自分に対してありがとうが言える人は、
他の人に対してもたくさんのありがとうが言えます。
自分には感謝できない人が、
他の人に感謝できるのかといったらそうではありません。
感謝というのは、
多くもてる人は無限にもてるし、
もとうとしなければ
いつまでたってももてないものなのです。
心のなかに「ありがとうの壷」があります。
そこには「ありかとうボール」が入るようになっています。
自分で自分にありがとうがいえる人は、
自分でボールを作り上げて
どんどん壷に入れていけます。
いつもボールが溢れているから、
そのボールをいくらでも他の人たちに分けてあげられます。
自分で自分にありがとうが言えないと、
すぐに壷が空っぽになってしまいます。
だから他の人からありがとうを言ってもらわなければなりません。
もちろん、
他の人から感謝のボールをもらうのは素晴らしいことです。
ただ、一つ間違うと本意でないことをする結果になります。
「この前は、お休みの日曜日だっていうのに、
資料の整理を手伝ってくれてありがとう。本当に助かったよ」
「それはよかった。
僕でよければいつでもいってよ。
どうせ休日はヒマにしてるんだし」
「本当?じゃあ、来週も手伝ってくれる。
もうしばらくかかりそうなんだ。
ありがとうね」
「いいよ、お安いご用だよ」
という会話があっても、
心のなかで「えっ!なんで来週も?」と思っています。
このように無理をして集めたありがとうボールは、
やすやすと他の人に回してあげる気になりません。
そして、ボールは溜め込んでいると生気をなくし、
空気が抜けしぼんでしまいます。
AさんからBさんへ、
BさんからCさんへ・・・。
感謝のボールはたくさんの人に次から次へと
受け渡されて、
パスされていくのがいいのですね。
まずは自分の心の壷に、
自分でありがとうボールをたくさん投げ込んでおきましょう。
そして、
それをどんどん人に渡してあげる。
すると、まわりの人からもボールが
ひっきりなしにパスされてきます。
こういう生き方は、
自分が本当にやりたいことをやっていてこそ可能です。
疲れを感じながらいやいややっていると
エネルギーも停滞しますから、
自分への感謝のボールもつくれません。
しかし、使命をもってやっていると、
面白いほどにボールが勢いが湧き出てきます。
他の人に対してもたくさんのありがとうが言えます。
自分には感謝できない人が、
他の人に感謝できるのかといったらそうではありません。
感謝というのは、
多くもてる人は無限にもてるし、
もとうとしなければ
いつまでたってももてないものなのです。
心のなかに「ありがとうの壷」があります。
そこには「ありかとうボール」が入るようになっています。
自分で自分にありがとうがいえる人は、
自分でボールを作り上げて
どんどん壷に入れていけます。
いつもボールが溢れているから、
そのボールをいくらでも他の人たちに分けてあげられます。
自分で自分にありがとうが言えないと、
すぐに壷が空っぽになってしまいます。
だから他の人からありがとうを言ってもらわなければなりません。
もちろん、
他の人から感謝のボールをもらうのは素晴らしいことです。
ただ、一つ間違うと本意でないことをする結果になります。
「この前は、お休みの日曜日だっていうのに、
資料の整理を手伝ってくれてありがとう。本当に助かったよ」
「それはよかった。
僕でよければいつでもいってよ。
どうせ休日はヒマにしてるんだし」
「本当?じゃあ、来週も手伝ってくれる。
もうしばらくかかりそうなんだ。
ありがとうね」
「いいよ、お安いご用だよ」
という会話があっても、
心のなかで「えっ!なんで来週も?」と思っています。
このように無理をして集めたありがとうボールは、
やすやすと他の人に回してあげる気になりません。
そして、ボールは溜め込んでいると生気をなくし、
空気が抜けしぼんでしまいます。
AさんからBさんへ、
BさんからCさんへ・・・。
感謝のボールはたくさんの人に次から次へと
受け渡されて、
パスされていくのがいいのですね。
まずは自分の心の壷に、
自分でありがとうボールをたくさん投げ込んでおきましょう。
そして、
それをどんどん人に渡してあげる。
すると、まわりの人からもボールが
ひっきりなしにパスされてきます。
こういう生き方は、
自分が本当にやりたいことをやっていてこそ可能です。
疲れを感じながらいやいややっていると
エネルギーも停滞しますから、
自分への感謝のボールもつくれません。
しかし、使命をもってやっていると、
面白いほどにボールが勢いが湧き出てきます。