落語には決まった人物が頻繁に出てくる。
江戸落語で言えば熊さん、八っぁん、大家、若旦那にご隠居さん。
その中でも異彩を放っているのが今日の主人公「与太郎」である。
与太郎とは、ときに人の名前であり、ときに「愚か者」の代名詞となる。
どちらにしろ、「抜けているがどこか憎めないやつ」という暗黙の空気をまとっている。
与太郎の出てくる落語は笑える噺が多い。
私が聞いたいくつかの噺は、いずれも世間と与太郎のギャップが面白い。
例えば「かぼちゃ屋」では、
いつまでもふらふらしている与太郎を心配した叔父さんが彼に唐茄子売りを仕込む場面がある。
叔父さんが「これは元値だからよく上を見て(掛け値をして)売れ」と送り出せば、商売中に上(空)を見る始末。
また「金明竹(きんめいちく)」では、
店番を任された与太郎が雨宿りに店の軒下を貸してくれと申し出る通行人に毎回とんちんかんな返答をするのだが、
与太郎の発言により旦那と通行人が絶妙なすれ違いを繰り広げていく様は笑わずにはいられない。
何も知らないというのはある意味「最強」なのかもしれない。
与太郎には「何となく分かるだろう」とか「空気を読め」という曖昧なニュアンスが全く通用しない。
それでいて変なプライドも恥じらいもない、変わった思考回路を持っていて真っ正直。
そこに人を惹き付ける訳がある。
「孝行糖(こうこうとう)」では大きな声で飴を売り歩く与太郎の後ろに子どもの行列ができたし、
「かぼちゃ屋」では世間知らずの与太郎を面白いやつだと気に入ってくれた客が他の人にも唐茄子を勧めてくれた。
まどろっこしさ、物わかりの悪さ、無知、まぬけさとかそういったものは一見嫌なものとして避けられがちだが、
そこに素直さが加わるだけで「しょうがないねぇ」という温かい言葉でもって迎えられる。
愚鈍さをさらけ出すと、人は安心する。
私は密かに与太郎のような人間に憧れている。
Caravanの歌う歌に「愛すべきロクデナシ」というフレーズがあったけど、そんな感じかな。
いやあそこまで爽やかではないな。
おすすめ落語
立川談志「与太郎噺三本立て(かぼちゃ屋、豆屋、孝行糖)」
立川志らく「金明竹」
立川志の輔「ろくろ首」
古今亭志ん朝 「錦の袈裟」
桂米朝「道具屋」
立川流ばかりになってしまった。
「火星人」と思われる塊根植物
江戸落語で言えば熊さん、八っぁん、大家、若旦那にご隠居さん。
その中でも異彩を放っているのが今日の主人公「与太郎」である。
与太郎とは、ときに人の名前であり、ときに「愚か者」の代名詞となる。
どちらにしろ、「抜けているがどこか憎めないやつ」という暗黙の空気をまとっている。
与太郎の出てくる落語は笑える噺が多い。
私が聞いたいくつかの噺は、いずれも世間と与太郎のギャップが面白い。
例えば「かぼちゃ屋」では、
いつまでもふらふらしている与太郎を心配した叔父さんが彼に唐茄子売りを仕込む場面がある。
叔父さんが「これは元値だからよく上を見て(掛け値をして)売れ」と送り出せば、商売中に上(空)を見る始末。
また「金明竹(きんめいちく)」では、
店番を任された与太郎が雨宿りに店の軒下を貸してくれと申し出る通行人に毎回とんちんかんな返答をするのだが、
与太郎の発言により旦那と通行人が絶妙なすれ違いを繰り広げていく様は笑わずにはいられない。
何も知らないというのはある意味「最強」なのかもしれない。
与太郎には「何となく分かるだろう」とか「空気を読め」という曖昧なニュアンスが全く通用しない。
それでいて変なプライドも恥じらいもない、変わった思考回路を持っていて真っ正直。
そこに人を惹き付ける訳がある。
「孝行糖(こうこうとう)」では大きな声で飴を売り歩く与太郎の後ろに子どもの行列ができたし、
「かぼちゃ屋」では世間知らずの与太郎を面白いやつだと気に入ってくれた客が他の人にも唐茄子を勧めてくれた。
まどろっこしさ、物わかりの悪さ、無知、まぬけさとかそういったものは一見嫌なものとして避けられがちだが、
そこに素直さが加わるだけで「しょうがないねぇ」という温かい言葉でもって迎えられる。
愚鈍さをさらけ出すと、人は安心する。
私は密かに与太郎のような人間に憧れている。
Caravanの歌う歌に「愛すべきロクデナシ」というフレーズがあったけど、そんな感じかな。
いやあそこまで爽やかではないな。
おすすめ落語
立川談志「与太郎噺三本立て(かぼちゃ屋、豆屋、孝行糖)」
立川志らく「金明竹」
立川志の輔「ろくろ首」
古今亭志ん朝 「錦の袈裟」
桂米朝「道具屋」
立川流ばかりになってしまった。
「火星人」と思われる塊根植物