リッキーは元建設労働者であったが、不況で仕事を失い、生活のためにゼロ時間契約の宅配ドライバーになった。ゼロ時間契約とは週当たりの労働時間が明記されず、労働者の権利が保障されていない不安定な雇用契約である。リッキーは1日14時間、週6日という過酷な労働を強いられていて、配達用の車も自分で用意しなければならない。そのため妻アビーの車を売ってしまい、アビーはバス通勤になってしまった。
アビーは介護士として働いているため、二人の子供と向き合う時間がなかなかとれない。高校生の息子セブは傷害事件と万引事件を起こし、リッキーは反省の色のないセブを殴ってしまう。セブは怒って家を出ていき、両親は子供の非行が原因で喧嘩ばかりしている。小学生の娘のライザはバラバラになっていく家族を見るのが悲しくてしかたがない。そんな時、リッキーが暴漢に襲われるという事件が起きる・・・
リッキーの働く宅配事業所の所長はマロニーという大男で、尊大な態度で、社員を厳しく管理している。周囲から「人でなし」と呼ばれても、業績を上げることに血眼になり、リッキーの家族を徹底的に追い込んでいく。この所長が敵役を実に憎々しげに演じていて見応えがある。前作の「わたしは、ダニエル・ブレイク」では明確な悪役がおらず、行政という見えにくい敵を相手に主人公が闘う姿が、どこか抵抗のための抵抗のように感じられた。「家族を想うとき」は不当な制度のもとで働く労働者の苦悩を、具体的な数字を盛り込んでリアルに描いている。
暴漢に襲われた傷が癒えぬままリッキーは仕事に出ていこうとする。妻や喧嘩していた息子が必死で止めようとするが、リッキーは聞く耳を持たない。満身創痍になっても生活のために働かなければならない境遇は痛ましいが、私はそれほど悲劇性を感じなかった。父親のけがを契機に家族が一体となったからだ。この家族には乗り越えられない壁はないと思う。リッキーは前進する気持ちを失っていないし、家族は絆を取り戻してひとつになった。これほど心強いことはない。
ケン・ローチは社会制度の批判に重きを置いているが、家族の崩壊を描こうとまではしていない。同じように格差社会に関心を抱く是枝裕和は、社会の不条理が家族関係を侵食していく様を描いている。是枝にとって最も重要なテーマは家族であり、ケン・ローチは社会問題にメスを入れることに第一義的な価値を置いている。
原題の「Sorry We Missed You」は宅配ドライバーの不在者票に書かれた言葉で、「ご不在につき失礼します」というような意味。時間に追われているドライバーは不在の時が一番困る。ドライバーの苦労を象徴的に表している言葉だ。リッキーにはこれからも幾多の困難が待ち受けているが、ひとつひとつ乗り越えていくだろう。希望は失われていない。(KOICHI)
原題:Sorry We Missed You
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァ―ティ
撮影:ロビー・ライアン
出演:クリス・ヒッチェンズ デビー・ハニーウッド リス・ストーン
ケイティ・プロクター