歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

鎮座DOPENESS延長戦

2016年04月15日 | 音楽
前回に引き続き鎮座DOPENESSの動画を投稿。

前回の対黄猿の延長戦だ。



なんなんだ?

なんということだろう?

もうなんて表現したらいいか分からない。

たった30秒程の動画に脳天を打ち抜かれた。

ラップのフリースタイルの枠を超えている異次元の世界感。

彼が凄いのは見ていて楽しく、決して飽きないこと。

見る者聞く者全てを受け入れてくれる懐の広さ。

独特なリズム感と説得力のある言葉を即興で繰り出し観客を引き込んでいく。

安易だけど「かっこいい」の一言につきる。



彼のベクトルは熱いメッセージを伝えることより、自分が気持ち良くなる方へ向かっているらしい。

なんだか納得、だからこそ聞いているこっちまで気持ちよくなるわけだ。

そんな人間性にも惹かれます。

鎮座DOPENESS vs 黄猿 延長戦
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鎮座DOPENESS(チンザドープネス)

2016年04月13日 | 音楽
音楽に対して特定のジャンルに偏った聞き方はあまりしないけれど、

メジャーなジャンルでこれだけは手が出ないというのが2つかある。

まずメタル、ハードロックは好きだがメタルはうるさいイメージがあって苦手だ。

そして日本人のヒップホップ、東洋人の血には合わないような気がしている。



今日のテーマはヒップホップだ。

自分から聞いてみようと挑戦したことはないのではっきり言って食わず嫌いだ。

日本人がやったところで本場には勝てないし、チャラチャラしていて共感出来ないというイメージ。

海外のアーティストをとってしてもiTunesにはEminemやLauryn Hillくらいしか入っていない。



テレビ朝日にて火曜の深夜25時26分からフリースタイルダンジョンという番組がやっている。

これは即興のラップで相手を倒すというラップバトル番組だ。

Eminemの『8Mile』を彷彿とさせる。

去年の暮れ辺りから何となくこの番組を知り、何となく見るようになった。

最初は「何か変な番組がやっている」という半分茶化す態度で見ていたのだが、

生の言葉の掛け合いに少しずつはまっていくのがわかった。

もともと言葉への関心が強いのもあり、想像以上に素直に入ってきた。

今思えば勝敗を決める審査員の中にいとうせいこうがいたのも大きかったと思う。

信頼を置く大人が一人いるだけで、番組を見る時の安心感が違う。



日本のアンダーグラウンドな音楽シーンには以前からフリースタイルラップバトルというものがあり、

そういうルーツを辿るとチャラチャラしているというイメージもなくなった。

反対に真面目でなければこんなに言葉に向き合うことは出来ないだろうという気さえする。

全体的には冷めていてつかみ所がないと言われがちな今の若い人たちが、

暑苦しいほどの情熱を持った真剣な眼差しで舞台に立つ姿は見ていて気持ちがいい。

面白いのは一瞬一瞬に言葉を紡ぎだすというスリルを含むライブ感と、

一人一人の生き方を投影するようなドキュメンタリー性だ。

そして日本語のラップだからこんなにもストレートに伝わるのだと思う。

余談だが、俳優浅野忠信や中村獅童もこの番組を見ているのだとか。



こんなに熱く語ってみたが、本当のところは私よりも同居人の方が熱心に見ている。

私はどちらかというと面白いと思うバトルだけ見ている。

また私の中のラップはあくまで番組の中で完結しておりそれ以上を求めるという風でもない。



そんな折私の中で事件が起きた。

つい先日、同居人が「凄い人を見つけてしまった」と一人で興奮していたのだ。

ネットサーフィンしていたら偶然ぶつかったらしい。

なんでも以前日本のラップバトル界で名を馳せた有名人らしく、彼曰く「神に許された人」なんだとか。



それが鎮座DOPENESSだ。

何と表現したらいいのか、確実なのは一回彼のラップを聞いただけでファンになったということだ。

少ないが今まで見てきたどんなラッパーとも違う異質な存在感。

並外れたリズム感と自由自在なフロウ(メロディのようなもの)、言葉を選択するセンスと説得力。

余裕と絶妙な間、肩の力を抜いて一番楽しんでいるのが本人。

神は分からないけれど音楽にはとことん愛された男なんだと思う。

今はラップバトルはしておらず楽曲製作などをしているらしい。



正直なところラップに関して私はド素人だ。

しかし素人目で見ても鎮座DOPENESSが普通のラッパーでないことは分かる。

こんなに中毒性のある人は他のジャンルでもなかなか見当たらない。



戦極MC BATTLE 第六章(13.4 .28)黄猿 vs 鎮座DOPENESS @BEST BOUTその1




もはやこれがラップなのかどうかさえ私には判断しかねる。

ただ2人の温度差が鎮座DOPENESSのかっこよさを際立たせる。



最近の一連の出来事ではヒップホップへの扉が開いたというだけで、そこに浸水したわけではない。

私が面白いと思ったのは即興でラップをするというフリースタイルの文化である。

しかしもしかしたら鎮座DOPENESSがヒップホップの道をもう少し導いてくれるかもしれない。

一つネックなのはラップバトルを見たあと言葉遣いが少し暴力的になること。



なんであれ、知らなかったものを知るというのは楽しいことだ。

さてはてメタルが近づく日は来るのだろうか。
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あめふりのうた

2016年02月20日 | 音楽
今日は久しぶりの雨。

灰色の雲が空を占領し、辺り一面が薄暗い。



通学や通勤の手段が自転車や原付だったころ、雨は大敵だった。

思春期にカッパを着るのはとてつもなく恥ずかしいことだったから、

意地を張って風に飛ばされそうになりながら傘さし運転で頑張った。



そんな中学生の頃英語の教科書に乗っていた忘れられないフレーズがある。

それが「ピッチパッチチャップチョップランランラン」というものだ。

童謡『あめふり』に合わせて人形達が歌う。

内容は忘れてしまったが、CDで再生された音声が面白くてクラスの皆が真似て歌っていた姿をよく覚えている。

『あめふり』は雨が降って子どもが喜んでいる歌だ。

それから雨の日にはたまにこのフレーズを思い出す。



今は雨も好きだ。

雨の日は音楽が映える。

それは雨が他の音を吸収して静かだから。



選曲のパターンは2つあって、まずは雨の日に寄り添う様に静かで深みのある曲。

その時思考の矢印は内に向いていることが多い。

もう1つは『あめふり』のように雨の日に彩りを与えてくれる曲。

じめじめした気分は一気に吹っ飛び、目の前の景色が一変するのだ。

この場合思想の余地はなく、感覚が外に放たれていく。

今日は後者について。



私には大好きな『あめふり』曲がある。

それはELOことElectric Light Orchestraの『Rain Is Falling』。



ある雨の日の帰り道、バスに乗っていた時のこと。

横浜市の住宅地は坂が多く、駅の停留所を出たバスはまず坂に沿ったメインストリートをのぼっていく。

バスの中から窓越しに流れていく外の風景をぼーっと眺めていた。

そのときランダムに聞いていたiPodのイヤフォンからその曲が流れてきた。

すると急に外の景色が彩りを取り戻しはじめたのだ。

雨粒が灰色から水色になり、まとわりつく湿気は瑞々しく爽やかなものへ。

坂に面した店々は賑わい、そこに人々の営みが見えた。

道を歩くおばさんは桃色の傘をさし、スーツ姿の男の人は鞄を頭の上にかぶせ小走りに駅の方へ向かう。

子どもは長靴を履き、カップルは相合い傘をしている。

その当たり前の全ての風景が、驚く程ドラマチックに見えたのだ。

現実は映画より凄い。

ときおり耳に残る”lonely tears”なる歌詞はお構いなし。

もともと好きだった曲だが、雨の日に聞くと一際いい。



ELO - Rain Is Falling
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Bon Iver

2016年01月25日 | 音楽
ボン・イベール。

2006年に結成されたアメリカのフォークロックバンド。

友達のすすめで一昨日知ったバンドだ。

初めてシガー・ロスの曲を聞いた時の衝撃に少し似ている。

情報は全く持ち合わせていないけれど、それで構わない。

ただ目の前に広がるのは草原と青い空。

大地に足を着け大きく息を吸いこもう。


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エンドレス・ドビュッシー

2015年02月03日 | 音楽
クラシックに関してはほとんど無知である。

ショパンとかバッハとかヴェートーヴェンとか、

本当に有名な作曲家の名前を知っているくらいだ。



もともとの音楽の聞き方も結構適当でこだわりがない。

いいと思えば聞くし、好きじゃなければ聞かない。

気になれば調べるけど、名前と曲しか知らないアーティストもたくさんいる。

ジャンルは関係なく、クラシックも例外ではない。

でもやはり敷居が高いイメージがありBGMに流すくらいの関係しか持ってこなかった。

出会わなければ能動的になるのも難しい。



最近エンドレスで聞いているのが、ドビュッシーの「Clair De Lune」。

邦題は「月の光」、1890年制作のベルガマスク組曲の第3曲である。

ドビュッシーの曲の中でもとりわけ有名で、親しみやすい曲想で知られているらしい。



ある日なんとなく静かな曲で作業がしたかったので、

iTunesの中にあるクラシック曲をランダムに流していた。

そしてある曲がかかった瞬間、作業部屋の空気が一変したのだ。

カップが、スケッチブックが、本が、筆箱が一瞬にして

瑞々しさを帯びそれらが何かを訴えてくる。

何も分からないまま私は感情の深淵に沈吟する。

それがまさにドビュッシーの「月の光」であり、奏者フジコヘミングであった。



それからというもの飽きる事なく思い立ったらこの曲を聴いている。

何か大切なものを思い出させてくれる様な、

私が大切にしているものを守ってくれる様な、

それでいて儚くいつ崩れてもおかしくない安寧を与えてくれる。



他の人の演奏を聴いた事がないから今はこの曲が好きだという印象だけれども、

他の人の演奏を聞いてやはりフジコ・ヘミングの演奏が好きだっていう風になるのも面白い。

クラシックの扉が数センチ開いたかな。


電車の中から夕日が見えた。
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