歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

映画ライフ2024を振り返る

2025年02月04日 | 映画

1月15日にデビッド・リンチが亡くなった。

映画Youtubeチャンネル「ブラックホール」で視聴者のメッセージを聞いていたらホロリ涙が落ちていた。

映画が人生に深く関わってくる。

映画とともにその時代を生きていく。

そんな人がたくさんいる事に感動したし、デビッド・リンチの大きさを再認識した。

今年はデビッド・リンチ追悼上映キャンペーンを一人で開催する予定だ。

 

2024年は私にとって映画豊作の1年だった。

それはヨルゴス・ランティモス監督作『哀れなるものたち』の衝撃からはじまった。

見終わって映画館を出ると雨が降っていた。

傘を持っていなかったのに気にならなかった。

あんなに晴れやかな気持ちで映画館を後にするのは珍しく、そのまま走り出したかったくらいだ。

あるいは『雨に唄えば』みたいに踊ってみてもいいかもしれない。

歩道橋の透明の柵に水滴がたくさんついて、町のネオンがキラキラ反射していた。

幸福の余韻が溢れ、まっすぐ帰るのはもったいないと思った。

不思議なことに私みたいな人間が他にもたくさんいるという確信があった。

 

5月になり夫の希望で渋谷Bunkamuraに『悪は存在しない』を観に行った。

前情報を一切入れず観に行ったのがよかったのかもしれない。

映画館はほぼ満席で「こんな渋い映画をわざわざ観に来る人がこんなにいるのか」と驚いた。

後から濱口竜介監督作と知って腑に落ちた。

よくわからないけれど強烈、そんな映画だった。

説明のできなさが逆に現実を担保し、何か嫌なものを突きつけてくる。

確かなのは今まで見たことのない種類の映画だったということ。

人に勧めたけど勧めてよかったのか未だにわからない。

 

5月の終わり頃、待ちに待った『フュリオサ』が公開され、初日に観に行った。

想像とも期待とも全然違う映画で監督ジョージ・ミラーの凄みに圧倒された。

この時代に劇的なヒーローを描かなかったことに、監督の思慮深さを感じる。

シャーリーズ・セロンのフュリオサが大大大好きな私は正直面食らったが、

同時に前作と同じ快感を求めていた自分の浅はかさにも気づいた。

マックスも出てこない、悪者もよくわからない、誰も助けてくれない、今の世界だ。

2回目でやっと私の映画になってくれた。

 

7月になり敬愛する藤本タツキ原作の『ルックバック』を観に行った。

アニメの専門的なことはわからないけれど、漫画がそのまま動き出したような映画だった。

各所に藤本リスペクトを感じられ、藤本ファンとして納得の一作だった。

それと同時に藤本タツキの漫画力を再確認することにもなった。

彼の描く構図や絵には感情を動かず力がある。

 

夏はスターウォーズ三昧だった。

スターウォーズにおいては完全古典派でディズニーの作ったドラマはちっとも興味がなかったのだが、

すでに『マンダロリアン』を観ていた夫の強い推薦でとりあえず見始めた。

本当に心から謝罪します、『マンダロリアン』は最高でした。

話題のあの場面でボロボロ泣いている私を見て、夫が爆笑していた。

あまりにも私がグローグー、グローグー言うので夫が人形をプレゼントしてくれた。

それからというものスターウォーズ関連のドラマと映画を見漁った。

子供のころ持っていたスターウォーズに対するロマンのようなものを思い出せたような気がする。

 

軽い気持ちで見に行った『フライミートゥーザムーン』も思いの外よかった。

「映画を見ている」という実感が強くあって懐かしかった。

昔の映画を見ている時によく感じる感覚だ。

大げさで楽しくて面白いつくりもの、感。

主演のスカーレット・ヨハンソンが映画に説得力をもたらしているのはいわずもがな。

むしろそれだけといってもいいくらい彼女の魅力が爆発している。

 

それから秋になり黒沢清監督の『cloud』を観に行った。

2024年三作目の黒沢作品(まさに黒沢YEAR)だけど、他は観れていない。

とにかくこれだけはと観に行ったら大当たり。

最っっっっっ高!

ずっと面白いじゃん、なんだこれ!

私にとっては恐怖と笑いに溢れたどストライク映画。

俳優も登場人物のキャラクターもいいし、映像やロケーションも美しいし、文句のつけようがない。

鑑賞中ずっとワクワクしていたし、ずっとニヤニヤしていた。

こんなにいい映画ばかりでいいんですか。

 

『ホールドオーバーズ』もよかったな。

たまにヒューマン映画を観るとほっとする。

70年代を丁寧に作り込みその世界に没入させてくれた。

俳優の演技がさりげなくキラリと光っていた。

主役のポール・ジアマッティと映画初出演のドミニク・セッサ、

この映画で助演女優賞をとったダヴァイン・ジョイ・ランドルフ。

ゆっくりじんわりしみてくる。

終わり方がさっぱりしていてよかったな。

 

『アメリカン・フィクション』も2024年(アカデミー賞的に)映画か。

変な映画だった。

一瞬馬鹿にされた気分になったけれど、

そう思う時点で本質的にはわかっていなかったことに気づかされる。

そういう意味で面白かったし、なかなかない映画体験だった。

してやられた。

とても効果的だったと思う。

主演のジェフリー・ライトがいい味を出していた。

 

そんでもってクリント・イーストウッドの『陪審員2番』。

イーストウッドの映画が劇場公開されない時代が来るのかと衝撃だった。

業界的なことはわからないけれど、そんなに洋画離れが加速しているのかな。

すごく好きな映画だった。

主演のニコラス・ホルトのファンだから余計入りやすかったのかもしれない。

検事役のトニ・コレットもよかったな。

心が休まる時間が1秒もない、そりゃそうだ。

『リチャード・ジュエル』の反対にある映画ともいえる。

正義とは何か、たびたび映る天秤が印象的だ。

考えることから逃げちゃダメだな、きついけど。

 

秋も深まり下北トリウッドへ『ジガルタンダダブルX』を観に行った。

これは映画館で観れてよかった。

『RRR』ほど完璧ではなかったけれど、インド映画が『RRR』だけではないと教えられた。

歴史コンテンツ「コテンラジオ」のムガール帝国編で、

インドのスケール感についてヨーロッパを一カ国にしたようなものと言っていた。

言語も文化も違う小さな国がたくさん集まってできた大国、そのエネルギーは計り知れない。

笑えるくらい元気いっぱいの前半から一転、後半はそこらじゅうからすすり泣きが聞こえてきた。

終わり方だけは納得できなかったけど、それ以外はとても面白かった。

 

長々とだらだらと2024年の豊作ぶりを書いたけれど、去年最も私の心に残ったのは40年以上前の映画だった。

期間限定で契約したU-NEXTで観たジョン・カーペンターの『遊星からの物体X』だ。

DVDレンタル時代に何度か借りてはみたが結局観なかった作品だ。

気分じゃないけどU-NEXTの元を取るために見始めたら度肝を抜かれた。

生まれる前からあったこの映画を36年間知らずに生きてきたのか、、、。

誰か勧めてくれてもよかったんじゃない!?

まだ一回しか観ていないから、あれは幻だったんじゃないかと思ってみたり。

心に『遊星からの物体X』用の穴が開いて、ずっとあの衝撃を求めている。

始まり方も終わり方も完璧だった。

私のオールタイムベストにこんなに難なく食い込んでくる作品があるとはね。

ジョン・カーペンターがいいのかと思って『ニューヨーク1997』を観たけどまだ足りない。

配信サービスにいちいちレンタル代を払うくらいならとBlu-rayを注文した。

これで少しは心の穴が温まるかな。

どうしよう、あの映画を観てからずっとソワソワしている。

フィギュアとか探してみようかな。

5回くらい観たら感想を書こうと思う。

原題『THE THING』を『遊星からの物体X』にした人もなかなかすごいな。

52年の『遊星よりの物体X』も観なきゃな、とは思っている。

 

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あの子の字

2024年11月20日 | 日記

子供の頃に比べてここのところ文字を書く機会が格段に減っている。

昔は出かける際メモ帳は必須だったけれど、今はメモもスマホに残す時代だ。

それもずいぶん前から。

私だってわざわざ時代に逆行したいわけじゃないが、

文字を書く時間はつくるようにしている。

なぜなら字を書くのが好きだから。

細かく言うといい紙にユニボールシグノの0.38で文字を書くのが好きなのだ。

紙の手触り、臭い、滲むインク、ボールペンの書き心地、増えていく文字、

これらを上から確かめるのがある種の快感なのだ。

趣味というほどではないけど、欠かせない暮らしの一コマである。

 

私は声は小さいが字はでかい。

だから必然的にノートもでかくなる。

小学校で使う最初のノートがB5だからか、

みんな何の疑いもなく「ノート=B5」だと思っているけれど、

B5って縦も横も全体のバランスも中途半端なんだよな。

私には手狭なのでいつもA4を使っている。

 

私は毎日日記を書くので多くの現代人より文字を書いていると思う。

どんどん字を書くことに慣れていくので、どんどんスラスラ書けるようになる。

向上心もあるので、スタイルが出来てきて「なんかいい感じ」にもなってくる。

そしてついに「私、字うまくね?」となったのだ。

 

でも本当にそうだろうか。

雰囲気イケメンと同じで、雰囲気字綺麗じゃないのか。

これを確かめる方法がある。

いつも横書きなら縦書きで、いつも縦書きなら横書きで書いてみるとよくわかる。

案の定、縦書きになった途端バランスが崩れ目も当てられなくなる。

私は別に習字の先生みたいに字がうまくなりたいわけじゃない。

日々文字について考え書いて確かめているだけだ。

ただ字を書くことに臆したくないのだ。

なぜなら字を書くのが好きだから。

 

私は人の字を見るのも好きだ。

でも個性のない綺麗な字はあまり好きじゃない。

なぜなら文字に滲み出る人間性に興味があるからだ。

丸っこい字、雑な字、綺麗だけど読めない字、妙にとんがった字。

ぎゅうぎゅう詰めに書く人、字と字の間が広い人、本当にいろいろだ。

筆跡鑑定なんてものがあるくらい、人の字というのは根強い個性なんだな。

そういう意味では「個性のない綺麗な字」から読み取れる人生もあるか。

 

私は幼馴染のあの子が書く字が好きだった。

彼女の字を家族以外で私ほど見た人もいないだろう。

小学校1年生の冬に引っ越してから高校3年までずっと文通をしていたからね。

途切れた期間もあったけれど、付かず離れず緩やかに続いていた。

高3になっても彼女の字は決してうまくならなかった。

 

なんて言ったらいいのか、不器用だけどおおらかな字。

一文字一文字はバランスが悪いのに、それが連なると不思議と調和している。

一文字一文字が独立しているから、

縦書きだろうが横書きだろうが斜め書きだろうがきっと変わらないのだろう。

便箋を一枚の絵としてみたら、それこそ「いい感じ」なのだ。

誤字も多いし、当たり前のように絵も入っている。

今見返すと小学生の頃からあまり変わらない。

上手いとか下手の外にある字。

彼女は字も絵も書くのが好きだった。

だから、私は彼女の字も絵も好きだったのかもしれないな、と今思う。

 

『ダ・ヴィンチコード』の最後の5ページが読めなくて内容を忘れた、

サラダばっかり食べて私は虫だ、虫の中でもイモムシだ、

書きたい事がいっぱいあるけど書いてしまったら「佐々木さんの自伝」になってしまう、

とか独特のユーモアで今読んでも笑ってしまう。

未だにその「佐々木さん」が誰なのかわからないけれど。

「最近のピザはすごい」と言ってピザを図解した手紙は名作として手元に置いてある。

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黒沢清監督『cloud』を観てきました

2024年10月04日 | 映画

頭が痛くてぼーっとするのでスッキリしたくて、衝動的に映画を予約した。

よく行く映画館のサイトで黒沢監督の『cloud』を見つけて飛び上がった。

これ観たかったやつ!

『蛇の道』も『chime』も間に合わなかったから『cloud』こそは!

それにしても黒沢監督はすごいペースで映画作っているね。

結論、超ー面白かった。

そして黒沢監督の映画はリアルタイムで観るとよりいいかもしれない。

 

 

 

主人公は工場で働く転売屋。

無表情で何事にも無関心そうな主人公は、転売時の液晶にのみ真剣な眼差しを送る。

食い入るような菅田将暉の目が印象的だ。

仕入れたものを利益が出るように売る。

物自体に興味はなく、ただ高く売ることだけが重要事項だ。

そこに照準を合わせることで欠如していく(そもそも欠如している)コミュニケーション。

雑に扱われた人々の仕打ちに見合わない憎悪、そこに乗っかる軽薄な快楽、

浅はかなプライド、よくわからない執着が彼を追い詰めていく。

そして彼の命を救うのもまたよくわからない忠誠心なのだ。

 

文句なく面白い。

タイトルが「cloud」というくらいだから、ネット社会のことを描いているんじゃないかな。

というかそう考えると、一見突拍子もない展開につじつまが合う。

ネット空間ではそれくらいよくわからない感情がうずまき、支離滅裂なやりとりが行われ、

攻撃することや人の痛みに対する感情が鈍化し、悪意が増幅させられる。

助手の佐野くんの存在も大きい。

味方であっても意味不明なのだ。

彼がバックの犯罪集団をにおわせたのはなぜかと考える。

思わぬ場所に暴力的な犯罪の入り口があるってことなのかな。

当たり前のような顔で行われる暴力に主人公も麻痺していき無感情になっていく。

ネットなんてバーチャルでしょとも言ってられない時代になってきたから、

生身に下りてきた彼らを関係のない人たちと割り切ることもできない。

 

ドキッとするセリフがいくつかあった。

商品に対し「本物か偽物かはどうでもいい」という主人公。

なるほどな、、なんだかとても的を射ていると感じた。

何に対してなのかはぼんやりしているけど。

ずっとマスクを被っている岡本天音に対して「いつまでそれ被ってんだ」っていうのも印象的だった。

よく耳にする価値観だし凡庸な気がしたのだけど、そういえばこの人たち顔晒しているけど大丈夫なのかと気づく。

顔を隠さないというのはさらに次の段階なのでは?

マスクを被り怯えている彼が少しまともに見えるのも面白い。

自分が希薄なんだ、この人たち。

人とコミュニケーションを取れないどころか、自分とも取れないんだ。

 

映像が冷たくてきれいで、黒沢監督の空気を感じることができて嬉しかった。

なぜかホッとするんだよな。

菅田将暉の背中が何度も繰り返し出てくるんだけど、その度になんとも言えない不気味さに身震いした。

なんだろう、怖いんだよな。

あきことバスに乗っている時に黒い大きな人が横切って音が消えるんだけど、あそこもゾクッとした。

あそこから加速度的に面白くなっていったんだよな。

後半のアクションシーンも地味でバカバカしくて痛々しくちょっぴり笑える、それでいて非情。

もう本当幸せな時間だった。

医療機器のおじさんが銃弾を落としてもたついているシーンは情けなくて好きだった。

 

黒沢監督がこの話にどういう決着をつけるのか気になったけど、なるほどそうきますか。

幻想的で好きな終わり方だった。

彼らはどこに向かっていくのかな。

地獄か。

 

売れっ子俳優が主演だから大丈夫かなと少し心配だったけどそんな心配はどこ吹く風。

菅田将暉は画面力があるんだなぁ、と改めて感心した。

それから岡山天音くん、彼はもうなんというかすごい!

「こいつコロース」はあまりにうまくてゾクッとした。

それから助手の佐野くん役の奥平大兼くんもよかった。

というか俳優みんなよかったな。

黒沢清監督が今の若い人を使っていることがなんだか嬉しい。

 

何回も観たいと思える面白い映画でした。

cloudという言葉には雲という意味もあるけど、大群だとか大勢とかいう意味もあるらしい。

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夫と虫の話

2024年07月09日 | 日記

「そろそろ行くから、行ってきます」

そう言いながら、夫は寝室で仮眠をとるらしい。

目が覚めて私の部屋に顔を出し、

「じゃあ、行ってきます」

しばらくして今度は階段の下から大きな声で、

「行ってきます」

間髪入れず、

「ケータイ無くしたから鳴らして!」

下の部屋に行きケータイに電話をかける。

「あった、ありがとう!行ってきます」

下に行ったついでにシンクにたまった皿洗い。

夫は洗面台で歯でも磨いているのかまだ気配がある。

気にせず嫌いな食器洗いに没頭しているとキッチンの扉が開き、

夫は変わらず大真面目な顔で言う。

「行ってきます」

これには吹き出してしまった。

何回言えば気がすむのだろうか。

離れるたびに今生の別れでも覚悟しているのか、

はたまた言い忘れない為の保険か、出くわすごとに確実に言葉にする。

その度に私は大真面目な顔で「行ってらっしゃい」と言う。

力を込めて「運転、気をつけて」と付け加える。

 

夫が家を出てしばらくして、床を這う小さな虫を発見した。

右に左にうねうね体をうねらせて歩く黒くて細長い虫。

頭は丸く尻尾は二手に別れていた。

少し懐かしい感じがした。

なんとなく頭の中に「オケラ」という言葉が浮かんだ。

オケラってなんだっけ?

不思議な形に不規則な動き。

こんなの見たら虫嫌いの夫は発狂するだろうな。

最近YouTuberのうごめ紀さんの動画をよく見ているのもあって、

形状や色がわかりにくい一見見所のなさそうな虫も悪くないと思い始めたところ。

紙に乗せて玄関から外に出した。

 

それからNetflixで友達一推しのドラマを見ていたら、

猫が横でうずうずソワソワしはじめた。

これは何か発見したな?と思いカーペットをめくったら、

案の定小さな虫がテテテと歩いていた。

よく見たらゴキブリの子供じゃないか。

コンバットを置いているのに珍しい。

大きくて黒々としたゴキブリはやはり苦手だけど、

小さいのはまだ他の虫と大差ない。

爪でカーペットの外に弾くと猫が追いかけた。

しかし手は出さない。

じーっと離れたところから観察している。

この臆病者〜。

さっきと同じように紙に乗せて玄関から外に出した。

これってまた戻ってくるよなとチラリよぎったけど、

ゴキブリですら殺す気分にならなかった。

 

扉を閉めて戻ろうとすると、視界の片隅で何かが光った。

タイルの上にテカテカした筋が一本、その先に小さなナメクジが丸まっていた。

なんだ、なんだ、何事だ?

3連続の侵入者に関連性を求めてしまう。

何かが起こる予感めいた、ファンタジックな香り。

ざわざわとわくわく。

普通だったら見逃してしまうような生き物たちの気配に私も敏感だった。

これはレイチェルカーソンの言ったセンスオブワンダーみたいなものでは。

そう思いつつ本はまだ読んでいない。

ただなんとなくセンスオブワンダーという言葉がしっくり来る。

 

その後特に何かあったわけではない。

きっと先日の大雨の影響で生き物たちもそれぞれ蠢いているのだろう。

ひと段落してスマホで調べるとさっきの虫はオケラだった。

不思議だな。

覚えている限り実家を出てからオケラのことを思い出したことはない。

実家にいたころだってオケラに注目したことはない。

それでも懐かしさとともに記憶が戻ってくる。

どういう動きをするのか知っている。

最近のことなんだよね。

ホウセンカの実を見てそれが弾くことを知っていたし、

小さな黒い虫を見て「コメ」というワードが浮かんだと思ったら、

コメツキムシだったり。

子供の頃の記憶が、生き物をきっかけに蘇ってくる。

それを取り巻く景色がぼんやり浮かんでくる。

ゴミムシがなんでゴミムシというのか気になって追いかけまわしたり、

跳ねるのが面白くてコメツキムシをしつこく触って死なせてしまったり。

忘れるって、消えるってこととは違うんだな。

 

家に虫がいるとギョッとするのはわからなくもない。

テリトリーへの侵入はそれが何であろうと違和感はある。

そのテリトリーが広すぎて、他を寄せ付けないようになってしまっている。

でも虫やいろんな生き物はそこに確実に存在していて、

人間の意思とは関係なく勝手にやっている。

それは人間にとってある意味希望なんじゃないかな。

それぞれ好きな絵本。

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フュリオサのこと

2024年07月03日 | 映画

「思い出の反芻は目減りのしにくい娯楽だ」と言った人があったけど、

懐かしさを添えるだけで極上の娯楽になるのは何故だろう。

「最も好きな映画は?」と問われ思いつくいくつかは、子供の頃に見た映画ばかり。

見た当時の風景や、空気のようなものまで一緒にラッピングされている。

思い入れは時間と共に熟成されていくのだ。

 

そんな中ノスタルジーなど関係なくリアルタイムの衝撃だけで私の映画ライフに食い込んできた映画がある。

『マッドマックス 怒りのデスロード』だ。

無防備に見た私は度肝を抜かれた。

製作者のはち切れんばかりの情熱を浴びて、すっかりその熱に当てられた。

全ての場面を食い入るように見て、いちいち反応しいちいち感動した。

最初のシーンからビシバシ伝わる「尋常ではない」感。

 

『七人の侍』や『スターウォーズ』を公開当時に見た人たちの衝撃に近いのかもしれない。

こんな世界は知らない、とんでもないものを見せられている、その現場に立ち会っている興奮だ。

 

その物語を引っ張っているのがシャーリーズセロン演じるフュリオサだ。

ああ、だめだ、カッコ良すぎる。

虐げられている女たちを、1人の女がさ、救おうと戦う姿に私は涙が出るんだよ。

私の嫌いな言葉に「男のロマン」というやつがある。

ロマンを男だけのものにしやがってといつも悔しい気持ちになるのだ。

そこへきてフュリオサは女のロマンだよ。

私は孤独なかっこいい女が本当に好きなんだ。

泣き言ひとつ言わない、屈強で決して折れない女。

女を救うのは女だよ。

 

だから彼女が膝を降りへたり込む場面で私はいつも号泣してしまう。

映画は彼女がイモータン・ジョーを裏切る場面から始まるけど、

そこに至ったであろう苦境と孤独を勝手に想像してやりきれなくなるのだ。

それでも立ち上がる。

生きていく。

 

そこで一匹狼マックスの己との戦いが交差して、一緒に強大な敵に立ち向かうわけだ。

初めて見た時はトム・ハーディのマックスにあまり興味がなかったのに、見るたびに魅力的に見えてくる。

マックスと対等に渡り合える女になりたいね。

心で完全に信頼していなくても、技量がありお互い見定めることができれば背中を預けることができる。

プロフェッショナルなのだ。

マックスに限らず、登場人物一人一人が自分の役割を理解していて実行する力を持っている。

ウォーボーイの端っこの一人でさえ車に献身しているのだ。

 

フュリオサとマックスに引っ張られ、

最初守られるだけだった女たちまでもが戦い自分たちで生きる道を獲得していく。

ウォーボーイの一人に過ぎなかったニュークスの己を取り戻す戦いに涙。

思い出すだけで胸が熱くなる。

あまりに突き抜けた、感情的で特別な映画だ。

 

 

映画『フュリオサ A MADMAX SAGA』はずっと待っていた。

公開日が発表されてから、大げさでなく指折り数えて待っていた。

万全の状態、最高の環境で観たいから体調にも気をつけ座席は予約可能日の深夜0時すぎにとった。

もちろん公開日のIMAXシアターだ。

 

1回では消化できず2回見に行った。

というのも1回目観た時は『怒りのデスロード』を超えるヴィジュアルインパクトを期待していたので、

あまりの予想外な話に面食らってしまったのだ。

本当ジョージ・ミラー監督に失礼なことをした。

この9年の現実世界の変容たるや、もはや別の世界と行ってもいいくらい大きい。

その中で同じようなド派手な爽快ヒーロー物語をつくっても意味がなかったのか。

前作のフュリオサ然り、主のために美しく散るウォーボーイ然り。

生々しく地を這う若き日のフュリオサを、決してヒーローにしなかったんだな。

苦しいな。

こういうところに創作者の凄みを感じる。

 

子供時代が長いという話があるけれど、私は子供時代がとても好きだった。

導入部の緊張感とワクワクはすごい。

何と言ってもフュリオサの母ジャバザの圧倒的なかっこよさにノックアウト。

この母の魂がシャーリズセロン版フュリオサにも受け継がれていくんだね。

母との約束には序盤にもかかわらず涙が出た。

ここから孤独な戦いがはじまったんだね。

そしてディメンタスとの変な関係性も面白い。

力がないゆえ外部の環境に振り回されあっちにいったりこっちにいったり。

ディメンタスってなんか嫌いになれないんだよな、愛嬌があるからかな。

 

私の願いは一人でいいからマックスみたいなかっこいい男が出てきて欲しかったということ。

ジャックではだめだ。

彼は優秀で優しい普通のいい男に過ぎない。

この男とずっと一緒にいたらダメになりそうだなとすら思わせる。

マックスみたいな超人的なかっこいい男が側にいたらと思うけれど、それではヒーロー物語になってしまうか。

それに男に助けてもらうようでは、フュリオサは生まれない。

かっこいい男といえば敵方のオクトボスはとてもよかった。

マスク姿も素顔もかっこいいしカリスマ的な雰囲気がある。

部下を大切にしていて信頼もされており、何より戦い方が最高。

冒頭ディメンタスの基地の空にたなびいていた黒い蛸(凧)がタンクの後ろに現れた時は感激した。

そういうことだったの!?と。

どれだけ楽しませてくれるの。

 

マッドマックスシリーズでとても好きなのが、敵の親玉が自分で運転するところ。

1のトーカッター、2のヒューマンガス、『サンダードーム』のアウンティ・エンティティ、

そして『怒りのデスロード』のイモータンジョーに今回のディメンタス。

バイクはわかるんだけど、偉そうな奴が車を自ら運転するって本気度が伝わって愛着がわく。

ディメンタスが愛車のシックス・フットに乗り込んで、運転手を押しのけ自分でハンドルを握る場面は特に好きだ。

顔を歪ませ、大きい体に力を込めて小さなハンドルを一生懸命握って、

それがズームアウトしていくとバックでは炎が燃え上がっている。

怖いし、かっこいいし、面白いし、ちょっと可愛い。

その荷台には部下が二人乗っていて笑ってしまう。

 

クライマックスになるかと思った40日戦争は昔の絵画風ダイジェストで、

しっかり描かれていたのはフュリオサとディメンタスの対峙。

じりじりと追い回し、ついには追い詰めた。

復讐か、そこはいまいちピンとこなかった。

人権など捨て置かれた砂漠の世界で、人一人の命がどれだけの重さなのか私にはわからない。

ジャバザは想像するに「母」であり、村の支柱的存在でもあったんじゃないかな。

フュリオサの誇りだったんだろう。

だから母を殺した相手を許さないのは理解できる。

しかし、その相手がディメンタスというのがなんだかしっくりこない。

うまくいえないのだけど復讐の相手として適切じゃない気がする。

空っぽだから苦しめたところで意味がないような。

そういう意味でも私にとってディメンタスとは掴みにくい不思議なキャラクターなのだ。

よく見るようで見たことのない悪役。

「お前は俺と同じだ」という彼の言葉が今も心の中でザラついている。

何度でも見よう。

それだけの奥行きがある。

 

ディメンタスのバイクを馬のようにつないだ乗り物を見た時、子供の頃に見た『ベン・ハー』を思い出した。

あれは馬を何頭かつないだ馬車だったと思う。

それが煙を立てて闘技場を走り回る場面は今でもよく覚えている。

英語を話す人に言わせると台詞の中に古代ローマに関する言葉がちょくちょく出てくるらしい。

神話的な物語となるべく仕掛けが細部に描かれているんだねぇ。

 

最後、ウォーリグに乗り込むフュリオサと女たちの姿が描かれ、

エンドロールはそのまま『怒りのデスロード』に突入していく。

前作ファンにはたまりませんな。

映画館で『フュリオサ』を見た後、帰って『怒りのデスロード』を見た話はよく聞くけれど、

私は帰って『MADMAX』『MADMAX 2』『サンダードーム』を3本立てで見た。

朝『怒りのデスロード』を見てから映画館に行ったので、1日で5本見ちまった。

1ヶ月以上前の話だけど、なんともいい一日だったな。

ジョージ・ミラー79歳か、まだ映画作れそう。

大人しく待っています。

映画館でポスターとステッカーをもらった。こういうのはすぐ貼る。

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