あの頃はあんなに思い悩んでいたのに、
過ぎてしまえば大したことではなかったなんてことはよくある話だ。
中でも思春期というやつは厄介だった。
先日ぼんやりテレビドラマを見ていたら、
漫画家の娘(中学生くらい)が誰かに「普通(の環境)が良かった」と訴えていた。
その台詞の位置づけとしては売れない父をなかなか受け入れられない娘といったところか。
安っぽい台詞に聞こえるかもしれないけれど、私にとってはリアリティーのある言葉だ。
私の育った環境は地元の子と比べてもあまりに特異だった。
昔の話をすれば、私は保育所には行っておらず読み書きは両親から教わった。
当時、若い人たち(両親含む)が集ってつくった村で育ったという感じかな。
家は驚く程山奥にあり、風呂は五右衛門風呂、下水が通っておらずトイレはボットン。
小学一年生になって担任のカイモリ先生が当たり前のようにした質問をよく覚えている。
それは「あなたのタンジョウビはいつですか?」というもの。
皆がすらすらと答える中、そのとき初めて誕生日という存在を知った私は他の人との壁を感じた。
私にもちゃんと誕生日はあるのだろうか、と。
人と違うと思ったエピソードを全部挙げればきりがない。
流行のおもちゃを持ったことがない。
部屋が欲しいと行ったら自分で作れと言われる。
中学の自転車通学では迎えにきてもらえず何度も雨に負けそうになった。
制服のお下がり、貰い物の服、テレビはMステじゃなく野球中継。
些細なことばかりだが、当時は周りの友達と違う「全て」を嫌悪していた。
劣等感というやつだ。
対照的に皆が持っているもの、やっていること、与えられた環境に憧れていた。
厳密には周りに対して混ざることのない憧れと反感を同時に持っていた。
さらに言えば、自分の育った環境は嫌悪しながらも大事に握りしめていた。
憧れの象徴だったのが、登校時に皆が履いてくる汚れていない靴。
というのも私の家は山の中にあり道は舗装されておらず、登校中靴に泥がこびりつくのだ。
下駄箱に並んだ泥だらけのコンバース、たったそれだけのことがとても恥ずかしかった。
雨の日は途中まで長靴で行き、大丈夫な場所から靴に履き替えるなんてことも多々あった。
いろんなことに牙を剥いていた思春期だけど、都合のいいことは未だに大事にしている。
それは靴がぼろぼろになり母に新しいコンバースの靴を買ってほしいとねだったときのこと。
「あんたは物持ちがいいから助かるよ。物を大切にするのはいいことだ。」
こう言われた時にぼろぼろのコンバースを思い、なんだかじんわりきたのを覚えている。
今思えば他の男兄弟に比べればという話だったかもしれないけれど、
それでも痛々しい自分の中に見つけた長所のような気がして嬉しかった。
真偽は置いといて、今でも馬鹿みたいに「私は物持ちがいい」なんて自慢することがある。
高すぎて攻略出来ないと思っていた思春期の山は、家を離れると気づかないうちに超えていた。
なんでみんなと一緒がよかったのかもう思い出せない。
コンバースは解決されることのないもやもやと一緒に後ろの山に置いてきた。
そして飽きることなく次の山が目の前にそびえ立つわけだが、それはまぁいいや。

余談だが、前述したドラマをこれまたぼーっと見ていたときのこと。
仕事に没頭するあまり家族との時間をつくれなかった旦那と、それに対し限界を感じる妻の修羅場。
極めつけは娘の誕生日に間に合わず娘は泣きつかれ寝てしまったというエピソード。
6歳まで誕生日の「た」の字も知らなかった私が「誕生日祝えないくらいで何考えてんだ!」と文句をたれると、
同居人が私をなだめる様に「これ一般家庭の話だから。」と言ってきた。
なんだか可笑しかった。
過ぎてしまえば大したことではなかったなんてことはよくある話だ。
中でも思春期というやつは厄介だった。
先日ぼんやりテレビドラマを見ていたら、
漫画家の娘(中学生くらい)が誰かに「普通(の環境)が良かった」と訴えていた。
その台詞の位置づけとしては売れない父をなかなか受け入れられない娘といったところか。
安っぽい台詞に聞こえるかもしれないけれど、私にとってはリアリティーのある言葉だ。
私の育った環境は地元の子と比べてもあまりに特異だった。
昔の話をすれば、私は保育所には行っておらず読み書きは両親から教わった。
当時、若い人たち(両親含む)が集ってつくった村で育ったという感じかな。
家は驚く程山奥にあり、風呂は五右衛門風呂、下水が通っておらずトイレはボットン。
小学一年生になって担任のカイモリ先生が当たり前のようにした質問をよく覚えている。
それは「あなたのタンジョウビはいつですか?」というもの。
皆がすらすらと答える中、そのとき初めて誕生日という存在を知った私は他の人との壁を感じた。
私にもちゃんと誕生日はあるのだろうか、と。
人と違うと思ったエピソードを全部挙げればきりがない。
流行のおもちゃを持ったことがない。
部屋が欲しいと行ったら自分で作れと言われる。
中学の自転車通学では迎えにきてもらえず何度も雨に負けそうになった。
制服のお下がり、貰い物の服、テレビはMステじゃなく野球中継。
些細なことばかりだが、当時は周りの友達と違う「全て」を嫌悪していた。
劣等感というやつだ。
対照的に皆が持っているもの、やっていること、与えられた環境に憧れていた。
厳密には周りに対して混ざることのない憧れと反感を同時に持っていた。
さらに言えば、自分の育った環境は嫌悪しながらも大事に握りしめていた。
憧れの象徴だったのが、登校時に皆が履いてくる汚れていない靴。
というのも私の家は山の中にあり道は舗装されておらず、登校中靴に泥がこびりつくのだ。
下駄箱に並んだ泥だらけのコンバース、たったそれだけのことがとても恥ずかしかった。
雨の日は途中まで長靴で行き、大丈夫な場所から靴に履き替えるなんてことも多々あった。
いろんなことに牙を剥いていた思春期だけど、都合のいいことは未だに大事にしている。
それは靴がぼろぼろになり母に新しいコンバースの靴を買ってほしいとねだったときのこと。
「あんたは物持ちがいいから助かるよ。物を大切にするのはいいことだ。」
こう言われた時にぼろぼろのコンバースを思い、なんだかじんわりきたのを覚えている。
今思えば他の男兄弟に比べればという話だったかもしれないけれど、
それでも痛々しい自分の中に見つけた長所のような気がして嬉しかった。
真偽は置いといて、今でも馬鹿みたいに「私は物持ちがいい」なんて自慢することがある。
高すぎて攻略出来ないと思っていた思春期の山は、家を離れると気づかないうちに超えていた。
なんでみんなと一緒がよかったのかもう思い出せない。
コンバースは解決されることのないもやもやと一緒に後ろの山に置いてきた。
そして飽きることなく次の山が目の前にそびえ立つわけだが、それはまぁいいや。

余談だが、前述したドラマをこれまたぼーっと見ていたときのこと。
仕事に没頭するあまり家族との時間をつくれなかった旦那と、それに対し限界を感じる妻の修羅場。
極めつけは娘の誕生日に間に合わず娘は泣きつかれ寝てしまったというエピソード。
6歳まで誕生日の「た」の字も知らなかった私が「誕生日祝えないくらいで何考えてんだ!」と文句をたれると、
同居人が私をなだめる様に「これ一般家庭の話だから。」と言ってきた。
なんだか可笑しかった。