彼らは覚えていないんだろうな〜。
こういうのって言った方は覚えていなくとも、
言われた方は忘れられないというのがセオリー。
こっちも普段は忘れているんだけど、
ふとしたことで記憶が鮮明に蘇ったりする。
10年以上前になる、
私がまだ高校生だったころ、
制服のスカートは周りに合わせて膝上まであげていた。
当時たしかに思春期特有のムチムチ体型だったと思う。
母は私の膝小僧を見て不躾に、
「たん、その膝の上のコブは何?」と聞いてきた。
いや、それは私の贅肉が膝に乗っかってるだけでコブでもなんでもないよ。
こっちは恥ずかしさと腹立たしさでムスッとしながら、
「なんでもないよ、気にしないでよ。」てな具合。
その場に居合わせた父が察して、
「いいんだよ、コブじゃないから。」
と場を濁してくれた。
すると母は純粋無垢な表情で、
「コブじゃないならなんなのよ。」と掘り返す。
父は「いいんだって。」とごまかす。
母は納得がいかないらしく、
「なんか変な病気じゃないの?大丈夫なの?」
父は面倒になったのか、
「膝に太ももの肉が乗っかってるだけだよ!」って。
パリーンッ!
父の口から逃れようのない真実を突きつけられる。
それでも母は「そんなことあるはずない」って譲らない。
もう二人ともなんなのよ!
二人がヒーットアップすればするほど、
見えない刃物が思春期ハートにザクザク刺さっていく。
「だっておかしいじゃん!」
「だからたんは太ももがー」
いやもうどっちもどっち。
母は足が細く太ももの肉が膝に乗ったことがなかったので、
本当に意味がわからなかったのだろう。
それはもはや私云々の話じゃなくなり、二人の言い合いになっていた。
なぜ今さらこんな会話を思い出すのか不思議だ。
今思い返すと、
母の悪気のなさと父のフォローにならないフォローが可笑しくてたまらない。
膝上の件は思春期特有の問題だったわけではなく、
その後も贅肉は所定の位置に留まり続けたとさ。
ブプレリウムの透き通る葉脈。
こういうのって言った方は覚えていなくとも、
言われた方は忘れられないというのがセオリー。
こっちも普段は忘れているんだけど、
ふとしたことで記憶が鮮明に蘇ったりする。
10年以上前になる、
私がまだ高校生だったころ、
制服のスカートは周りに合わせて膝上まであげていた。
当時たしかに思春期特有のムチムチ体型だったと思う。
母は私の膝小僧を見て不躾に、
「たん、その膝の上のコブは何?」と聞いてきた。
いや、それは私の贅肉が膝に乗っかってるだけでコブでもなんでもないよ。
こっちは恥ずかしさと腹立たしさでムスッとしながら、
「なんでもないよ、気にしないでよ。」てな具合。
その場に居合わせた父が察して、
「いいんだよ、コブじゃないから。」
と場を濁してくれた。
すると母は純粋無垢な表情で、
「コブじゃないならなんなのよ。」と掘り返す。
父は「いいんだって。」とごまかす。
母は納得がいかないらしく、
「なんか変な病気じゃないの?大丈夫なの?」
父は面倒になったのか、
「膝に太ももの肉が乗っかってるだけだよ!」って。
パリーンッ!
父の口から逃れようのない真実を突きつけられる。
それでも母は「そんなことあるはずない」って譲らない。
もう二人ともなんなのよ!
二人がヒーットアップすればするほど、
見えない刃物が思春期ハートにザクザク刺さっていく。
「だっておかしいじゃん!」
「だからたんは太ももがー」
いやもうどっちもどっち。
母は足が細く太ももの肉が膝に乗ったことがなかったので、
本当に意味がわからなかったのだろう。
それはもはや私云々の話じゃなくなり、二人の言い合いになっていた。
なぜ今さらこんな会話を思い出すのか不思議だ。
今思い返すと、
母の悪気のなさと父のフォローにならないフォローが可笑しくてたまらない。
膝上の件は思春期特有の問題だったわけではなく、
その後も贅肉は所定の位置に留まり続けたとさ。
ブプレリウムの透き通る葉脈。