歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

空き缶とわたしとあなた

2022年02月12日 | 日記
夕方に西武新宿線に乗っていた時のこと、

20年以上前の社会学の本を手に難しい言葉の羅列と格闘していた。

馴染みのない言葉が並んでいるとどうしても読むのが遅くなる。 

知らない熟語があると構成する漢字を見て適当に当たりをつけるが、

それが間違っていることも多々ある。

一つの熟語の意味を取り違えるだけで文章の意味まで変わってしまう。

そういうことが何度かあって最近は都度意味を調べるようにしている。

最近きっかけがあり、惰性で本を読むのはやめようとつとめている。



夕方の西武新宿線は混んでいるというふうでも空いているというふうでもない。

座席は埋まっていて立っている人もそれなりにいるが、まだ空間に余裕がある。

私は座席に座っていて正面に座っている人たちを観察しようと思えばできるくらいの余裕だ。

左前方に背中を向けて立っている女性二人組がいて、車両で喋っているのは彼女たちだけだ。

その近くには眠っている女性、スマホを触っているキャップを被った男性、サラリーマン。

いつもの代わり映えのない風景と代わり映えのないわたし。



この空間が車くらいの速さで移動していると思うと不思議な気持ちになる。

見知らぬ他人と一緒に動いているのが異様でもあり当たり前でもある。

本の影響で、この人たちも日本という沈みゆく船の乗組員なんだよなとか考える。

そう思うとなんだか情けなさと愛着のようなものが同時に芽生えそうになるんだけど、

何の目線なのかがわからなくなって手前でそっと胸に押し込んだ

目の前の人に一方的に仲間意識を持たれても気味が悪いだけだろうしね。



目線は本に戻してうむむと難航していると遠くの方からカラカラと乾いた金属音が近づいてきた。

カラカラカラカラカラッカラカラー

空き缶が転がってくる。

と認識するや否や、空き缶の半径2メートルくらいの空間にぐっと力が入ったのを感じた。

みんなが一様に空き缶の行く末を見守っている。

こっち来んなとかどうしようとか動揺する気持ちがなぜだか手に取るようにわかる。

二人組の女性なんかはあからさまに空き缶に気持ちを持っていかれている。

なぜなら空き缶の登場で会話が途切れたから。

無言の車両をあざ笑うかのように空き缶はカラカラと音を立て縦横無尽に動き回っている。

その感じが可笑しくて可笑しくてたまらなかった。

もう笑いをこらえるのに必死だ。

全部わたしの妄想なのかもしれないけどそれでもいい。

空き缶の動向を注意深く観察する自分自身も可笑しかったのだ。



意思のない空き缶一つにたじろぐ大人たち。

そこに子どもがいれば違っていたかもしれないし、海外の人がいれば違ったかもしれない。

「公共」を持たない日本人の大人しか居合わせなかったことがこの状況を生んでいる。

自分だってどうだ、足元に来たら拾おうくらいの他人任せだ。



空き缶は電車の急停止に合わせて一足飛びでどこかにいってしまった。

その後ぱったり音が消えたのはきっと空き缶が、

ロマンスグレーの髪を丁寧になでつけチェスターコートの襟を立て、

カシミアのマフラーを巻いた紳士の磨かれた靴にぶつかったのだが、

紳士は空き缶なんぞに心奪われることもなくそれを手に取り、

次の駅で降りてホームのゴミ箱に捨てさったからだろう。

紳士のおかげで空き缶は本来持つべきでない存在感を失いあるべき場所に帰った。

少し寂しいけど、これでよかったのだろうと思う。




人っ子一人いない昼間の伊賀鉄道
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2人のディズニーランドについて

2022年02月10日 | 日記
夫が唐突に「そろそろディズニーランドにでも行きたいね」と言ってきた。

この行きたいねの「ね」が味噌だ。

暗に同調を求めているところがなんか変だ。

そろそろも何も2人でディズニーランドへ行ったことは一度もない。

そもそもお互いディズニー好きなんていう認識はないし、そんな話をしたこともない。

『アナと雪の女王』は出遅れていまだに見れてないことが少し胸につかえてるくらいなもので、

まぁ『スターウォーズ』は今はディズニーだけど7、8、9は酷かったしな。

このナイナイづくしが反対にいいのかしら。

いや、でも、やっぱりおかしい。

ディズニーランドで何するんだろう?



わたし「どうなるか全く想像できない」

夫「はははははは」



いや、楽しいのかもしれない。

でも、アトラクションではしゃぐ2人も、行列に並ぶ2人も、パレードを見たい2人もやっぱり想像できない。

いや、楽しいのか?



と、いろいろ思い返して今やっと夫の真意がわかった気がする。

私たちもそろそろディズニーランドへ行っても楽しめる歳になったんじゃない?ってことだ。

なるほどね。




椅子を占領された。

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町の喫茶店

2022年01月29日 | 日記
コロナ禍のさなかにこの町に引っ越してきた。

ドタバタとせわしなく感傷に浸る時間はほとんどなかった。

10年住んだ町は生粋の新興住宅街で最後まであまり好きになれなかった。

それでも二つだけ気に入っている場所があった。

その一つが古くからある喫茶店だ。



はじめてお店に入ったときを明確に覚えている。

友達と二人で勇気を出して入ってみたら、昭和の雰囲気を残した落ち着いた店内だった。

壁には風景画が飾ってあって、壁の隅の方に大きなサイフォンが置いてあった。

当時はサイフォンなんて知らなかったから、古そうな機械が置いてあるなと思っていた。

ウェイターを呼ぶと茶髪でロン毛の軟派な男の人がきた。

なんだかミスマッチな人選だなと思いながら注文するとタメ口で話しかけてきた。

あっけらかんと実に愉快に。

私たちは戸惑いながらも気になって見ていたら、彼は誰に対してもずっと同じ調子だった。

昭和レトロな店内で垢抜けた青年が軽やかに舞っている。

その姿はどこかメルヘンで不思議の国のアリスみたいな感じがした。

通りから一枚の壁を隔ててこんな異空間が存在するのかと思ったものだ。



それからというもの友達と二人で仕事帰りに通い詰めた。

多い時は週4、5で居酒屋のように閉店までコース。

めがねのおねえさんに「あなたたちエンゲル係数高いね」と言われたのを覚えている。

彼女はメンタリストとかでスプーン曲げの特訓をしてもらったこともある。

その喫茶店で修行していて自分の店を持つのが目標だった。

あっという間にその目標を果たしいなくなった時はやっぱり寂しかった。



マスターは恰幅がよく品のあるおじさんだった。

何時間も話を聞いていたことがあるけれどあれはなんの話だったか。

その話がやたら面白くて勉強になったのは覚えている。

戦争とか全共闘時代の話だったような気がするけどさだかではない。

私たちのことを気に入ってくれていたのかすべての客にそうだったのかはわからないけど、

他に客がいないときは奥からタバコを持ってきてコーヒーを飲みながらいろいろ話してくれた。

いつの間にか息子が継いで、それからはほとんど見なくなったけど。

その頃友達とは仕事が離れいつしか夫と行くようになり、気づいたら夫の方が常連になっていた。



料理がとても上手なおじさんもいたな。

無口で職人肌の色黒の紳士だった。

他の人が作ったときとは段違いに美味しかった。

パスタは照りと張りがあり、量や味が絶妙だった。

他の人が作る時は量もまちまちでパスタが伸びていることもよくあったから、

夫なんかはパートのおばさんにこっそり「今日は誰が作ってるの?」と聞いていた。

そんな失礼な!と思ったけど、パートのおばさんもノリノリだったのは可笑しかった。

そのおばさんがまさかマスターの奥さんだったとはね。

一度職人肌のおじさんとハンバーグ屋で鉢合わせたことがある。

背の高い美女と一緒で、なんだか意外だった。



忘れちゃいけないのがササキさん。

ちびまる子ちゃんに出てくるササキさんに顔が似ているので勝手にそう呼んでいた。

肩の力が抜けた60前後のおじさんで、軽薄だけどユーモアがあってすごく好きだった。

背も高いしすらっとしていてあの軽さだから、きっと昔はモテただろう。

一時期尋常じゃないほど通っていたので、かなりフランクに接してくれた。



一番多く料理を運んでくれたのは背の高い馬面のお兄さんだった。

優しくて穏やかで一生懸命だけどどこか抜けていた。

多分10歳くらい年上だったんじゃないかな。

お店の扉を開けると、いつも彼がいて柔らかい笑顔で迎えてくれた。

パスタを頼むと必ず「大盛りですね」と付け加えてくれた。

当時はかなりの大食いだったからいつも大盛りだったのだ。

夫には「味濃いめですね」と言って、全然濃くないということも多々あった。



小さくて世話焼きなおばさん、

いつまでも新人に見えるお兄さん、

客にはおおらかだけど仕事には厳しいマスターの息子さん、

10年の間に数人は入れ替わったけど、いつも人間味のある店員さんばかりだった。

今更ながら採用条件が気になるところ。

それとも働く環境が人間らしさを引き出していたのかな。



ずっと続くと思っていたあの場所が、2020年の暮れに閉店していた。

急な知らせに驚き、馴染みの従業員たちの顔が浮かんだ。

彼らはどうしているのだろう。

引っ越し前はほとんど顔を出していなかったから、ここ数年の様子はわからない。

我ながら薄情だったな。

否応無く時代が流れていくんだなあと少しセンチメンタルな気分になった。

こうして私も大人になっていくのかね。

あった場所がなくなるってのは変な感じ。

思い出の宛先がなくなるような、から回る感覚だけが残る。

あり続けることの方が難しいのに、あり続けることに一切の疑いをもたなかった。

確固たる場所なんてないのにね。

何が悲しいって、コーヒーが本当に美味しかったのさ。

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ひとごと

2022年01月26日 | 日記
「なんでアホであることが恥ずかしくないのか」



とある本で問われ読む手が止まる。

こと第一次中曽根内閣以降に生まれた世代に多い態度なんだとか。

ドンピシャである。

10年くらい前、友人が「自分から自分はバカだと言う奴は嫌いだ」と言っていたのを思い出す。

彼は思慮深く傷つきやすかったが、ものははっきり言う人だった。

その時はあまりピンとこなかった。

まぁそういう人もいるだろうくらいの感想しかなかったのだ。

しかし本の中で「なんでアホであることが恥ずかしくないのか」と問われ、

立ち止まり改めて考えてみるとこれは私に言っているんだと気づいた。

今までどこかで他人事だったのだ。

別に私はそう思ってないからいいやって(「別に」という前置きを母は嫌っていた)。

私が彼の言葉にピンとこなかった時点で私の問題だったのだ。



これが世代的な傾向だとすると内側から考えてもよくわからない。

他の世代のことをよく知らないからね。

でもそろそろ全体を見渡して相対的に自分たちのことを考えないといかんよなと思うわけです。

いつまでも口うるさい上の世代におんぶに抱っこではいけない。

もちろん前時代的で腹の立つ輩もたくさんいるけれど、まだまだ学ぶことの方が多い。



年長者たちは「今の若い人たちには歴史感覚がないんですよ。」としきりに訴える。

私自身、圧倒的にその感覚が乏しい。

これは世代的な傾向なのかもしれない。

どうして今があるのか、なぜこのような状況にあるのか、という感覚を持ちにくい。

我ながら中国人や韓国人の反日感情に無反応だったように思う。

「なんであんなに日本を嫌っているんだろう」って他人事。

知ろうと思うフックがそれまでなかったのだ。

授業は比較的真面目に受けていたが、学校でそういうことは教わらなかった。

個人差はあるけれど無知なままほいほいと社会に放り出される。



私は年長者たちの話や議論を聞くのが好きだ。

大人たちのそういう話を聞いているだけでどこかで安心していた。

やっぱり今の今までどこかで他人事だったのだと思う。

何回気づいても何回も忘れてしまう。

この人たちが言っているのは「わたし」のことなんだと。

自分のことだと実感すれば痛みを伴う。

その痛みを引き受けていくしかないのかな、ないんだろうな。



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家庭内ホラーの行方

2022年01月09日 | 日記
「この曲知ってる?めっちゃいいよ。」

「いやその動画一緒に見たじゃん。」

夫とよくする会話のパターン。

私は、いや一緒に見てないよ、と思う。

本当にそうか、ともう一度自分に問うてみる。

どう考えても一緒に見ていない。

二人とも「?」を抱えて話は後ろに流れていく。

この「?」を共有できればそれでいい。



人と一緒に住むというのはホラーに近いところがある。

夫は飲み物や食べ物の温度をとても大事にしている。

決して几帳面なタイプではないが、こだわりは強い。

冷たい飲み物には氷をいっぱい入れるし、買ってきた焼き菓子は必ず少し温める。

熱々のスープは適温まで冷ますし、挙句それを私にまで強要してくる。

わけがわからない。

その善意がちょっとこわい。



私が彼の行動でもっとも理解し難いのがタンブラーや高性能のジョッキをよく買うことだ。

そんなものひとつあればそれで事足りる。

洗うのが億劫ならせめて2個までだ。

それがことあるごとに買ってくる。

タンブラーを置いてあるシンク下のスペースがもういっぱいだ。

どう考えても無駄遣いである。

もう買わないでくれとお願いしても怒ってみてもやめない。

11月の展覧会から帰ってきて新しいブツが増えていた時は途方にくれた。

理由を聞いてもいつも濁して要領を得ない。

本当に意味がわからない。

頭が混乱するのだ。

生活空間に潜むミステリ。

足を踏み入れてはならない奈落の入り口。



夫は驚くほど家事ができない。

というか意識が向かない。

その夫が冷蔵庫の製氷機にこまめに水を補充したり、

奥に片付けたサーモスのジョッキを見つけ出し氷をたくさん入れてコーラを飲んでる姿はやばい。

なんか変なんだよ。

こまめに水を補充する姿も、サーモスのジョッキを探す姿も尋常じゃない。

その姿を見てつい大笑いしてしまった。

一貫性がありすぎてもはやコメディ。


東京で雪が降りました。
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