歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

元気な絡縺象

2019年01月15日 | 空想日記
私の中にはらくれんぞう(絡縺象)が棲みついている。

場所はだいたいお腹のあたりだと思うけれど、正確にはわからない。

らくれんぞうは大人しくしている分にはいいのだが、

一旦動きだすと心の中が絡まり縺れ(もつれ)、

もやもやのぐっちゃぐちゃになってしまう。

それでイライラしたり落ち込んだり怒ったり。

いやなんだけど、それは仕方のないことなのだ。

らくれんぞうにはまったく悪気がないんだから。

そいつはただお腹の中に棲みついて無心で活動しているだけ。



反対にこう考えてみる。

自分がイライラしていたり落ち込んだり怒っているときは、

らくれんぞうがお腹のあたりを動き回っている。

なんか間抜けなやつだな。

でも少しだけ気が楽になって、少しだけ愛しくなったりならなかったり。

まったく困ったやつだけど、とりあえず一緒にやってこう。


絡縺象
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ゾンビに会ったら

2018年10月19日 | 空想日記
大学の映画研究部のJ先輩はゾンビが大好きでいつもゾンビのショートムービーばかり撮っていた。

夜な夜な大学の文化サークル棟に集まっては、みんなでやいのやいのやったものだ。

意外に思われるかもしれないけれど、私は彼の映画で何度か主役をつとめたことがある。

当時は声が小さいと注意される度に、軽々しく引き受けるんじゃなかったと後悔していた。

私はJ先輩のことを相当変わった趣味の持ち主だと思っていたけれど、

ゾンビオタクというある一定の趣味層は確かにあるらしい。



リビングデッド、生ける屍なんて呼ばれるゾンビだが、それっていったいどういうことなんだろう。

死んでるの?生きてるの?

昔のゾンビ映画に出てくるゾンビは墓場から出てくる。

死者が棺桶の中で朽ち果て腐った頃なんらかの力が働いてゾンビになるわけだ。

死者が蘇ったバージョンのゾンビはモンスター像として分かりやすい。

つまりゾンビは死んだ人間ということになる。

概念としては中国のキョンシーに近い。




『スリラー』



ではゾンビ映画でよく見られる感染に関してはどうだろう。

ゾンビに噛まれた人もゾンビになるわけだが、それは不思議な話だ。

この場合時間の経過を必要とせず、一瞬にして朽ち果てたゾンビとなる。

人々はゾンビになりたくなくて必死で逃げ惑う。

こうなってくるとゾンビは感染症だ、モンスターというより病に近い。

狂犬病に感染した犬が精神錯乱し凶暴化するなんて話を聞いたことがあるが、それに似ている気がする。


『アイアムアヒーロー』



ゾンビ映画を観ると毎回同じことを思う。

とてつもない恐怖の中一生懸命逃げて少数で抗う主人公が多いけれど、

早々にゾンビになった方が楽なのではないか、ということだ。

怖い話は好きだけど、自分に本物の恐怖が降りかかったら一刻も早くそれから逃れたいと思うはずだ。

私のイメージでは、ゾンビになると自分がなくなっていく。

ゾンビの侵入とそれを拒絶する自我のせめぎあいは確かに辛く苦しいものだが、

それを超えてしまうと靄のかかった生ぬるい感覚の中に身をまかせることになる。

頭が働かないので何も考えなくていい、ただ外側の衝動に任せておけばいいのだ。

一番幸運なのは振り返る間もなく後ろからゾンビに噛まれてよくわからないまま感染するというパターンだ。


ゾンビと戦う代表者アリス



そんな妄想をしばらくお腹の中で寝かせていたが、つい先日夫Kに話してみた。

私:「ゾンビが襲ってきたら早々にゾンビになった方が楽だと思わない。
   逃げ切るのは精神的にも身体的にも相当大変だよ。」

K :「でも、誰も死にたくはないんじゃない。」

はっっっ!!

ゾンビはやっぱり死んでいるという認識なのか。

ゾンビになりたくない、というより死にたくないのか。

初心を忘れていた、というかソンビについて考えすぎて頭がこんがらがっているかもしれない。



でも「ゾンビ=死」で本当にいいのか。

たまに多重人格のように、ゾンビに侵された人格が一瞬出てきて主人公を助けるなんてことがある。

そうなると人格感染みたいな話になるのか。

ゾンビになることを恐れて自ら命を断つ者もいるわけで、もしかしたら死より恐ろしい状態なのかもしれない。

自分がなくなるというより、ゾンビという無間地獄に陥るような感じ。

今日の結論は、ゾンビとは曖昧な概念であり、明確に定義づけるのは難しいということ。

なんとなくゾンビっぽければだいだいゾンビなのだろう。

というわけでゾンビ素人の妄想の時間でした。



言わずと知れたゾンビ映画の名作『ショーン・オブ・ザ・デッド』、ゾンビ嫌いでも観れると思うので是非。



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雨ダイブ

2018年06月06日 | 空想日記
しとしと、しとしと。

さんさん、さんさん雨が降っている。



外から、

植木や、鉢植えの花たちが目覚める音が聞こえる。

コンクリートの下の土がよみがえる音が聞こえる。

そこらじゅうの分解者たちが仕事をはじめる。

ざーざー、ざーざー雨が降り続けている。



スピーカーから流れるラジオの音も、

テレビの中の賑やかな人の声もかき消されて、

妙に静かな部屋の中、

内側のざわつきまでも消え去ってしばし無音の世界にダイブする。





夜中に近所の自販機でペプシを買ったら、偶然トニ・クロースが出てきた。

なんかいいことありそう。

今W杯の私的イケメン注目枠はクロースもいいけど、フランスのデンベレに決定。

今年のフランスは素人目に見ても強そう。



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アリバイのない人

2018年05月23日 | 空想日記
家にこもって作業していると、人に会うことがない。

時間的に切羽詰まった状態だと尚更だ。

田舎のように家の近くに人見知りが住んでいる訳でもないし、

挨拶するのは隣人と大家さんくらいのもの。



そこではたと気づく。

私にはアリバイがない。

もし万が一近所で空き巣事件が起きたとして、

私にはアリバイがないから疑われたら終わりだ。

夫に証言してもらうにしても、

ドラマ情報によると確か身内の証言には証拠能力がないのだとか。

恐ろしい。



ちなみに最近テレビで見たサスペンスミステリーで面白かったのは、

アガサクリスティ原作(原題「アクロイド殺し)三谷幸喜監督の『黒井戸殺し』。

映像化は難しいと言われた小説だが、見せ方が巧妙で見入ってしまう。

機会があれば是非。



よく考えたらアリバイのない人なんていっぱいいるか。

くだらないことを考えるのはやめて仕事しよ。


柄にもなくバラ。人からもらったものだけど、案外悪くない。
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空想日記

2018年04月27日 | 空想日記
唐突にふと思ったのだけど、なんで生命は後世に種を残したいのだろう。



「それが生命の本能なのさ」とか言われても納得できない。

私が知りたいのは、なぜそれが本能として授けられたのかということ。

生き物は種を存続させるために様々な工夫をし、長い年月をかけて進化をしてまで種を残そうとしている。

その涙ぐましい努力たるや、人間の想像を軽く超えてしまう。

ハナカマキリの見事な擬態、深海魚の発光、類人猿の脳の発達とあげたらきりがない。



子孫を、種を残す。

地球上の全ての生き物がその一点に関して例外なく(厳密には知らないし働きアリとかは除く)同じ方向を見ている。

とても不思議な話だ。

まるで本当に天地創造した誰かがいて、生き物に「生き延びよ」「種を残せ」という使命を与えたもうたかのよう。



「そもそも種を残したいなどという意志や本能はどこにも存在しないよ。

単に遺伝子のやりとりのあれこれの結果を見て人間が勝手にそう意味付けしただけの話。」と言われたら何も言い返せない。

現実は得てして想像より淡白なもの。

それでも煮え切らないのは、わたしがロマンチストだからなのか、なんなのか。

「事実は小説より奇なり」ともいうからね。



なんでも調べればすぐにわかるだろうけど、あえてそうせず想像の畑を広げたい。

空想するためには、知っていることと知らないことのバランスが大事だ。

知り過ぎてもいけないし、知らな過ぎてもいけない。

しかしそれは半々というわけでもないから難しい。

その比率がきっかりはまったときに、きっと頭の中でカチリと鍵が開く音がするでしょう。

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