歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

メランコリック・クイーンとモンマルトルの丘

2014年10月12日 | 日記
最近憂鬱な気分が続いている。

太陽は大分前に沈み、灰色の分厚い雲の下、波は荒く船は今にも転覆しそうである。

こんなにも長く落ち込む事なんて然う然うある事ではない。

なぜなのか見当もつかない。

いや心当たりはいくつもあるが、それは昔から私につきまとっているものであり、今更大した話ではないはずなのだ。



そんな風に迎えた今日、仕事中にふと考えた事がある。

以前も今も環境は変わらないのにいったい何が違うのか。

手元に何がないのか。

「ソウゾウリョクだ。」



これが時間に溺れるということなのかもしれない。

時間に惑わされて、思考が停止している。

目の前の時間を一生懸命追いかけ、空虚の中を空回りしている。

忙しいのだと錯覚し、音のない喧噪から逃げるように自分の砦を造る。



これでは何にも出会うことは出来ない。

こっちにその準備ができていないのだから。



ソウゾウリョクとは想像力であり創造力のことである。

ワクワクもそこから生まれるのだと思う。

今まで子どもの様なソウゾウリョクに支えられていた。

その機能が急になくなってしまった訳ではなく、それが見えにくくなっているだけのこと。



以前、NHKのプロフェッショナルという番組に絵本作家の荒井良二が出ていた。

「日々のを暮らしを子どもの目線で見てみればワクワクする事がいっぱいある。」

彼が散歩をする風景が今でも忘れられない。

面白そうな脇道を見つけて「こんなのがどこにどうつながっているんだろう。」と寄り道。

奥まで行くと、生い茂る草木の真ん中が窪みになっていて怪しげな影をつくっていた。

「この緑が呼ぶんですよ。こっちからね。」



特別な刺激を求めている訳ではない。

レインボウのスポットライトが欲しい訳ではない。

日々の小さな喜びや悲しみに反応するアンテナがほしいだけなのだ。

何かにワクワク出来るだけのソウゾウリョクがほしいだけなのだ。



この閉塞感の中、弱々しくもたくましい生が確かにここにある。

偉そうなことばかり言って、これからも同じ事を繰り返すと思う。

きっとそれでいいのだと思う。



NHK教育で深夜に流れていた番組で、一瞬パリの丘モンマルトルの町並みが流れた。

印象派の画家たちが住んでいた町で、今では芸術家の町と呼ばれているらしい。

20世紀からまだ抜け出してない様な古くて優しい町並みだ。

行ったこともなければこれといった思い入れもない。

しかし、なぜだかその数秒の映像が私の心を穏やかにしてくれた。

重苦しい雲の隙間から少しだけ太陽の光が射し、波もずいぶん静かになった。

きっといつかこのモンマルトルに行こう、そう思った。

コメント
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