も米ではなく、魚介類で代用し「鰊」はその代表格だった。説明文に、「鰊は魚にあらず」として、「鯡」と書いたとあった。

096 鰊御殿から歩いて10分程の所に「小樽貴賓館」がある。111 別名「旧青山別邸」と称され、鰊漁で巨万の富を築いた二代目青山政吉が、6年半の工期をかけて贅を尽くした建物だ。103106今は、庭のシャクヤクを眺めながら食事が出来る商業施設として有名だ。 

 小樽観光は、華やかな運河の倉庫群やガラス工房、オルゴール館、或いは、石原裕次郎記念館等々と考えがちだが、鰊御殿や貴賓館を訪ねて、蝦夷地開拓の歴史の重みと奥深さに触れたい。本土との交流が、北前船での交易をベースに展開されたことを実感するのも旅の楽しみの一つと言えよう。


★千歳マラソン紀行(1/2):千歳市内

2010-06-10 09:57:23 | 日記・エッセイ・コラム

059 第30回JAL国際マラソン大会は、APEC貿易担当相会議と同時期に開催された。国際会議ともなると、空港警備が厳しくなるのはもとより、道路の交通規制やホテルなどでも状況が違った。

 6月5日、千歳市内のホテルで昼食をとった時のこと。早めの時間帯にも拘わらず満席で、20分ほど待った。ビュッフェ・コーナーは、短髪のアスリート体型の若者達(100人以上)で大混雑。全員、ジャージ姿で、背中にJAPANと書かれたTシャツ姿もあった。マラソン大会の前泊かスポーツ合宿だとすれば、随分、贅沢だなと思いつつ眺めていた。

002  私たちのお目当ては、旬のアスパラガスをふんだんに使った「シェフお勧めランチ」で、ご当地限定のハスカップ・ワインの誘惑に負け、一か月振りに禁酒を解いた。

 「APECの警備に動員された警察官の皆さん」だとのウェイターの説明に、自分の迂闊さを恥じた。マラソン・イベントだけではなく、色々な活動を支える人達への感謝の思いを強くした。


★第30回千歳JAL国際マラソン大会~後編~

2010-06-09 09:41:11 | スポーツ

033 30回目の記念大会に相応しく、エントリー数が11,000人を超え、過去最多を記録した。フル4,248人、ハーフ3,638人、10㎞2,313人の内訳が示すようにフル・ハーフの人気が高い。

 コースは、高低差(フル約150m、ハーフ約60m)や小刻みな起伏があるが、支笏湖国立公園内の木道をトレイル・ラン感覚で走れる爽快さがランナーを惹きつける。047 フルの制限時間が、以前の5時間から39㎞地点5時間半と大幅に緩和されたことも、年々、参加者が増える一因だろう。

 ランナーが多いだけに、スタート直後は大混雑し、接触や転倒に要注意だ。ロスタイムもあるが、2㎞通過までに18分近くかかった。5㎞を過ぎると、ようやく自分の位置取りが出来るようになったが、私たちは、4㎞地点で集団にのみ込まれ離ればなれになってしまった。030

 妻の様子が心配だったが、私自身に余裕がある筈もなかった。不安を抱える左ふくらはぎに痙攣が走ったのは、14㎞地点。ペースダウンし、足をかばいながらのゴールだったが、現在の走力相応の結果だと納得している。