プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★すき間風

2013-09-17 10:06:59 | 日記・エッセイ・コラム

 台風18号が関東に接近中と報じられると、群馬の母の様子が気になった妻が電話をしたら、「昼寝中」との妹の返事に、「動じないのはさすがだね」と、安堵し大笑い。

 夕方、長女から電話がかかってきた。長話が終わったので、妻に「敬老の日のお祝いだった?」かと訊くと、10月に帰郷したいので都合を問い合わせて来たのだと言うので、失笑。

 一方、パースに住む次女は、折角つけたテレビ電話を使わず、頻繁に電話してくるが、「敬老の日」など忘れたかも知れない。

 敬老の日であれ、誕生日であれ、改まった祝いの言葉がなくても、元気な子供の声を聞くだけで親は喜ぶものだ。無味乾燥なtwitterやlineなどよりも、電話の向こうの表情を窺う方が人間らしい気がする。


★敬老(≠老人)の日

2013-09-16 09:36:07 | 日記・エッセイ・コラム

 「国民の祝日に関する法律」に基づき、「敬老の日」が9月の第3月曜日となったのは2003年で、それ以前は、毎年9月15日だった。

 現在、9月15日は「老人の日」で、同日より1週間を老人週間としている(老人福祉法)が、今まで知らずに過ごして来た。

 「敬老の日」に限らず、日本の祝日は、2001年の「ハッピー・マンデー制度」の導入によって、本来の意義が薄れて来たように思えてならない。

 「成人の日」や「体育の日」なども、それぞれ1月&10月の第2月曜日に変更されたが、成人式は通年制になったし、体育の日も2020年には無意味になる。

 ある新聞に、『前期・後期高齢者を善貴・高貴高齢者』と書いた小論を見つけ、是非そうありたいと、己の生きざまに照らし合わせ、「敬老」の意味を問い直している。


★秋の情景

2013-09-15 08:21:55 | 日記・エッセイ・コラム

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 「生きて仰ぐ 空の高さよ 赤とんぼ」からは、里山にひっそりと佇む茅葺屋根の住まい。そして、その縁側に寝転がって、抜けるような青空と赤とんぼを見上げている情景が連想される。

 しかし、実際のシチュエーションは全く違い、夏目漱石が修善寺で病気療養中に詠んだ一句で、入院していた頃の自分と重なり、心に響く。

 漱石は、偉大な小説家だが、大学時代に正岡子規と出会い、俳句を通じて親交を重ねた。

 子規の句に、「行く我に とどまる汝(なれ)に 秋二つ」がある。子規が出身地の松山を離れて上京し、漱石が松山に残る時に詠んだものだ。

 結びの「秋二つ」は、惜別の情とそれぞれの秋を過ごすことへの思いやりをこめた秀逸な表現で、好きな一句だ。17文字に込められた思いを感じ取る感性を磨きたい。


★残暑厳しく

2013-09-14 08:54:20 | 日記・エッセイ・コラム

 朝夕が凌ぎ易くなって来たが、13日振りの真夏日になった昨日に引き続き、今日も暑い日になりそうだ。

 一時期の猛暑から解放され、涼しくなって喜んでいたが、二日連続でエアコンのお世話になっている。

 花屋の店先に、コスモスの鉢を見かけると、決まって思い浮かぶのが、「生きて仰ぐ 空の高さよ 赤とんぼ」(漱石)の一句。

 季節の変わり目だけでなく、日々の変化にも適応出来ず、否や応にも老化を実感する。


★海外旅行の落とし穴

2013-09-11 16:55:33 | 日記・エッセイ・コラム

 トルコのカッパドギアで、日本の女子大生が殺害される痛ましい事件が起きた。ご両親のご心痛は、察するに余りあるが、不謹慎ながら、避けられた事故に思えてならない。

 二人は、海外渡航経験が豊富だったと聞くと、なおさら、「なぜ?」との素朴な疑問が浮かぶ。

 トルコは、治安が良いと思いがちだが、東部は難民が流入し、トラブルが絶えない地域だし、現在は、シリア情勢との関係で決して安全とは言えない。ましてや、カッパドギアでも、彼女らが入り込んだエリアは、通常、ガイドなしでは危険で、私は断念した。

 トルコ旅行自体、何度も計画して見送り、3度目の正直で訪れた国だ。海外旅行に行く時は、国内で当たり前と思っている事が、外国では通用しないことを肝に銘じておきたい。