歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

ふしぎ

2015年12月19日 | 日記
友達が教えてくれた金子みすゞの詩。



      ふしぎ
          金子みすゞ


  わたしはふしぎでたまらない、
  黒い雲からふる雨が、
  銀にひかっていることが。

  わたしはふしぎでたまらない、
  青いくわの葉たべている、
  かいこが白くなることが。

  わたしはふしぎでたまらない、
  たれもいじらぬ夕顔が、
  ひとりでぱらりと開くのが。
 
  わたしはふしぎでたまらない、
  たれにきいてもわらってて、
  あたりまえだ、ということが。
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時間は未来から流れてくる

2015年12月19日 | 日記
ここ1週間程、同居人Kは風邪で寝込んでいた。

その間熱は下がる気配がなく、38から39度を行ったり来たり。

これはさすがに変だということで昨日病院へ行ってきた。

インフルエンザを確信していたのだが、熱の原因は喉の炎症ということだった。

もらった抗生物質を飲むと、熱もひとまず落ち着き気分もいいようだった。



毎日すり下ろしりんごばかり口にしていたため、少し回復したら他のものが食べたくなったのだろう。

朝目が覚め居間に行くと昨日焼いたホットケーキがおかしなことになっていた。



人が狙わずにやってのけた日々の痕跡は結構面白い。

後から聞くと1日経ち周りが固くなっていたとのこと。



それから久々にお昼の喫茶店に行ってきた。

いつものおじさん店員やマスターの若息子たちはいつになく忙しそうだった。

そうか今日は土曜日。



とめどなく流れてくる朧げな思考をそのまま左から右へと受け流しいろいろなことを忘れよう。

その中で微かに光る塊を取り出すと、その塊はすかさず「古き良き時代」という言葉に形を変えた。

どうやらこの言葉が今日の私のテーマらしい。





満席の店内を見渡しながら、何も見ていない私の目。

なぜ人は常に過去を追いかけるのだろうか。

いや、私がその気が強いだけかもしれない。

今よりも昭和、昭和よりも江戸と遡れば遡る程素敵な時代に行き着くような気がして、

いつも遠い昔に恋いこがれてしまうのだ。

ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』に少し似ているかな。

時代という大きな枠でなくとも、自分の子どもだった頃に想いを馳せる人は少なくないだろう。

そこで思うのだ、きっと今は未来の人にとっての「古き良き時代」なのだと。



Kが心より待ち望んだ『スターウォーズ』の新作が昨日公開となり、

彼は彼で自身の妄想や想像に耽っているようだった。

そしていきなり「新たなスターウォーズがはじまった現代は未来の人からしたら凄い時代になる。」と言い出した。

厳密には違うけれど、少しだけ似たような妄想をしていたので可笑しかった。



そこから時間の流れの話になった。

時間というのは直線上に流れており、矢印の方向は「過去⇒現在⇒未来」だと疑わなかった。

行動の分岐点が全て枝分かれして無数に増え続けるパワレルワールドも含めて全ては左から右へ。

しかしそんな当たり前だと思っていたことがKの一言によって、揺らいでしまった。

「時間は未来から流れてくるんだよ。」



たとえ言葉を発した相手の意を解さずとも、言葉自体が持つ力というのは凄い。

一瞬にして矢印が逆になってしまった。

いやもしかしたら直線上に流れるのではなく、常に今という起点から右往左往へと流れ出ているのかもしれない。

矢印の先が未来とも限らず、起点が今とも限らない、また行き着く先が過去でも面白い。

それを図にすると七宝のような幾何学模様を描くだろうか。



人を知的創造へと導く言葉は、案外すぐ近くに転がっているのかもしれない。

私はそれを毎度のように拾い上げて吟味したい。



今日は夕日が奇麗だった。

電柱が十字架のようでエヴァンゲリオンの世界みたいだとこれまた妄想の中へダイブ。

夢か現か今なお彷徨っている。

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