コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

過剰な自分ルールを見直す

2016-07-15 06:10:54 | Weblog
人の脳は、
無意識のうちに
自分に対するルールを作る傾向があります。

例えば、
心理学の分野で代表的な「5つのドライバー(自分を駆り立てるもの)」
1 完全であれ
2 他人を喜ばせる
3 もっと努力せよ
4 急げ
5 強くあれ
ーなどです。

自分ルールが全くないのもよくありませんが、
極端に「~あるべき」「~ねばならない」と自分を追い込むと、
ストレスがたまり、
ルール違反をした自分を過剰に責め、
自己 嫌悪に陥り、
生活も人生も不自由になってしまいます。

そうなる前に、
自分ルール の「棚卸し」をしましょう。

ストレスになるルールは捨て、
あるいは緩めのルールに置き換えます。

自分に寛容になり、
自由になれば、
他人にも寛容に、
優しくなれるはずです。


多様な自分を受け入れる

2016-07-14 06:06:11 | Weblog
人には長所もあれば短所もあります。
「自分は〇〇だけど、□□な部分もある」と、
一見矛盾しているように見えることもあります。

しかし、
そんな矛盾があるのが人間なのです。

また、
一見短所に見える中にも、
あなたらしさ、
「持ち味」となっていることがたくさんあり、
それゆえ人々の共感を得られることもあります。

ですから矛盾も短所もすべて、
あるがままの自分として受け入れ、
直視しましよう。

そのうえで、
もしどうしても改善したい点があれば、
今が変化のときです。

しかし、
「これも自分だよね」と許せる部分は、
変える必要はないのです。

多様な自分を許し、
愛することが、
自分を強くし、
魅力的にするのです。

そのために。
まずは自分の中にある多様性を書き出してみましょう。

そして、
「どうしても直したい」
「どうしても改善したい」という部分は別として
「それも自分だよね」と受け入れましょう。

等身大の自分を受け入れると、劣等感が消える

2016-07-13 05:56:02 | Weblog
何をやっても劣等感や自己嫌悪感にさいなまれ、
ストレスをため、
物事をネガティブにとらえる人。
そんな人は、
「自己評価」が低すぎるのです。

人の長所と自分の短所を比べてしまうからです。

でも、誰にでも長所と短所があります。
まずはその等身大の自分を受け入れることです。

そして人と比べても、
「差」ではなく「違い」ととらえます。

そうすれば適切な自己評価ができるようになり、
マイナス思考からも抜け出せます。

また、失敗をしても
「自分が悪いのではなく、行動や方法が誤っていた」
と受けとめ、
その経験を次につなげればよいのです。

「世界に一つだけの花」。
そこに咲いているだけで、
輝く存在に気がつくのです。


200回繰り返せば習慣になる

2016-07-11 07:10:25 | Weblog
新しいことを始めることはできても、
なかなか続かないという人がいます。

どうすれば続けられるのか?
新しい習慣を身につけるにはどうするか?

車の運転を例にあげると、
ハンドルを切ったり、
安全確認したり、
アクセルを踏んだり、
ブレーキを使ったりと、
こんなにたくさんのことは
最初は苦労します。
しかし、
慣れてくれば助手席の人と話をしながらでも、
音楽を聞きながらでも、
考え事をしていても、
何の問題もなく運転ができるようになります。

この習慣になるまでの回数ですが
だいたい200回くらいといわれています。

つまり200回意識すれば
あとは意識をしないでも
自然に行うことができるようになるということです。

毎日10回潜在意識に働きかければ
20日間で気にならなくなるということです。

例えば1日10本喫煙する人は
200回我慢することです。

最初の数回は猛烈に嫌であっても
徐々に回数を重ねることで
嫌感が薄れ
200回目には
もう禁煙できているということです。

ダイエットのだって
仕事だって
家事だって
この200回の努力が習慣になるということです。

さて今日から200回目の習慣を目指して
計画を立ててみましょう。


「おかげさま」と「お互いさま」

2016-07-08 06:26:32 | Weblog
ちょっとした悩みなら誰かに相談して解決することもありますが、
その相談がそもそも苦手だという人もいます。

周囲に上手に相談できる人は問題ありませんが、
できない人は厄介です。

いつまでも一人で悶々と悩みを抱える人もいます。

上手に相談できない人の周囲では
さまざまなトラブルが発生します。

相談がうまく機能しない状況には二つの背景があります。
・その人目身に問題がある
・周囲に問題があるケースです。

前者に欠けているのは、行動力です。

たまに「どう相談していいのかわからない」という意見を耳にしますが、
これは本人の積極性の欠如であって、
「こんなことを相談すると恥ずかしい」という心配です。

知らないということは恥ずかしいことではありません。
本当に恥ずかしいのは、実は知らないくせに
知っているふりをし続けることではないでしょうか。
知らないなら自分で調べるとか、
その場で「教えてほしい」と言えばいいし、
もし相談したいことがあるなら、
自分から行動すればいいのです。

さらに年齢を重ねると、
自分が何でも知っていると思われたいがために、
知らないのに聞けない、
という向きがありますが、
むしろ「知らないから教えて」「相談させて」と出ると、
人生の後輩たちからむしろ尊敬されます。

後者に欠けているのは、「配慮」です。

これは「お互いさま」という意識が欠乏している状況で生じます。
これからはあらゆる世代で一人暮らしが増えます。
身内よりもむしろご近所のネットワークが不可欠となり、
そこに自治体が仕切り役として入る仕組みになっていくでしょう。

日本人は「お互いさま」あるいは「おかげさま」という言葉が好きです。
お互いさま、
おかげさまという言葉は日本人の気質を上手に表現しています。
その言葉の意味が薄れたのは、
戦後の個人主義思想と関係しています。

特に大都市圏ではコミュニティ内での
ネットワーク力が著しく低下しました。
居住地域と自分たちをつなぐ群が縁遠くなり、
結果として「ご近所力」が弱くなっています。
そこに問題意識を持ち、
お互いさま、
おかげさまの意識を再び持つことができれば、
日本社会はかなり強くなると思います。


勝ち負けより、自分の価値を高める

2016-07-07 06:03:42 | Weblog
失敗や成功の延長に、
勝ち負けという問題があります。

若いうちはそれが激しい人も多いでしょう。

勝ち負けは、
優劣をつけたがる反面、
自分が優れていないと判断した時には、
本来持たなくていいはずの劣等感を持ちます。
嫉妬やジェラシーも感じます。

勝ち負けという意識は、
自分自身が
「流されている状況」
ではずっと感じます。
落ち着かない状況にいればいるほど、
感情の起伏が激しくなるわけです。
入学試験、
入社試験、
人事異動、
管理職試験、
転勤、
ポスト争いなどなど、
つまり所属している会社や肩書、
年収、
はては住む場所に至るまで、
人はいつも勝ち負けに分けたがります。
未婚か既婚か、
あるいは子どもがいるかいないか
という立場にさえ勝ち負けの要素を
持ち込みたがります。

それに比べて
「自分の目標と比べてどうか」に視点を移動すると、
強い嫉妬や負の感情を持つ機会が減ります。

そもそもそのよう劣等感を持つことに意味がありません。

極論すると、
試験で満点をとれば相手が誰であろうと一番です。
そこまでではないにせよ、
次の定期試験で八十五点を目標にしようと決めて達成できれば、
そこには自分だけの満足感が生まれるし、
できなければまた目標に向かって頑張ればいい、
ただそれだけの話です。

入社試験でも、
自分が落ちたのにあいつは受かった、
悔しい、
悲しい、
そういう相対感を持つ気持ちも理解できますが、
採用面接はお見合いです。
自分が劣っているわけではなく、
その企業の要望に自分の個性が適さなかったというだけの話であり、
それを勝ち負けで分ける必要はないのではないでしょう

スポーツの世界でも一見すると勝ち負けの典型のようですが、
現実の勝敗以上にアスリートはずっと自分との戦いを強いられます。
常にハードルを設定し、
それを乗り越える訓練をしているわけですから
孤独です。
その孤独感を払拭するものこそ、
記録や順位という自己目標の実現なのです。。


融通無碍(ゆうずうむげ)

2016-07-06 06:12:20 | Weblog
融通無碍とは
少し難しい言葉ですね。

私はいつも、
融通無碍に生きたいと思っています。

この意味は
「考え方や行動にとらわれず自由自在である」ということです。
多くの人はこうしたスタイルで人生をまっとうしたいと思う反面、
それができず、
日々重苦しい思いをしていることも事実でしょう。

私は
様々なことへのこだわりから簡単に抜け出すことができません。
こだわりが蓄積されると執着になります。
この執着こそ、
私たちの人生に大きな影を落とす元凶になります。

こだわりや執着は、
生まれてから現在までに
私たちにインプットされた膨大な情報が入り乱れているので、
多大な時間とリスクを受け入れて身に付けたので
簡単に手放すことができないのです。

さまざまな執着を手放すことができず、
結果として大きな失敗をしてしまうことが多いのです。

そこには「べき論」を握り締めて絶対に離そうとしない姿勢もあります。

しかし冷静に見てみると、
そこに執着することで、
すべての問題が気持ちよく解決するのでしょうか?

むしろ解決できない問題のほうが多い事実に
気づくのではないでしょうか。

生き方や考え方に自分なりの指針を持つことは大切です。
しかし、
度を越すとただの無粋になってしまいます。
会議でつまらないことに
執着し続ける人に遭遇すると、
その人が実は問題の解決を図ろうとして
こだわっているわけではないことに気がつくことも多いでしょう。

その視点で解決できないことがわかったら、
すぐに今ある視点を捨てることが大切です。
新しい視点を求めればいいのです。
これが融通無碍という言葉の本質です。

大切なことは
「問題をいかに解決するか」ということです。
こだわりや執着心ではないはずです。


うまくやろうと思うより、一所懸命やる

2016-07-05 06:00:59 | Weblog
生きていると毎日のように
心配なことが押し寄せてきます。

不安、不信、気がかり、悩み、
などの言葉と同じように
心配という言葉はどちらかと言えば
マイナス要素を帯びて、
ネガティブな使い方が多いものです。

心配する状況というのは、
・結果がわからないこと
・悪い結果が予見できてしまうこと
・悪い結果を自分がコントロールできないこと
などがあげられます。

この心配する気持ちを
自分がコントロールできない理由としては、
「努力していない」こと以上に
「努力しても届きそうにない」
ことがあります。

例えば、
仕事でミスをする、
難度の高い仕事ができないということもありますが、
世の中が好転しない、
想定以上の災害が起こるということもあります。

ですから大切なのは、
自分がコントロールできないことは
心配しないことです。

どんな世界に身を置くとしても、
このことは当てはまります。

平たく言えば、
開き直る、
思い切る、
ということでしょう。

「そんなこと、もういいや」
「何とかなるぞ」と思えば、
対処の仕方や質が変わります。

あれほど心配していたことが、
実はたいしたことではなくなることも多いものです。

うまくやろうとばかり考えると、
心配の度合はどんどん上がります。

だからこそ、
「今できることを一所懸命やる」ことに、
価値があります。


一生懸命より一所懸命

2016-07-04 06:21:49 | Weblog
一生懸命という言い方と
一所懸命と言い方があります。
しかし意味が多少違います。
の違い

「一所懸命」
1 命がけで事に当たること。また、そのさま。
2 引くに引けないせっぱ詰まった場合。瀬戸際。

一所懸命
1 中世、1か所の領地を命をかけて生活の頼みにすること。また、その領地。
2 命がけで物事をすること。また、そのさま。必死。

とあります。

一所懸命とは本来、
その説明にもある通り
「中世、1か所の領地を命をかけて生活の頼みにすること。また、その領地。」
に由来する言葉です。
これが転じ「命がけで物事をすること。また、そのさま。」を意味する言葉となり、
そこからさらに、
言葉の持つ意味合いから「一生」に変化したと言われています。

現在、「一所懸命」よりも、
明らかに「一生懸命」が多く使われています。

毎日目の前のことに一心不乱に取り組んでいるのに、
いっこうに目標に近づいている気がしない。
それどことか、
気づいたらいつのまにかまったく違う方向にずれていた。
という人がいます。
これは一生懸命じゃないかと思っています。

軌道がズレると、
最初はほんの僅かでも、
そのまま進んでいくと、
やがて目標とのギャップはどんどん開いて、
のちに修復不可能なほど大きな問題となってしまうことがあります。

目標に向かう意識や行動にブレがないかどうか、
ときどき点検が必要です。

うまくいくときは努力している気がしないものです。
努力せずともうまくいく、
これはやるべきことに集中して
ムリなくムダなくムラなくフォーカスしていることです。
つまり、一所懸命であり、
これこそ大切なことであると思っています。


聞いただけで判断しない

2016-07-01 06:21:16 | Weblog
話半分に聞く、
両方の意見を採用する、
そう言いながら、
私自身も伝え聞いた話だけで一方的なイメージを作ってしまうことが、
たまにあります。

会ったことのない人に対しても、
人間は勝手な評価をしがちです。

会う前にあれこれ想像するのは当然ですが、
実際に会っていないのに
悪く思うのはよくありません。

実際に会い、
そして五感で確かめる。

一番重要なのはそこです。
イン夕―ネットが発達していますから、
情報はいくらでも取れますが、
そこにあるのも玉石混交です。

決して思い込まないことです。

事前情報に振り回されないことが大切です。

そもそも誰かの情報には、
その話をする人の主観が入り込みます。

つまりその時点で客観情報ではありません。
それを忘れて相手の話を
そのまま鵜呑みにしがちなのが、
人の危ない点です。