歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

悪は存在しない

2024年05月03日 | 映画

珍しく夫が渋谷に映画を見に行こうと言ってきた。

東京だと渋谷か下北でしか上映していない映画らしい。

そういう突発的な欲求を大切にしたいから、なんの情報もなかったけれど了承した。

 

『悪は存在しない』というタイトルの邦画を誰が見に来るんだろう、

なんて思ったけれどまぁまぁ大きなシアターがほぼ満席で驚いた。

見終わって知ったのは『ドライブマイカー』監督の最新作で、

ヴェネチア映画祭では銀獅子賞をとったのだとか。

 

話題性は置いておいて見終わったあとの夫の反応が面白かったので書いておく。

以下ネタバレあり。

 

『悪は存在しない』

監督:濱口竜介
音楽:石橋英子
映画脚本:濱口竜介
撮影:ヨシオ・キタガワ
 
 
 
物語は怖いほど静かに淡々と進む。
 
進んでいるのかすらわからない。
 
美しく不穏な音楽が終始流れてはぶつ切りされて、こっちのリズムを崩される。
 
主人公が森で拾った長い羽を見て「これはヤマドリか、キジだな」と思ったら、
 
羽をもらった先生がセリフでそのまま同じことを言っていて、自分の山育ちを思い返し少し笑った。
 
子供の頃晒された自然のざわめきや手に負えない不条理を今はすっかり忘れている。
 
 
 
静けさと得体の知れない怖さがこのまま続いたらどうしようという不安は、
 
都市から持ち込まれたグランピング計画といういかにも胡散臭い話でいつの間にか薄れていた。
 
一方的で杜撰な計画が妙に現実的でこっちの世界に引き戻されるのだ。
 
ああやっと動き出した、という安心は正常なのだろうか。
 
2日後にキャンプを控える身としてはなんともタイミングの悪いこと。
 
決まっているから進めなければならない、
 
誰も求めていないのに動くお金のためだけに不合理な道へ行かなければならない、
 
本当にそれがいいと思っている人はいない、
 
そういう日本の社会の縮図みたいなものがあるような気がした。
 
 
 
芸能事務所の社長とコンサルタントの話の通じなさみたいなものが使い捨てにされていて面白かった。
 
あの嫌な感じを大事にしないんだな。
 
ある意味でスカッとする。
 
 
 
そしてあの衝撃のラスト。
 
鹿打ち、鹿の水飲み場、鹿の道。
 
グランピング建設予定地の原っぱはなんだか侵してはいけない神聖な場所にも見える。
 
花ちゃんの動かない背中と鹿の親子。
 
こちらを向く鹿の顔がとても怖いと感じたのは私だけじゃないだろう。
 
走りだそうとする高橋さんを羽交い締めにする巧。
 
へっ?
 
なななな何事?
 
そして冒頭につながる長い森のショットと息遣い。
 
 
 
エンドロールが短くて「?」を抱えたまま立ち上がろうとすると、
 
隣に座っていた夫が顔を手で覆って立ち上がろうとしない。
 
端っこの席だったし人が通るからと促すと重い腰をあげた。
 
体調が悪いのか相当参っているようだった。
 
私はあまりにも唐突なエンディングに混乱したけれど、
 
どうも見る者によっては唐突というわけでもなかったようだ。
 
何せ夫にとってはとても明確にすんなり終わったというのだから驚きだ。
 
そしてそれがわかってしまう自分が怖いとおののいていた。
 
「自分の話になってしまう」と言っていて、余計わからなくなった。
 
鑑賞後の重い腰は、どうやら相当ショックを受けての姿だったようだ。
 
後でポスターを確認するとコピーが「これは、君の話になる」だったので二人で目を丸くした。
 
えーーーーずるい。
 
一定数の人がこの物語を共有できるのに、そこに私はいない。
 
こんな体験も珍しい。
 
どんな映画だってはっきりわからなくても「ふーん、なるほどね」くらいは思うのに、
 
今回ばかりは「へっ?どういうこと??」だからね。
 
頭で理解しようとしすぎたかな。
 
面白いのは曖昧なようで明確だということ、というか明確らしいということ。
 
夫にとっては衝撃な映画体験だったようで、帰り道もまだ怯えていた。
 
多分、自分に。
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長野のラッキーおじさん

2024年04月18日 | 日記

福井での仕事が終わり、新幹線で東京へ帰ってきた。

北陸新幹線がうんちゃらかんちゃら言っているけれど、

どういうことなのかよくわかっていない。

福井に滞在してわかったのは、あまり好評ではないということ。

便利になったんだか、不便になったんだか。

 

福井駅でチケットを買い、大宮まで3時間のはくたかに乗り込んだ。

GWということもあってか指定席は満席で、しょうがなく自由席をとった。

ここ最近気づいたんだけど、タイミングによっては自由席の方が悠々自適に座れるかもしれない。

それに不思議と旅感が出てワクワクする。

 

福井駅から乗ったはくたかの2号車はガラガラで、私は真ん中あたりの2列シートの窓側に座った。

時間を長く感じるのが嫌なので、移動時間が長いときは寝るか何かに集中していたい。

その環境にぴったりなのがオーディブルだ。

話題の小説から古い書物まで聞き放題。

昨日は川上未映子の『黄色い家』を聞いて過ごした。

 

目をつむっていると隣に人が座ったのがわかった。

いつの間にか自由席もほとんど埋まっているようだった。

丁度妙高高原を過ぎたところで、窓の外を見ると切り立った白い山々が遠くの方に見えた。

視線を正面に戻すと左から強い視線を感じた。

ちらっと見ると隣に座ったおじさんがぐいっとこちらを覗き込んでいる。

会釈するとあちらも会釈して、それでも何か言いたげなのでイヤホンをとった。

 

「長野で降ります。」

気を使ってくれたのかな。

「私は大宮なので気にしないでください。」

「長野でおりて武蔵・・・」

何かもごもご言っている。

「大丈夫ですよ、本当にお気になさらず。」

と言って会話を切り上げてまたイヤホンを耳につけた。

 

それからしばらく走って、まだこちらを伺っている様子だったのでまたイヤホンを外した。

女性の隣に座るだけでも気を使う男性が多いこのご時世に珍しいおじさんもいたもんだ。

シートにおさまりきっていない大きな体を丸めて、両手で時刻表を開いている。

白髪の混じった髪はボサボサで、メガネの奥にはつぶらな瞳が光っていた。

年は50代半ばあたりかな。

「もうすぐ長野なので、降ります。」

「そうですか、電車がお好きなんですか。」

会話を続けてみた。

「うん、電車が好きでGWはこうやって電車に乗るんだ。

今日も大阪から来ていて、このあと長野で降りてー」云々マシンガントークが止まらない。

GWや正月休みは全国の電車に乗るのが楽しみだけど、

最近のお盆休みは暑すぎてそれができないのだとか。

「自分は埼玉の人?」

「いえ、大宮で乗り換えて東京です。西東京。」

私の住んでいる区を聞いてきて、そこにある電車について事細かく教えてくれた。

本当に電車が好きでそれを誰かに話したくてしょうがないという感じだ。

時刻表をペラペラめくってうずうずしている姿が可愛かった。

こんな人がいるんだなと少し感動した。

私の小さい世界の常識とか空気とか壊してくれる枠の外の人。

 

「じゃあこれからまた電車に乗って、へぇ楽しそうですね。

いい1日を過ごしてくださいね。」

「うん!」

英語でよく聞く”Have a good day!” がまさか自分の口から出るとはね。

席を立ち離れていくときに振り返って大きな声で「行ってきます!」

って言われたので人目憚らず「行ってらっしゃい」と言った。

なんて面白い人なんだろう。

きっと誰彼構わず話しかけて回っているんだろうな。

会うと幸せになれる妖精にでも遭遇したような清涼感だ。

 

そのあと入れ替わりで隣に座った男の愛想のないこと。

いや、それが普通なんだよね。

いやはや。

 

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2024年03月24日 | 

痒いというほどでもないが瞼に違和感を感じる。

目もかすむし、なんだか重たい。

慢性鼻炎だけど、いつにも増して鼻の調子が悪い。

気を抜くと水のような鼻水がポタポタと落ちてくる。

今年は持ちこたえたとしても、来年あたりに花粉症になるかもれない。

それともそんな気がするだけなのか。

 

高校生の頃、芥川龍之介が好きだった。

教科書に載っていた坊主頭に学生服の写真を見て好きになった。

文豪でさえ顔から入るタイプだ。

教科書に載っていたのか自分で読んだのか覚えていないけれど、

私は彼の小説の中でも特に『鼻』が好きだった。

鼻の長いお坊さんが苦悩する話だ。

いたく感動し文章の美しさに衝撃を受けたことをよく覚えている。

ここのところ鼻の調子が悪く、だからかそのことを思い出した。

鼻の長いお坊さんの姿は鮮明に思い出せるのだけど、

何にそんな感銘を受けたのか思い出せない。

小さい頃から鼻水たれで鼻にコンプレックスがあったから、

一層思入れが深かっただけかもしれない。

 

久々に読んでみた。

なるほどこういう話だったか。

高校生の感受性で受け止めたから自分ごととしてダイレクトに響いたのだろう。

『蜘蛛の糸』でも『羅生門』でもなく『鼻』が好きだったというのも頷ける。

「自尊心について考えさせられた」と書こうと思ったけれど、多分違う。

それらを頭でっかちな頭でごちゃごちゃ考えた先に、

美しい風景が見れたことになんとも言えない暖かさを感じたのだと思う。

包容力とでもいうのか。

たった数行の風景の描写が瑞々しく、足元から広がってとうとう目の前に現れる。

サプライズは嫌いだけど、そんなの泣いちゃうよね。

主人公の内供がなんらかの真理にたどり着いたわけではない。

ただ晴れ晴れとした、それだけで十分だ。

 

それにしても鼻ってところが面白い。

なんでかって言われるとうまく説明できないけれど、

目でも口でも耳でもなく鼻じゃなければならなかった。

それにしても鼻水が止まらない。

困ったもんだ。

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夫の小さな言語世界

2023年11月30日 | 日記

数日前、夫と歩きながら動物の話をしていた。

理由は思い出せないけど、

あの動物は英語でなんていうのかというやりとりをしていた。

 

私「カエルは?」

夫「フロッグ」

私「うさぎは?」

夫「あれ、なんだっけ?」

私「あれ、えーっと絶対知ってるはずなんだけど。」

「………」

夫・私「あ、ラビット!」

 

なんでこんな初歩的なこと忘れてしまうのだろうか。

最近の私の「忘れた」は忘却というより消滅に近い。

なくなったら戻ってこない。

ラビットでさえあんなに遠くへ行ってしまっていたのだから、

日常会話で何でも反芻していかないといけない。

 

私「タカは?」

夫「タカとワシって同じなのかな。」

私「確かほとんど一緒だけど、大きさが違うって話だよ。」

夫「タカとワシも分かりそうなものなのにね。」

私「タカの方が小さいらしい。

厳密にはやっぱり大きさだけでもないらしいわ。」

 

気になるとすぐスマホで調べてしまう。

この行動について今までもいろいろ考えてきたけど、

なかなかやめられない。

わからないというプロセスが短かすぎるのは、

きっと脳に良くないだろうな。

ちなみにタカはホーク、ワシはイーグル。

 

夫「あれなんだっけ?あの動物、えーっと」

私「ん?」

夫「えーーロクデナシ!」

私「えっ?」

夫「違うな、うーんハタラカズ!」

 

ここで思わず吹き出した。

いや、言いたいことは伝わるけれどロクデナシはひどい。

ギャンブルで借金を作ってくるわけでもあるまいに。

ハタラカズもなかなかパンチがある。

動物に労働の概念を押し付けるとは、厳しいね。

アリは確かに働いているけれども。

 

夫「なんか違うな、、ウスノロマ!英語でなんていうんだっけ」

ひどい!もう完全に悪口。

あの動物だってそんないわれはないはずだ。

もはや英語どころの話ではない。

 

夫「えーっと、ウゴカサズ!」

これに至っては意味がわからない。

置物のような動物という方向からせめたのだろうか。

夫は名前を思い出せずブツブツつぶやいている。

 

英語では一般的に「遅い」「時間がかかって」の意を持つ「slow」から、

「sloth」と呼ばれるようになったらしい。

意外と日本と似たような名前で驚いた。

スロースって言ったら『グーニーズ』にも出てくるよね。

 

夫「あああ!ナマケモノだ!!」

君はキャット。

冬仕様のモコモコなお姿。

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電気をつけて

2023年10月11日 | 日記

夫は怖いものがめっきりダメだ。

お風呂で髪を洗うときはいつも背後の恐怖と戦っているし、

私がいない夜に家に入るときは「だれかいるのか!」とか一人で言っているらしい。

 

にもかかわらず、テレビのホラー番組を見たがるのはなぜなのだろう。

怖いもの見たさ?

先日も「一人で見れないから一緒に見てくれ」と録画していたドラマを見せられた。

私はまぁまぁなホラー好きなので、ありがたい申し出だ。

テレビだからあまり贅沢は言わないけれど、怖ければ怖いほどいい!

 

で見たのが『憑きそい』という同名漫画原作のドラマ。

これが思いの外面白かった。

因果のない得体の知れないものに憑かれる感じが新鮮で私の好みだった。

特に4話目の『審査員』で布を被せたら実体化する何者かがお気に入り。

 

しかしどうしても気に入らない表現がある。

主人公たちはなぜ電気をつけないのか。

ずっと暗すぎる。

「恐怖」という感情と「電気をつけない」という行動がどうも噛み合わない。

恐怖している人間が電気をつけないなんてあり得るのだろうか。

「魔は暗闇に巣食うため、明かりがあるだけである程度は滅することができるだろう」

と考えているのもあってなんだかもどかしい。

(ということは光に巣食う魔がいたら面白いかもな。)

あまりの暗さに作り手の意志を感じてしまい、冷めるなぁ〜とか思って見ていた。

 

 

しかし、次の日夜トイレに入ってはたと気づいた。

私も電気をつけてない。

そういえば私というやつはあまり電気をつけない人間なのだ。

キッチンで皿洗いしているときもよく夫に「電気をつけなさい」と言われる。

強い意志があるわけでなく、ほとんど無意識なので実際にトイレに入るまで忘れていた。

以前弟がうちに来たときも電気をつけない様子に驚いていた。

あちゃー、冷めてる場合じゃなかったよ。

そういう問題でもないか。

よくよく考えれば”何か”から身を隠す為に電気をつけないパターンもあるよね。

 

と自分を納得させて前に進むわけだが、人知れず進めていないやつがいた。

夫だ。

内容が面白かったので原作漫画についていろいろ調べたらどうやら実話ということらしく、

夫に「あれ実話が元になってるらしいよ〜」と軽い気持ちで言ったら、

ずーんと暗い顔をして「それは聞きたくなかった、、、」とぐったりしている。

どうしたん?と聞くと「それを聞くだけで1年は引きずるんだよ。

昨日だって怖くて寝るとき頭まで布団かぶって寝たんだよ。忘れられないんだよ。」とのこと。

でも録画して一緒に見ようと言ったのは君なんだが、、、本当に何を考えているのかわからない。

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