「鎌倉で能の公演があるんですが行きませんか」と友人に誘われたのは9月の半ば頃。
以前能に興味があるがハードルが高いとかなんとか話していたから声をかけてくれたのだ。
展覧会前の立て込んだ時期だがこのチャンスを逃す手はない、ということで快諾した。
メンバーは友人とそのパートナー、その彼の同級生に私を合わせて4人。
私以外の3人は着物姿でバッチリ決まっていて格好よかった。
もともとその彼が着物関係の仕事をしていてそのつながりで今回の能に誘われたのだ。
ちゃんと声に出して言っとくもんだね。
今回は長谷駅から徒歩10分ほどの鎌倉能舞台が会場。
久々の鎌倉は平日だというのに人が多くて驚いた。
観光客の足並みに揃えてゆっくりと歩を進める。
秋深まる11月の初め、快晴の空の下、じんわりと汗ばみつつ喧騒から外れた能舞台に着いた。
能の基本と今回の演目については予習して行ったけれど、どんな出会いが待っているのか想像もつかなかった。
能とは一体なんなのか、自分はそれにどう反応するのか、何か手ごたえはあるのか、何にもないのか。
兎にも角にもファーストインプレッションが楽しみでしょうがなかった。
今回は最初に少し説明がありそのあと狂言「金藤左衛門」に続いて能「楊貴妃」が演じられる。
期待していなかったけど案外最初の説明が面白かった。
お面の種類やどういう心構えでいればいいのかなど初心者にとても優しかったのだ。
「金藤左衛門」は山賊が通りかかった女の持ち物を奪い取るが、
女に隙を突かれ長刀を奪われ反対に身ぐるみをはがされるというお話だ。
出てきた山賊はひょろひょろしていていかにも頼りない感じが間抜けでよかった。
あとで「出てくるなり大声で自己紹介するのが可笑しかった」と同級生が言っていた。
確かにその姿は素っ頓狂で面白い。
山賊が女に脅されて持ち物を奪われるところが見どころで、そこかしこから笑い声が漏れていた。
「楊貴妃」は1時間半あったけど思ったより短く感じた。
置いて行かれたら地獄が待っているかもしれないとかなりの心構えで行ったものだからそれに比べれば、ね。
それをあとでみんなに言ったら「普段どんなスピードで生活してんの?」と驚かれた。
並より少し遅いくらいだと思うんだけど。
「楊貴妃」は唐の時代、
愛する楊貴妃を失い悲嘆にくれていた玄宗皇帝が彼女の魂の行方を捜すべく方士をあの世に派遣する話だ。
方士が蓬莱島(東海上の仙境)に着くと孤独な日々を送る楊貴妃の魂があった。
方士は玄宗皇帝の言葉を伝え彼女に会った証拠の品を賜りたいと言い、楊貴妃は自分のかんざしを渡す。
しかしそれでは確かな証拠にはならないので生前に皇帝と言い交した秘密の言葉を教えて欲しいと言う。
それに答え楊貴妃はいつまでも一緒にいようと誓った七夕の夜の思い出を明かす。
楊貴妃は帰ろうとする方士を呼び止め、かつて自分が皇帝の前で舞った舞を見せる。
やがて帰っていく方士を見おくりつつ、楊貴妃は一人嘆き悲しむのだった。
なんとも悲しげな愛の物語。
方士が蓬莱島にたどり着き、楊貴妃が出てくるまでこれでもかというほどもったいつける。
蓬莱島の人々がいかに彼女が美しいのか繰り返し繰り返し語るのだ。
はじめから舞台上に置かれてる布の被さったお宮の中にずっと楊貴妃の気配を感じながら今か今かと待つ。
すでに私が楊貴妃に出会いたくてしょうがなくなっている。
能の面で若い女を表現する小面という面がある。
無表情の冷たい感じのする下膨れの女の面だ。
今回楊貴妃はこの面で演じられた。
いよいよお宮を覆う布がゆっくりはがされていく。
徐々に露わになる楊貴妃の姿にはっとした。
楊貴妃があまりに美しくておどろいたのだ。
どういう魔法にかかったのか、怖いとすら思っていた小面がとても儚げで美しく見える。
お面を被ったおじさんのはずなのにそんな正体は一切脳裏に入ってこない。
日本の中枢にあり続けた伝統芸能の力は伊達じゃないのね。
こんなど素人がはっきりとその片鱗を感じることができたのだから説明不要だ。
手をゆっくり顔に近づける動作一つで悲しみが痛いほど伝わる。
囃子方と地謡と呼ばれる人たちによる楽器と声の膜の中にうっとり浸っていた。
脳に響く独特の旋律に漂って私は夢とうつつを行ったり来たり。
現実世界から逸脱して、時間や空間が伸び縮みしていた。
最後ぴたーっと音が止まり、静寂の中楊貴妃が退場するまでの数分、あるいは数秒はなんだか泣きそうだった。
すべての人が舞台から退場してから会場が拍手に包まれた。
鑑賞というより体験だった。
初めてだったからより一層そう感じたのかもしれない。
いつか女の怨念を描いた「金輪」を観てみたいな。
能の世界で描かれる暴力にはとても興味がある。
女の表情が変わっていく様や頭にろうそくを立てて藁人形に釘を打つ姿(があるのかは知らないけど)を観てみたい。
女の面は生成から般若、さらに真蛇と恨みの強さや年齢によって面が変わるのに対して、男には面がない。
能が男が主体の芸能だからなのか、もっと深い意味があるのかいろいろ気になるところ。
男に面がないと言っても今回の楊貴妃で出てきた方士は生々しさの感じられないそれでいて強烈な表情だった。
席が近いというのもあるけど、方士がこちら側を向いた時はざわざわして落ち着かなかった。
帰りはみんなであーだこーだ言いながら砂浜を歩き、由比ヶ浜の夕暮れを見送った。
観終わった後に感想を言い合えるのは誰かと一緒に行く醍醐味だね。
着物のお三方と出かけ鎌倉を歩き能を観て最後はカフェでおしゃべりして、全体的になんだかすごく楽しい1日だった。
次は3月9日の野村萬斎が出演する会に行きたい。
能はドラマ『俺の家の話』で話題になった親子の愛を描く「隅田川」だ。
以前能に興味があるがハードルが高いとかなんとか話していたから声をかけてくれたのだ。
展覧会前の立て込んだ時期だがこのチャンスを逃す手はない、ということで快諾した。
メンバーは友人とそのパートナー、その彼の同級生に私を合わせて4人。
私以外の3人は着物姿でバッチリ決まっていて格好よかった。
もともとその彼が着物関係の仕事をしていてそのつながりで今回の能に誘われたのだ。
ちゃんと声に出して言っとくもんだね。
今回は長谷駅から徒歩10分ほどの鎌倉能舞台が会場。
久々の鎌倉は平日だというのに人が多くて驚いた。
観光客の足並みに揃えてゆっくりと歩を進める。
秋深まる11月の初め、快晴の空の下、じんわりと汗ばみつつ喧騒から外れた能舞台に着いた。
能の基本と今回の演目については予習して行ったけれど、どんな出会いが待っているのか想像もつかなかった。
能とは一体なんなのか、自分はそれにどう反応するのか、何か手ごたえはあるのか、何にもないのか。
兎にも角にもファーストインプレッションが楽しみでしょうがなかった。
今回は最初に少し説明がありそのあと狂言「金藤左衛門」に続いて能「楊貴妃」が演じられる。
期待していなかったけど案外最初の説明が面白かった。
お面の種類やどういう心構えでいればいいのかなど初心者にとても優しかったのだ。
「金藤左衛門」は山賊が通りかかった女の持ち物を奪い取るが、
女に隙を突かれ長刀を奪われ反対に身ぐるみをはがされるというお話だ。
出てきた山賊はひょろひょろしていていかにも頼りない感じが間抜けでよかった。
あとで「出てくるなり大声で自己紹介するのが可笑しかった」と同級生が言っていた。
確かにその姿は素っ頓狂で面白い。
山賊が女に脅されて持ち物を奪われるところが見どころで、そこかしこから笑い声が漏れていた。
「楊貴妃」は1時間半あったけど思ったより短く感じた。
置いて行かれたら地獄が待っているかもしれないとかなりの心構えで行ったものだからそれに比べれば、ね。
それをあとでみんなに言ったら「普段どんなスピードで生活してんの?」と驚かれた。
並より少し遅いくらいだと思うんだけど。
「楊貴妃」は唐の時代、
愛する楊貴妃を失い悲嘆にくれていた玄宗皇帝が彼女の魂の行方を捜すべく方士をあの世に派遣する話だ。
方士が蓬莱島(東海上の仙境)に着くと孤独な日々を送る楊貴妃の魂があった。
方士は玄宗皇帝の言葉を伝え彼女に会った証拠の品を賜りたいと言い、楊貴妃は自分のかんざしを渡す。
しかしそれでは確かな証拠にはならないので生前に皇帝と言い交した秘密の言葉を教えて欲しいと言う。
それに答え楊貴妃はいつまでも一緒にいようと誓った七夕の夜の思い出を明かす。
楊貴妃は帰ろうとする方士を呼び止め、かつて自分が皇帝の前で舞った舞を見せる。
やがて帰っていく方士を見おくりつつ、楊貴妃は一人嘆き悲しむのだった。
なんとも悲しげな愛の物語。
方士が蓬莱島にたどり着き、楊貴妃が出てくるまでこれでもかというほどもったいつける。
蓬莱島の人々がいかに彼女が美しいのか繰り返し繰り返し語るのだ。
はじめから舞台上に置かれてる布の被さったお宮の中にずっと楊貴妃の気配を感じながら今か今かと待つ。
すでに私が楊貴妃に出会いたくてしょうがなくなっている。
能の面で若い女を表現する小面という面がある。
無表情の冷たい感じのする下膨れの女の面だ。
今回楊貴妃はこの面で演じられた。
いよいよお宮を覆う布がゆっくりはがされていく。
徐々に露わになる楊貴妃の姿にはっとした。
楊貴妃があまりに美しくておどろいたのだ。
どういう魔法にかかったのか、怖いとすら思っていた小面がとても儚げで美しく見える。
お面を被ったおじさんのはずなのにそんな正体は一切脳裏に入ってこない。
日本の中枢にあり続けた伝統芸能の力は伊達じゃないのね。
こんなど素人がはっきりとその片鱗を感じることができたのだから説明不要だ。
手をゆっくり顔に近づける動作一つで悲しみが痛いほど伝わる。
囃子方と地謡と呼ばれる人たちによる楽器と声の膜の中にうっとり浸っていた。
脳に響く独特の旋律に漂って私は夢とうつつを行ったり来たり。
現実世界から逸脱して、時間や空間が伸び縮みしていた。
最後ぴたーっと音が止まり、静寂の中楊貴妃が退場するまでの数分、あるいは数秒はなんだか泣きそうだった。
すべての人が舞台から退場してから会場が拍手に包まれた。
鑑賞というより体験だった。
初めてだったからより一層そう感じたのかもしれない。
いつか女の怨念を描いた「金輪」を観てみたいな。
能の世界で描かれる暴力にはとても興味がある。
女の表情が変わっていく様や頭にろうそくを立てて藁人形に釘を打つ姿(があるのかは知らないけど)を観てみたい。
女の面は生成から般若、さらに真蛇と恨みの強さや年齢によって面が変わるのに対して、男には面がない。
能が男が主体の芸能だからなのか、もっと深い意味があるのかいろいろ気になるところ。
男に面がないと言っても今回の楊貴妃で出てきた方士は生々しさの感じられないそれでいて強烈な表情だった。
席が近いというのもあるけど、方士がこちら側を向いた時はざわざわして落ち着かなかった。
帰りはみんなであーだこーだ言いながら砂浜を歩き、由比ヶ浜の夕暮れを見送った。
観終わった後に感想を言い合えるのは誰かと一緒に行く醍醐味だね。
着物のお三方と出かけ鎌倉を歩き能を観て最後はカフェでおしゃべりして、全体的になんだかすごく楽しい1日だった。
次は3月9日の野村萬斎が出演する会に行きたい。
能はドラマ『俺の家の話』で話題になった親子の愛を描く「隅田川」だ。