とりビーな毎日

中年おやじの映画鑑賞メインの趣味の記録です

はにわ展(東京国立博物館)

2024-10-25 23:59:00 | 博物館
東京国立博物館で開催の、「特別展 はにわ」を鑑賞。

これだけ沢山の埴輪をじっくりと観たのは初めてだ。
埴輪は古墳時代の3世紀から6世紀にかけて作られ、古墳に並べ立てられていたと考えられている。

壺形埴輪から円筒埴輪、さらには様々な形象埴輪が生み出されていった。
形象埴輪には、家形埴輪、武器などの道具を模した器財埴輪、鶏や馬などの動物埴輪、大王に仕える武人などの人物埴輪がある。

その中でも見所は、国宝を含む5体の「挂甲の武人」だ。
いずれも群馬県太田市域の窯で焼かれており、同じ工房で製作された可能性があるとのこと。
当時の彩色を復元した模型も展示されていた。

埴輪の変遷を観て、最初は古墳の祭祀的な役割を担う構造物だったものが、人間の芸術表現に変わってきていると感じた。
そういう展示の見せ方という部分もあるが、人間の遊び心や好奇心が反映されているのではないだろうか。
埴輪の奥深さを垣間見ることができた。



国宝 埴輪 挂甲の武人(東京国立博物館蔵)


彩色復元


鵜形埴輪

神護寺展(東京国立博物館)

2024-07-27 23:59:00 | 博物館
東京国立博物館にて、神護寺展を鑑賞。

神護寺は京都市街地から少し離れた高尾にひっそりと建つ山寺といったイメージだった。
その歴史は1200年以上に及び、平安遷都を提案した和気清麻呂が建立した高雄山寺を起源とする。
唐で密教を学んで帰国した空海が活動拠点としたとのこと。
824年に同じく清麻呂が建立した神願寺と合併し神護寺が誕生。
その後、荒廃したものの、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、後白河法皇、源頼朝の支援を受けた文覚により復興して今に至る。

空海の時代に制作され、密教の世界観を表す両界曼荼羅(国宝)が展示の目玉だ。
色彩は残っていないが、金泥、銀泥で描かれた細密な線が往時のまま残っている。
空海の思想は、自然界、人間界の真理を理解し、生活に役立てることで、世界をよくすることだと思える。
両界曼荼羅の金剛界は宇宙レベルを、胎蔵界は原子レベルを探求することで、世界を理解するということではないだろうか。
現在の科学(サイエンス)の原型をこのとき既に思い描いていたのかもしれない。

このような考えを人々に理解してもらい、広めるためための手段が仏像だったのかなと感じた。
仏に人格みたいなものはなくて、真理に沿うことをやればうまくいくし、真理に反すればうまくいかないという当たり前のことを示しているのかなと。
真理というのもあくまでも法則であって、いつもこうなるというものではなく、ある程度の確率のふれ幅のあることだとすると科学である。
科学を信じて、理に適うことをすれば、結果が伴う、というとシンプル過ぎるが、物事をシンプルに捉えることで、多くの事績を残せたのではないかと思えた。




法然と極楽浄土(東京国立博物館)

2024-06-07 23:30:00 | 博物館
東京国立博物館にて開催の「法然と極楽浄土」を鑑賞。

法然(1133年~1212年)は浄土宗の開祖。
平安時代末期の「末法の世」に「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば誰でも死後、救われるという教えを広めた。
寺を造営することで救われようとするこれまでの仏教も認めつつ、庶民からの信仰を集めた。
より多くの人を救いたいという法然の想いの賜物だが、信徒を増やすという意味で、画期的なアイデアだったのだと思う。

現代人からすると、死後ではなくて、今を何とかして欲しいと思うが、現生は自力でどうにもならないなら、来世に救いを求めるかもしれない。
あるいは現生で悪行を働いてでも生き延びてきた人に、来世での救いの道を見出したということだろうか。
いずれにしろ、来世があると信じないと、意味がない教えではある。
そういう意味では、「死」は単なる通過点と割り切れるのか。

これは自分のやるべきことを行えば、来世の心配はないと受け取れる。
自分のやるべきことが、「戦うこと」なら社会は不安定になり、「働くこと」なら社会の安定に寄与するだろう。
一向一揆から、浄土宗を保護した徳川家康の江戸時代の安定の根底にあったものが少し理解できた気がする。



法然寺の立体涅槃群像

建立900年 特別展「中尊寺金色堂」(東京国立博物館)

2024-03-30 23:20:00 | 博物館
東京国立博物館にて、建立900年 特別展「中尊寺金色堂」を鑑賞。



中尊寺金色堂には2015年5月6日に訪れている。
平泉の街がかつて栄えていたことの痕跡もあまりなく、松尾芭蕉の俳句のような感慨を感じたものだ。
「夏草や兵どもが夢の跡」

展示は、8KCGの映像が圧巻だった。
仏像を間近に見れるのも貴重だ。
現地では劣化防止のため、ガラス越しでの拝観だったので、臨場感はこちらの方が上かもしれない。

建立した藤原清衡の不戦の思いの強さが金色堂を生み出したことが伝わる展示だった。

金色堂模型

本阿弥光悦の大宇宙(東京国立博物館)

2024-03-02 23:59:00 | 博物館
東京国立博物館にて、本阿弥光悦の大宇宙を鑑賞。

本阿弥光悦(1558-1637)は戦国時代から江戸時代初期に活躍した、美の総合プロデューサーのような人だ。
本職は、先祖代々の刀剣の鑑定だが、書や陶芸を自ら手掛け、漆芸にも関与していたようである。
過去の芸術作品や文学作品への深い理解と、職人の技術を引き出し、作品として仕上げる能力の高さが真骨頂と言えるだろう。
作品を通して感じるのが、オリジナリティへのこだわりというか、自らの審美眼への自信だ。

千利休の侘び寂びの世界とは違って、じわりと観る者に訴えかけてくるような圧が作品にこもっている感じがする。

面白いのは、二次元の書の世界と、三次元の陶芸や漆芸の両方を行き来していることだ。
頭の中のイメージを作品としてアウトプットするにあたり、手段に囚われない柔軟さがある。

また、日蓮法華宗への信仰心も、形式に囚われない心の源になっていたのかもしれない。
この時代、自らの美意識を貫いて、権力者と対立せず、生き延びることは並大抵のことではなかっただろう。
どういう生き方をした人だったのかにも興味が湧いた。