1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級実力№1とは限りません。
ここまで登場したスーパーバンタム級の選手は、ダニエル サラゴサ(メキシコ)とウィルフレド バスケス(プエルトリコ)。スタイルは違えど両選手とも玄人受けが良い試合巧者のボクサーでした。今回登場するのはマルコ アントニオ バレラ(メキシコ)。前者2人とは対照的に、デビュー当時から頭角をメキメキと現し、そのままの勢いで世界王座を奪取。スター選手の仲間入りを果たします。サラゴサ、バスケス同様に浮き沈みのある場面もありましたが、常に注目を浴び続けそのキャリアを終了。現在もボクシングの番組に定期的に出場するなど、リング内外での成功者、キラキラ星のような選手だったといっていいでしょう。

同級でお届けしたサラゴサやバスケス同様に、日本人の層の厚い階級で活躍したバレラですが、2人の先輩たちとは違い日本人ボクサーと拳を交えることはありませんでした。唯一とでもいうのでしょうか、当時のWBCジュニアバンタム(現スーパーフライ)級王者川島 郭志(ヨネクラ)への挑戦権を賭けてカルロス サラサール(亜)と対戦。1994年4月にサラサールの地元で行われたこの試合に2対0の判定ながらも明白な勝利を収めたバレラ。しかし前日計量に失敗するというミスを犯しています。それがバレラと日本人ボクサーの再接近時だったのではないでしょうか。しかしもしスーパーテクニシャン川島対バレラが行われていたら?想像するだけで鳥肌が立ってきます。
バレラのキャリアは1989年11月から2011年2月と20年以上という非常に長いもの。この選手、面白いことに全盛期が何度かありました。1度目は1995年3月から翌年11月までのWBOスーパーバンタム級の第一次政権時代。この時は相手を打ち潰していく迫力満点のボクシングを展開。2度目は2000年代初頭。ライバルであるエリック モラレス(メキシコ)との第1、第2戦。そしてナジーム ハメド(英)を攻略したキャリア最大の白星が含まれるなど、打ち合い+安定したボクシングを披露しています。最後は2000年代の半ば、スーパーフェザー級で3階級制覇を達成し、駆け引きの上手い老獪な選手として白星を重ねていた時期になるのではないでしょうか。
バレラのプロデビューは1989年の11月末。何とまだ15歳の、日本の中学生の時です。驚くなかれそんな中学生/高校生の年齢の選手が、軽量級王国メキシコで白星を次々に勝ち取っていくのです。順当に勝ち星を伸ばしていくバレラ。メキシコ国内スーパーフライ級王座獲得と防衛、アメリカ・デビュー、NABF王座奪取と当時の世界王者達の脅威としてグングンと成長。しかし前記のサラサール戦を最後に、2階級上のスーパーバンタムに進出していきます。
マネージメントの都合から、当時まだマイナー団体の域を脱していなかったWBO王座を獲得したバレラ。この王座初戴冠劇は1995年の3月に行われますが、その年に何と4度の防衛に成功。まあ、今振り返ってみると2流、3流の対戦相手が目立ちましたが年間世界戦5勝(3KO)はたいしたものです。
勢い任せに突っ走ってきたバレラにも壁にぶち当たる時が来ました。その打ち気に逸るボクシングと、連戦の疲れから元WBAバンタム級王者ジュニア ジョーンズ(米)の長いリーチと強打に2連敗。同時期に同級の同国人ライバル・エリック モラレスが急速に評価を高めていたため、バレラの存在は急速に薄くなってしまいました。

失地回復に手っ取り早い方法は、現行のスター選手を倒すこと。2000年2月にバレラはそれに取り掛かります。ターゲットはライバル・モラレス。その試合で激戦の末敗れるも、面白い事に評価を上げたバレラ。逆に勝者モラレスはスランプに陥っていきます。バレラの評価を決定付けたのは2001年4月。当時ボクシング界を疾風を巻き起こしていた変則中の変則選手ハメドを左ジャブという基本中の基本なパンチで攻略。その勝利で「バレラ」というブランドを絶対のものにしました。

その後モラレスとの再戦を制し、雪辱を果たしたバレラ。暴れん坊ジョニー タピア(米)、スピードスター・ケビン ケリー(米)に明白な力量差を見せつけ勝利。その政権に箔を加えていきます。そんな中、現在のボクシングの代名詞となっているマニー パッキャオ(比)にまさかのワンサイドのTKO負け。それは驚きますよ。当時のパッキャオは既に2階級制覇を達成しているとはいえ、世界的にはほとんど無名な選手。その後パッキャオが開拓していった米国でのアジア人ボクシング市場ですが、10年ほど前の米国内でのアジア人ボクサーの評価というのは目も当てられない酷いものでしたから。

パッキャオ戦が見事なワンサイド・マッチだったためか、回復も早かったようです(全然説得力がない文ですね)。タフなポーリー アヤラ(米)にそのキャリア唯一のKO(TKO)負けを与え引退に追い込み、宿敵モラレスとの第3戦に勝利。パッキャオ戦から僅か1年で上の階級で世界王座に復帰し、その戦績に花を添えていきます。
その後IBF王座も吸収し統一王者になるも、格下と思われていたロッキー フアレス(米)との苦闘の2連戦。2007年にはファン マヌエル マルケス(メキシコ)に判定で破れ王座から転落し、パッキャオとの再戦でも大差判定負け。その後さらに階級を上げ、アミア カーン(英)とまで対戦しますが、勢い、体格、スピードで大きく劣り敗北。こうして振りかえってみると、フェザー級以降のバレラのキャリアはおまけだったような気がしますね。

その後2011年2月まで戦い続けたバレラ。その長いキャリアの締めくくりに、無冠戦を母国で結構。少々弛んだ腹回りでしたが、格下選手をTKOで下し有終の美を飾っています。
バレラの獲得した王座(獲得した順):
メキシコ・スーパーフライ級:1992年4月1日獲得(防衛回数5)
NABFスーパーフライ級:1993年8月28日(0)
WBA大陸間スーパーバンタム級:1994年10月22日(1)
WBOスーパーバンタム級:1995年3月31日(8)
WB0スーパーバンタム級:1999年10月31日(5)
IBOフェザー級:2001年4月7日(0)
WBCフェザー級:2002年6月22日(0)
WBCスーパーフェザー級:2004年11月27日(4)
IBFスーパーフェザー級:2005年9月17日(0)
通産戦績は67勝(44KO)7敗(1KO負け)。KO率は59%で獲得した世界王座は3階級で5つ。印象的にはもっとベルトを持っていたと思ったのですが、素晴らしい戦績には代わりありません。
現役引退後、体重が増大する例が多く見られるメキシカン・ボクサーですが、バレラは例外のようです。

(つい最近の写真。メキシコの英雄フリオ セサール チャべス、「ロッキー バルボア」ことシルベスター スタローン氏と)
バレラと言えばライバル・モラレスとの3戦。どの試合も僅差の判定結果でしたが、バレラが2勝と勝ち越しています。面白い事に両者の対戦はスーパーバンタム、フェザー、スーパーフェザーとそれぞれ違う階級で行われました。

個人的一番のお気に入りの試合は、1996年2月に行われたWBOスーパーバンタム級王者としての5度目の防衛戦。ジャブの名手で元IBF同級王者ケネディー マッキニー(米)との大激闘は、バレラ云々以上に、これまで見てきたボクシング全試合の中でもかなり気に入った試合になります。

そういえばバレラが世界王者に成り立ての頃、「将来は弁護士になりたい」と言っていた記憶があるのですが、その件はどうなったのでしょうかね。
ここまで登場したスーパーバンタム級の選手は、ダニエル サラゴサ(メキシコ)とウィルフレド バスケス(プエルトリコ)。スタイルは違えど両選手とも玄人受けが良い試合巧者のボクサーでした。今回登場するのはマルコ アントニオ バレラ(メキシコ)。前者2人とは対照的に、デビュー当時から頭角をメキメキと現し、そのままの勢いで世界王座を奪取。スター選手の仲間入りを果たします。サラゴサ、バスケス同様に浮き沈みのある場面もありましたが、常に注目を浴び続けそのキャリアを終了。現在もボクシングの番組に定期的に出場するなど、リング内外での成功者、キラキラ星のような選手だったといっていいでしょう。

同級でお届けしたサラゴサやバスケス同様に、日本人の層の厚い階級で活躍したバレラですが、2人の先輩たちとは違い日本人ボクサーと拳を交えることはありませんでした。唯一とでもいうのでしょうか、当時のWBCジュニアバンタム(現スーパーフライ)級王者川島 郭志(ヨネクラ)への挑戦権を賭けてカルロス サラサール(亜)と対戦。1994年4月にサラサールの地元で行われたこの試合に2対0の判定ながらも明白な勝利を収めたバレラ。しかし前日計量に失敗するというミスを犯しています。それがバレラと日本人ボクサーの再接近時だったのではないでしょうか。しかしもしスーパーテクニシャン川島対バレラが行われていたら?想像するだけで鳥肌が立ってきます。
バレラのキャリアは1989年11月から2011年2月と20年以上という非常に長いもの。この選手、面白いことに全盛期が何度かありました。1度目は1995年3月から翌年11月までのWBOスーパーバンタム級の第一次政権時代。この時は相手を打ち潰していく迫力満点のボクシングを展開。2度目は2000年代初頭。ライバルであるエリック モラレス(メキシコ)との第1、第2戦。そしてナジーム ハメド(英)を攻略したキャリア最大の白星が含まれるなど、打ち合い+安定したボクシングを披露しています。最後は2000年代の半ば、スーパーフェザー級で3階級制覇を達成し、駆け引きの上手い老獪な選手として白星を重ねていた時期になるのではないでしょうか。
バレラのプロデビューは1989年の11月末。何とまだ15歳の、日本の中学生の時です。驚くなかれそんな中学生/高校生の年齢の選手が、軽量級王国メキシコで白星を次々に勝ち取っていくのです。順当に勝ち星を伸ばしていくバレラ。メキシコ国内スーパーフライ級王座獲得と防衛、アメリカ・デビュー、NABF王座奪取と当時の世界王者達の脅威としてグングンと成長。しかし前記のサラサール戦を最後に、2階級上のスーパーバンタムに進出していきます。
マネージメントの都合から、当時まだマイナー団体の域を脱していなかったWBO王座を獲得したバレラ。この王座初戴冠劇は1995年の3月に行われますが、その年に何と4度の防衛に成功。まあ、今振り返ってみると2流、3流の対戦相手が目立ちましたが年間世界戦5勝(3KO)はたいしたものです。
勢い任せに突っ走ってきたバレラにも壁にぶち当たる時が来ました。その打ち気に逸るボクシングと、連戦の疲れから元WBAバンタム級王者ジュニア ジョーンズ(米)の長いリーチと強打に2連敗。同時期に同級の同国人ライバル・エリック モラレスが急速に評価を高めていたため、バレラの存在は急速に薄くなってしまいました。

失地回復に手っ取り早い方法は、現行のスター選手を倒すこと。2000年2月にバレラはそれに取り掛かります。ターゲットはライバル・モラレス。その試合で激戦の末敗れるも、面白い事に評価を上げたバレラ。逆に勝者モラレスはスランプに陥っていきます。バレラの評価を決定付けたのは2001年4月。当時ボクシング界を疾風を巻き起こしていた変則中の変則選手ハメドを左ジャブという基本中の基本なパンチで攻略。その勝利で「バレラ」というブランドを絶対のものにしました。


その後モラレスとの再戦を制し、雪辱を果たしたバレラ。暴れん坊ジョニー タピア(米)、スピードスター・ケビン ケリー(米)に明白な力量差を見せつけ勝利。その政権に箔を加えていきます。そんな中、現在のボクシングの代名詞となっているマニー パッキャオ(比)にまさかのワンサイドのTKO負け。それは驚きますよ。当時のパッキャオは既に2階級制覇を達成しているとはいえ、世界的にはほとんど無名な選手。その後パッキャオが開拓していった米国でのアジア人ボクシング市場ですが、10年ほど前の米国内でのアジア人ボクサーの評価というのは目も当てられない酷いものでしたから。


パッキャオ戦が見事なワンサイド・マッチだったためか、回復も早かったようです(全然説得力がない文ですね)。タフなポーリー アヤラ(米)にそのキャリア唯一のKO(TKO)負けを与え引退に追い込み、宿敵モラレスとの第3戦に勝利。パッキャオ戦から僅か1年で上の階級で世界王座に復帰し、その戦績に花を添えていきます。
その後IBF王座も吸収し統一王者になるも、格下と思われていたロッキー フアレス(米)との苦闘の2連戦。2007年にはファン マヌエル マルケス(メキシコ)に判定で破れ王座から転落し、パッキャオとの再戦でも大差判定負け。その後さらに階級を上げ、アミア カーン(英)とまで対戦しますが、勢い、体格、スピードで大きく劣り敗北。こうして振りかえってみると、フェザー級以降のバレラのキャリアはおまけだったような気がしますね。

その後2011年2月まで戦い続けたバレラ。その長いキャリアの締めくくりに、無冠戦を母国で結構。少々弛んだ腹回りでしたが、格下選手をTKOで下し有終の美を飾っています。
バレラの獲得した王座(獲得した順):
メキシコ・スーパーフライ級:1992年4月1日獲得(防衛回数5)
NABFスーパーフライ級:1993年8月28日(0)
WBA大陸間スーパーバンタム級:1994年10月22日(1)
WBOスーパーバンタム級:1995年3月31日(8)
WB0スーパーバンタム級:1999年10月31日(5)
IBOフェザー級:2001年4月7日(0)
WBCフェザー級:2002年6月22日(0)
WBCスーパーフェザー級:2004年11月27日(4)
IBFスーパーフェザー級:2005年9月17日(0)
通産戦績は67勝(44KO)7敗(1KO負け)。KO率は59%で獲得した世界王座は3階級で5つ。印象的にはもっとベルトを持っていたと思ったのですが、素晴らしい戦績には代わりありません。
現役引退後、体重が増大する例が多く見られるメキシカン・ボクサーですが、バレラは例外のようです。

(つい最近の写真。メキシコの英雄フリオ セサール チャべス、「ロッキー バルボア」ことシルベスター スタローン氏と)
バレラと言えばライバル・モラレスとの3戦。どの試合も僅差の判定結果でしたが、バレラが2勝と勝ち越しています。面白い事に両者の対戦はスーパーバンタム、フェザー、スーパーフェザーとそれぞれ違う階級で行われました。


個人的一番のお気に入りの試合は、1996年2月に行われたWBOスーパーバンタム級王者としての5度目の防衛戦。ジャブの名手で元IBF同級王者ケネディー マッキニー(米)との大激闘は、バレラ云々以上に、これまで見てきたボクシング全試合の中でもかなり気に入った試合になります。


そういえばバレラが世界王者に成り立ての頃、「将来は弁護士になりたい」と言っていた記憶があるのですが、その件はどうなったのでしょうかね。
バレラとって、結果として世界前哨戦になりましたが、正直、よくこんな危険な選手と対戦させるな、と思いました。
若きバレラは強豪クックをTKOで破り、数ヵ月後に初の世界戴冠劇を演じるわけです。
クックは元WBAバンタム級王者。当時の同王座には好選手が多くいましたね。この王座はウィルフレド バスケス、カオコー ギャラクシー、ルイシト エスピノサ、イスラエル コントレラス、クック、エリエセール フリオ、ジュニア ジョーンズ、ジョン マイケル ジョンソンと実力者の手から手に、目まぐるしく保持者を変えていました。
その時代にWBC王座が日本に君臨したこと自体凄い事だったと思います。