現地時間の25日火曜日、ベネズエラから悲しいニュースが入っています。元WBAスーパーバンタム級(2度)、フェザー級王者アントニオ セルメニョ(ベネズエラ)が誘拐され、その後遺体で発見されています。セルメニョはまだ44歳という若さでした。
セルメニョは1995年5月、敵地プエルトリコに乗り込み、日本でもお馴染みのウィルフレド バスケス(プエルトリコ/後のWBOスーパーバンタム級王者の実父)に僅差判定で破りWBAスーパーバンタム級(当時の呼称はジュニアバンタム)王座を奪取。その王座は現在帝拳ジムで名トレーナーとして腕を振るっている葛西 裕一を2度退ける等して7連続防衛(3KO)に成功しています。1998年には空位のWBAフェザー級王座(1度防衛)を。そして翌199年には暫定ながらもスーパーバンタム級王座に返り咲いています。日本には1997年7月に横浜で葛西と再戦を行いTKO勝利、そして2005年の師走には沖縄のリングで中真 光石と対戦しています。中真戦後にニカラグアのリングに上がり敗北を喫したセルメニョ。その一戦を最後に現役から引退しています。
終身戦績は45勝31KO7敗。日本を始め、韓国、プエルトリコ、ニカラグア、パナマ、そして米国のリングで戦ってきた実力者セルメニョ。葛西ファンにとり敵役だったセルメニョですが、40代半ばというとまさに人生これからという時。ご冥福をお祈りします。
セルメニョは1995年5月、敵地プエルトリコに乗り込み、日本でもお馴染みのウィルフレド バスケス(プエルトリコ/後のWBOスーパーバンタム級王者の実父)に僅差判定で破りWBAスーパーバンタム級(当時の呼称はジュニアバンタム)王座を奪取。その王座は現在帝拳ジムで名トレーナーとして腕を振るっている葛西 裕一を2度退ける等して7連続防衛(3KO)に成功しています。1998年には空位のWBAフェザー級王座(1度防衛)を。そして翌199年には暫定ながらもスーパーバンタム級王座に返り咲いています。日本には1997年7月に横浜で葛西と再戦を行いTKO勝利、そして2005年の師走には沖縄のリングで中真 光石と対戦しています。中真戦後にニカラグアのリングに上がり敗北を喫したセルメニョ。その一戦を最後に現役から引退しています。
終身戦績は45勝31KO7敗。日本を始め、韓国、プエルトリコ、ニカラグア、パナマ、そして米国のリングで戦ってきた実力者セルメニョ。葛西ファンにとり敵役だったセルメニョですが、40代半ばというとまさに人生これからという時。ご冥福をお祈りします。
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たしかバスケス父も、苦手のセルメニョとのフェザー級での再戦より、WBO王者ナジーム ハメドとの事実上の王座統一戦を選択したため、剥奪に近い王座返上でしたよね。
まさに現在とは同一団体とは思えないWBAでした。